別名「花粉の都」とも言われるワシントンDCでは、花粉の種類もさることながら今年は例年以上に多く花粉が空に舞い、黄色い粉が路上の車の上に降り積もっている。花粉症患者にとってはまさに受難の季節を迎えている。
クリントン政権とブッシュ政権下で7年CIA長官を務めたジョージ・テネット氏が初版30万部という回顧録『嵐の中心で』を4月30日に出版し、その中でブッシュ政権が9.11直後からイラク攻撃を視野に入れていたことなどを暴露した。出版にあわせてTV出演を行ったりインタビューが放映されたが、氏の思惑とは裏腹に右派・左派両方からあがった批判の矛先はテネット氏自身へ向けられている。
テネット氏はCIAにイラク戦争開戦の責任をなすりつけようとしたブッシュ政権に対し個人的にわだかまりがあったようだ。まず、ライス氏がテネット氏の「スラムダンク」(バスケットボール用語で「確実(なシュート)」という意味)発言を使ってイラク戦争を正当化するために十分な情報根拠となると、ブッシュ大統領の背中を押したとライス氏を批判している。またこれまで匿名の証言等によりある程度一般の知るところとなったが、国家安全保障局(NSA)の令状なしのテロ監視プログラムを扇動したのはチェイニー副大統領だとし、ブッシュ政権のインナーサークルの一員であったテネット氏が初めてそれに確証を与えた。テネット氏によれば2001年10月チェイニー副大統領がテネット氏とNSA長官のヘイデン氏にアル・カイーダの監視についてNSAが関与可能なことは何かと尋ねた1週間後にNSAのテロリスト監視プログラムが政権内で承認されたという。
特にチェイニー副大統領とライス氏へは激しい個人攻撃を展開している。この背景には2003年のブッシュ大統領の一般教書演説の文面でサダム・フセインがニジェールからウランを購入しようとしたという一文(後に誤情報と訂正)に関して当時国家安全保障担当大統領補佐官だったライス氏がテネット氏へ責任転嫁したことに憤りを感じており、究極的には2004年のテネット氏のCIA長官辞任へつながったことがある。また何よりも、チェイニー副大統領やライス氏が繰り返しテネット氏の「スラムダンク」という発言を引用してフセインが大量殺戮破壊兵器を持っていたとブッシュ大統領に情報筋が確証を与えたと公言してきたことに、この上ない怒りを感じているようだ。インタビューでも「文脈とは違った引用によって」自分の発言がイラク戦争突入の決め手になったというブッシュ政権の説明にいたく立腹し、氏自身の「信用が傷つけられた」ので「国を想うがゆえ、真実を語る必要がある」と決心したそうだ。
ところが、CIA長官という重要な役職につきながらなぜ間違いに気付いたときやブッシュ大統領再選前にも何も言わずこれまで沈黙していたのか、自分の信用が傷つけられたことが大事となはんたることか、彼の沈黙という決断のためにイラクで犠牲になった3000人余りの米兵にどう申し開きをするのかという非難が轟々とあがっている。
例えば、2002年8月にチェイニー副大統領が「フセインが核兵器プログラムを再開した」とスピーチで述べたとき、テネット氏は情報部門が持つ証拠からはサポートできない内容であったにも関わらずチェイニー副大統領に対峙せず何も言わなかったこと。また、9.11直後に当時国防総省顧問のリチャード・パール氏が「(9.11の代償は)イラクに払ってもらう」と発言したとき、テネット氏はそれが大きくずれた認識であると知っていながらパール氏に対し何も言わなかったこと。更に国連において当時のパウエル国務長官がイラクの兵器プログラムの存在をあらゆる状況証拠を駆使して説明していたとき、情報の信用性を高めるためにテネット氏はパウエル氏の後ろに黙って座っていたことなどだ。
上司にノーと言えない「イエスマン」テネット氏への辛らつな批判も噴出している。 テネット氏はCIAや情報部門が集めた情報や結論の正当性を主張するより、ホワイトハウスのインナーサークルの仲間に入れてもらう方に興味を持っていたとも言われ、あるCIA元高官は「テネット氏は正しいことをしようとしたのだろうが、必要なときに自分の軸足を決めて立ち向かう道徳的勇気に決定的に欠けていた」という。
