海外レポート/エッセイ
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冷泉 彰彦(れいぜい あきひこ)   作家(米国ニュージャージー州在住)
1959年東京生まれ。東京大学文学部、コロンビア大学大学院(修士)卒。
新刊『「チェンジはどこへ消えたか〜オーラをなくしたオバマの試練』(ニューズウィーク日本版ぺーパーバックス)。
またNHKBS『クールジャパン』の準レギュラーを務める。

■寄稿家からのお知らせ
場違いな人〜「空気」と「目線」に悩まないコミュニケーション』(大和書房)という本を出しました。
既刊の『「関係の空気「場の空気」』、『上から目線の時代』(いずれも講談社現代新書)で述べた日本語のコミュニケーションに対する考え方を、更に具体例を交えて展開した内容です。
文章や構成のスタイルとしては、若い読者も意識した記述を心がけました。
書店でお手にとってご覧いただければと思います。

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第251回 「ハリウッドとカトリック」
配信日:2006-05-27
 それにしても公開時の週末、全世界合算の売り上げが約224ミリオン(266億円)とは恐れ入りました。カンヌでの試写では酷評されたらしいのですが、小説(ダン・ブラウン作)『ダ・ヴィンチ・コード』の映画化(ロン・ハワード監督)プロジェクトは大成功だったようです。

 私は先週末は高校からリトルまで地域の野球が一番盛り上がる時期のため、映画館に行くことが出来ず、シネコンに行くことができたのは今週の水曜の晩でした。ですが、平日の晩としては異例なことに客席は半分ぐらい埋まっていたのです。どうやら日頃は映画館にはあまり行かない層まで巻き込んで、一つの現象となっているようです。

 映画の出来栄えに関しては、複雑なプロットを良くまとめたという点では及第点なのではないでしょうか。修道会がどうの、バラの家系がどうのというような「おどろおどろしい」用語も、視覚情報をふんだんに使っているので、分かりやすかったように思います。トム・ハンクスも、色々言われている髪型だけでなく、少なくとも前半ではイントネーションを工夫していて、何となくハーバードの先生に見えなくもない、という感じでしたからミスキャストとは言えないでしょう。

 ですが、私には不満が残りました。まず一つは、カトリックに対する姿勢です。ストーリーの主要な部分が教義に関わる問題で、これがカトリック教会への挑戦であることは仕方がないとしても、作中でバチカンがあたかも殺人を仕掛けているような描写があるのは、カトリック側としては見過ごせないのでしょう。原作は、今風に言えば正しく「トンデモ」本であって、読む人も一定程度は「トンデモない」と思いつつ、斜に構えて楽しむことができるようですが、映像となると「シャレにならない」と言わざるを得ません。

 私はカトリックの教義が神聖だとは思いません。また、このお話の材料になった、イエスの弟子とされるマグダラのマリアの運命などについて民間伝承があるのは承知しています。更に言えば、そうした民間の異説があることで、ただでさえ多様で複雑なキリスト教の文化に一種の「色物」的な味を加えているのは悪いことではないと思います。

 ですが、こうした形でハリウッドが、カトリックに対して組織的な挑発をするのは、何となくお門違いのように思うのです。何故ならば、ハリウッドが行うべき宗教論争があるのならば、その相手はカトリックではなく、アメリカのプロテスタントの一部に見られる宗教保守主義ではないでしょうか。

 宗教保守主義に対する告発や論争は行わずに、カトリック叩きをする、それは何故なのでしょう。そこには、穏健ユダヤ系と、プロテスタント系のリベラルが「何となく手を組んでいる」構図があるように思います。この映画ではユダヤ系の人材はそれほど表面には出てきてはいません。ソニーの一部門が製作していますから、大ざっぱに言えば日本資本の映画なのでしょうが、実際に製作をしているスタッフには相当数ユダヤ系の人々が絡んでいます。