もっと辛らつなのは「どうやらテネット氏は自分がうそをつかなければ、うそをついている人の横で黙っているのは罪にはならないと信じているようだ。そしてそのうそつき達から自由勲章をもらって喜んでいる」。これは民間人に与えられる最高の勲章のことで、テネット氏がCIA長官を辞任するときにブッシュ大統領から授与された。陰では大量殺戮兵器が存在すると確証を与えたからもらえたとも言われており「勲章を返却しろ」と大合唱が起きている。氏がインタビューで発言したように本当に「名誉を重んじる」なら400万ドルともいわれる出版契約金もイラク戦争で犠牲になった兵士の家族や負傷した兵士らに分配したらどうかという声もあがっている。 また、6人の元CIA高官が連名で出版社宛に抗議の手紙を送り「あなたが沈黙したことでイラク戦争への道ができてしまった」「フセインが(米国に対し)差し迫った脅威にならないというCIAの部下が集めた情報をあなたはないがしろにした」「あなたはチェイニー副大統領やラムズフェルド国防長官の圧力に屈しないよう立ち向かった分析官らの努力を無駄にした」「2002年9月の時点でフセインが過去・現在においてオサマ・ビン・ラデンとの接触がないこと、またイラクの指導者達がビン・ラデンを敵と見ていたことをCIA内の情報として知りながら、2003年2月の議会においてイラクとアル・カイーダにつながりがあると証言した」とし、結果的に「あなたのCIA長官としての在職権によって世界はより危険になった。それによって大量の犠牲が払われ殺戮が行われたことをあなたが未だに認識しようとしないことは甚だ遺憾だ」と締めくくっている。
テネット氏に直接仕えたことがあるというマイケル・シャウアー氏は、テネット氏の人となりを「頭がよく礼儀正しく勤勉で、親しみやすく細部まで見落とさない仕事ぶりには好感を持たずにいられない。が、チアリーダーからリーダーには決してなれない男だった」と述べている。特に1998年5月から1999年5月の間にCIAが集めた情報によってビン・ラデンの所在を突き止め捕獲または殺害しようと思えば可能な状況にあった。テネット氏は部下達に対しクリントン大統領とその国家安全保障チームにこれ以上の好機はないと念を押しておくと約束したが、結果的にクリントン政権の国家安全保障会議(NSC)は何も行動を起こす決定を下さなかった。2001年に明るみになったことは、クリントン政権でテロ対策に携わったNSCメンバーたちが「テネット氏のビン・ラデンに関する所在情報が二転三転するので、我々は情報に対する信用を失っていった」と証言していることだ。テネット氏は著作の中で「ビン・ラデンの確実な居場所の情報は最後まで得られなかった」と述べているが、シャウアー氏は「(CIAスタッフが命の危険を冒して)集めた最高の情報を握っていたのだから先制攻撃をすべきだ」と何度も進言したという。がテネット氏は首をたてにふらなかったという。シャウアー氏は「彼と私とではビン・ラデンに対するアプローチの違いがあったわけだが、もしあの時行動を起こしていればこんなことにはならなかった」と述べている。
またシャウアー氏は、テネット氏は著作の中でイラク戦争開戦の責任はブッシュ大統領とパウエル元国務長官以外のネオコンたち、つまりチェイニー副大統領、ラムズフェルド元国防長官、ウォルフビッツ元国防副長官、ダグラス・ファイス元国防次官、リチャード・パール氏らだと名指ししているが、だからといってテネット氏が無罪であるということにはならないと指摘している。
テネット氏の回顧録の悲劇は、彼自身がなぜ米国がイラク侵略を行うべきでないかよく知りすぎておりそれを上司に進言したが無視されたことがつづられていることだ。 ではなぜその時点で抗議の辞任といった形や世論に訴えて米国がイラク戦争という泥沼へはまり込んでいくのを止めようとしなかったのか、と批判はとどまるところを知らない。
あるコラムニストは「本当に国を想うのであれば彼がすべきだったのは、例えばこのジョン・キースリング氏のようなことだ」と述べ、一外交官に過ぎないキースリング氏が当時のパウエル国務長官へ送った辞表の内容を公表している。
「私はこれまで自分の良心と現米国政権を代表するという職務を両立しようと努力してきましたが、自分にはそれがもはやできないために辞表を出します。私は米国の民主的なプロセスが究極的には軌道を自律的に修正する能力があると固く信じており、私にできる(辞任という)外からの小さな貢献によって、(現在の政策が)米国民と私たちが住む世界をより安全にそして繁栄するような政策へと少しでも近づいてくれることを願ってやみません」
テネット氏の著作は図らずも自身の無能さをさらけ出す結果となってしまったが、悲劇はリーダーの器ではない人物が組織の長という重要な役割についてしまったことであろう。これは米国に限らずどの社会にも起こりうることだが、その教訓はあまりにも大きい。
参考:Washingtonpost、Chicago Sun Times他
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