 そして作者のダン・ブラウンはプロテスタント系の寄宿学校に育ち、そしてそこで父親の後を継いで教え、というように宗教的なバックグランドの強い人物です。ですが、ある種の「偶像破壊」を「悪いと思いながら」進めてゆく知的な興奮を知っている人物ということでは、考え方としては穏健な人物と言っていいでしょう。監督のロン・ハワードの場合も『アポロ13』や『ビューティフル・マインド』のように、宗教的というより冷静さの確保がヒューマニズムだ、というようなメッセージを好む監督です。

 では、そうしたハリウッドのユダヤ系の人脈と、こうした穏健プロテスタントの人脈が揃ってカトリック叩きに走るのはどうしてなのでしょう。私は深い理由はないと思います。強いて言えば、彼等の感情にあるのは次のような要素でしょう。
(1)二千年近い権威があるので、批判する手応えが大きい。
(2)聖職者の非婚や、同性愛の禁止などの保守性が許せない。
(3)漠然としたヨーロッパへのコンプレックス。
(4)アメリカ国内のカトリック人口の過半を占める、アイルランド系、イタリア系、
ヒスパニック系を見下す感情。
(5)カトリック教会がナチズムやホロコーストに対して無力だったことへの悪感情。
というような感覚がミックスされたものなのでしょう。そしてほとんど、それは無自覚だと思います。また、前法皇の足跡には素朴に感動するなど、反カトリックとして一貫しているのではないのです。

 というわけですから、他愛ないといえばそうなのですが、実際にこうした反カトリックというような雰囲気はハリウッドには濃厚です。例えば、メル・ギブソンの監督したキリスト受難の物語『パッション・オブ・キリスト』(2004年)や、カトリックの影響の濃い『ナルニア国ものがたり、ライオンと魔女』(2005年)などは、いずれも記録的なヒット作であるにも関わらず、オスカーの対象としては不自然な外され方をしています。

 ハリウッドだけでなく、同じく穏健ユダヤ系とリベラルなプロテスタントの牛耳るジャーナリズム業界でも、911以降の一連の世相の中で、カトリックの聖職者の堕落を不自然なほど取り上げていました。その結果として、実はアメリカ人の敬愛する前法皇ヨハネ・パウロ二世が、アフガンやイラクの戦争に対して必死で阻止を訴えていたというような事実は、ほぼ100%黙殺されたのです。

 一方で、中西部を中心とする宗教保守派に対する批判といいますか、論戦の姿勢はハリウッドにはありません。実は昨年の問題作『ブロークバック・マウンテン』にはそうした意味合いが秘められていますが、あれは台湾人(李安監督)だからできたことで、アメリカ生まれの人だったら、あんな形でカウボーイ文化に同性愛問題をぶつけることは相当な抵抗があったでしょう。

 例えば、最終的に「イスラエルのためにアメリカの若者の血を流すな」というようなことを言い出しかねないのは、プロテスタント系の宗教右派なのですが、ユダヤ系の人たちには、それを警戒するような動きはあまりありません。そんなわけで、国内における中絶医へのテロであるとか、高校の生物の時間に進化論を教えるなというような、世界の他の地域では考えられないような極端な言動が残っている、そのことには見て見ぬふりということになってしまっています。

 宗教保守派の方でも、その辺は分かっているようで、例えば大手の「クリスチャン・コアリション(クリスチャン連合)」などでは、この『ダ・ヴィンチ・コード』については、「許せないから見るな」というのではなく「イエスという存在が大衆の関心を呼んでいるのだから、伝道のチャンスと受け止めよ」というようなことを言っています(団体のHPより)。彼等の側でも、映画には自分たちへの敵意がないことは分かっているというわけです。

 アメリカはこれから益々カトリック人口が増えるのですから、バカバカしい「旧教叩き」は止めて、彼等との和解を模索するべきなのに、こんな形の映画が「現象」になるというのは、やはり何かがズレていると言うしかないように思います。

 ですが、カトリック批判だけであれば、原作にも勿論あったわけで、要するに壮大な「トンデモ」本だのだということにすれば許容範囲なのかもしれません。ですが、これにもう一つの要素が加わっていることが私には残念に思われました。それは、何とも安っぽい「ヨーロッパ」イメージの描き方です。パリとロンドンといった街のイメージ、高級ホテルやスイス系銀行の描写、タクシーやパトカーの走り方など、ステレオタイプ的な感覚と、絵葉書のような映像が続くのには困りました。

 アメリカ人は元来が字幕付きの外国語が大嫌いなのですが、この作品ではフランス語やイタリア語でのコミュニケーションは、一応原語で演技をさせて、字幕をかぶせています。ですが、フランス語のセリフは「パリ警察」、イタリア語のセリフは「バチカンの中で殺人を仕掛けるグループ」ということで、要するに「主役二人の敵」なのです。

 そして主役の二人は一方がフランス人であるにも関わらず、終始英語で会話をしているわけです。その結果として、外国語に対する観客の距離感が、漠然とした「敵」への悪感情に重なってしまう仕掛けは明らかです。演出の側からすれば、英語は「主役への親近感」、フランス語などは「敵への距離感」を出そうとしているのでしょうし、見事にそれは機能しています。

 特にパリ警察については、警部の一人に挙動の怪しい部分があったり、一方で警察全体の動きはどこか昔の「パリの警部ものコメディ」にも似た滑稽なイメージも重ねられており(このあたりは、作品の演出上も弱点と言わなくてはなりません)ずいぶんとおかしな描写になっています。

 ハリウッドでは、例えばスラブ系のヤクザに凶悪なイメージを与えるため、あるいは仕事中毒の日本のサラリーマンをステレオタイプ的に描くために「外国語+字幕」を使うようなことはありました。「何となく日本語」を流しておいて字幕すら付けないケースもありました。こうした例は悪質だとはいえ、あくまで「添え物」的だったのですが、今回の『ダ・ヴィンチ・コード』では明らかに映画の重要な要素になってしまっています。

 そんなわけで、カンヌでの試写でブーイングが出たというのは実に納得できる話だと思います。ハリウッドは、自国に危ない宗教保守派を抱えているくせに、正統カトリックをバカにした映画を作り、しかもその中ではヨーロッパの風景も言語もバカにされている、そう受け止められても仕方がありません。

 他にも、長年の間、アメリカによる軍事的植民地的な支配にプライドを傷つけられてきたフィリピンでは、この映画に対して激しい抵抗があったと聞きます。またアメリカでは余り報道されていませんが、日本の共同通信電によれば、パキスタンのイスラム系のグループが「マホメットも尊敬していた預言者キリストを冒涜した」として映画への反対デモを行ったそうです。こうした動きは、私には何となく分かるように思います。宗教を相対化するのは勝手だが、そこに異文化蔑視の視線が混じっているとなると、世界中の人を納得させるのは難しいということではないでしょうか。

 以上、やや辛口の評価になりましたが、最初に申し上げたように映画としては及第点だと思います。私の行ったシネコンでも、映画が終わってクレジットが流れる中、若いグループが「面白かったじゃないか」とか「こんなのジャンクだわ」などと論争していました。言っている内容は賛否両論ではあっても、その「はしゃぎぶり」からすると、なんだかんだ言って二時間半楽しんだのは明らかでした。

 この映画を観るに耐える作品にしているのは、やはり主役二人、トム・ハンクスと、オドレイ・トトゥの演技でしょう。非常に親密であり、堅い信頼関係で結ばれていながら、安っぽい男女間の感情ではない何かを通している、そんな「ケミストリー」が演技を通じて表現されています。それが、物語の中核にある荒唐無稽なファンタジーに不思議な現実味を与えているのです。このお話に最低限必要なこの点だけは、演技と演出によってキチンと押さえられている、その意味では、一見の価値のある作品だとは言えるでしょう。

村上龍RYU'S CUBAN NIGHT