海外レポート/エッセイ
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冷泉 彰彦(れいぜい あきひこ)   作家(米国ニュージャージー州在住)
1959年東京生まれ。東京大学文学部、コロンビア大学大学院(修士)卒。
著書に『911 セプテンバーイレブンス』『メジャーリーグの愛され方』『「関係の空気」「場の空気」
アメリカは本当に「貧困大国」なのか?』。訳書に『チャター』。
最新作は『「上から目線」の時代 (講談社現代新書)』。
またNHKBS『クールジャパン』の準レギュラーを務める。

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第551回 「坂の上には「次の坂」があるだけではないのか?」
配信日:2011-12-31
 多難であった2011年が終わり、更に多難が予想される2012年がやって来ます。外部環境の変動が激しい時代には、変動に対応するための変化が必要で、その変化に失敗した時にはダメージは非常に大きいわけで、その変化の方向性やスピードが問われるということでは、2011年より2012年はより厳しいものとなるでしょう。

 そこで思い起こされるのが、先日最終回を迎えたNHKのドラマ『坂の上の雲』です。私は、この最終第三部については、最終回の中で、漱石に「大和魂」に関して下手な皮肉を言わせ、それが正岡律(子規の妹)のセリフを通じて否定されてしまうエピソードが全く承服できなかったので、「?」が残りましたが、それ以外は映像化として見事であったと思います。

 この「坂の上の雲」ですが、明治という時代は「坂の上」の「雲」を目指して上昇した時代だという上昇史観に加えて、登ってみたら「雲」が見えただけで後は太平洋戦争の破綻目指して降りるだけだったというように、司馬遼太郎氏が「坂の上」という言葉に込めた含意に関しては二重性があるわけです。簡単にいえば、生存のために合理性を武器に戦った日清日露までの日本は良いが、後はダークサイドに堕ちて亡国の自滅に至ったという考え方です。

 ですが、この第一の「自滅」に加えて、50年後に起きた中付加価値機械製品輸出ビジネスの崩壊という第二の「自滅」を重ねて考えると、そもそも「坂」に「上」があるという考えが誤りではないかと思えてならないのです。日露戦争が何かの到達点だとすれば、その「次」に日本は行うべきことから逃げたのではないか、手を抜いて更に坂を登ることを避けたのではないか、そういう考えです。50年後の産業構造の問題もそうです。

 私は技術の進歩や経済成長が無条件にプラスの価値だとは思いません。他に様々な価値、例えば社会の安定とか生存の恐怖の低減、人間関係の良化などという価値があるわけで、価値というのは複合的だと考えるからです。ですが、仮に軍事外交による危険の低減や、一人あたりGDPというものがあり、そうした指標がある通過点を過ぎたとしたら、「その次」に行くのは必然的であり、「次」に行かずに降りたり、逃げたりしてしまっては、そこから全的な崩壊が始まり、最後には社会経済が総崩れになるということはあると思います。

 つまり「坂」には「上」はないのであり、ピークに見えたものはそこに辿りついたら通過点に過ぎず、坂の上だと思っていたところからは更に高い場所が見えるはずで、そちらへ向かう新たな坂があるのです。その「次の坂」を日本は登らなかった、それはどうしてなのか、次に同じような変革期を迎えたら、どうすれば「次の坂」へと改めて歩を進めることができるのかというのは、重要な問題だと思うのです。正に2011年から12年にかけて考えるべき問題でしょう。

 では、日清日露が終わった時点では、日本はどのような「次の坂」を登らねばならなかったのでしょうか?

 一つは韓国との関係です。日露戦争というのは第一義的には韓半島(朝鮮半島)の争奪戦でした。これは防衛戦争という定義と表裏不可分の問題ですが、間違いなく戦争のテーマであり、賠償金が取れなかったとか、南樺太は取ったという以前のメインテーマでもあったわけです。秋山真之の筆によるという有名な『聯合艦隊解散ノ辞』にも、神功皇后の伝説を引用して韓半島の支配権を誇示した部分があり、そのことの意味は重いのです。

 では、その韓国との関係をどうすれば良かったのか? 誇り高い韓国人を遇しつつ技術供与、インフラ整備に手間暇をかけ、近代化を通じた自立能力を備えさせて最終的には自ら平和裏に独立を与えるという道筋が考慮されてしかるべきでした。現在の韓国人に対する非礼を承知で言うなら、旧宗主国としての良好な関係を築いて安全保障上の連合体に持ってゆく、そうした構想です(※注)。

 1905年から1910年という時期に、そんなことは「ムリ」というのは簡単ですが、どうして構想できなかったのかという反省は必要と思うのです。韓国を結局はなし崩し的に併合し、力の統治を行うことで日本はダークサイドに傾いて行きました。そのパターンが、日中戦争を泥沼に引きずり込んだとも言えるわけで、そうしたトレンドに流されていったというのは、「次の坂」から逃げて低い方へと堕ちていったとしか言えないからです。

 もう一つは国内の貧富の格差です。日露戦争の結果としてロシアでは革命が起きてソビエト連邦が成立、実質的には独裁制ですが労働者の格差是正を政権の正統性に掲げた勢力が世界史に登場したわけです。以降の日本は、シベリア出兵によって革命への干渉を行う一方で、国内的には革命が起きるのを恐れて治安維持法を施行するなど、これもまたダークサイドへと傾斜して行きました。その結果として、実現可能な格差是正策の選択肢、つまり社会民主主義的なシステムの導入はできなくなっていったわけです。

 三つ目は対欧米の外交です。第一次大戦の結果、日英同盟は発展的に解消して日本は国際連盟の常任理事国となりました。確かに国際連盟は後の国際連合とは違って、PKFやPKOの編制ができないとか、新興勢力の一方であるアメリカが加盟していないなどの問題はありました。ですが、だからこそ日本は常任理事国として、英仏との連携を軸にそこにアメリカを引っ張り込み、恐慌対策も、対ソ戦略も、対ファシズム戦略も連携していくべきだったのです。それに失敗して、経済がボロボロになり、対ソ外交が宥和的になり、こともあろうに独伊の「負け組」についてしまったわけです。

 勿論、米英は人種差別的だったかもしれません。アメリカでは日系人への深刻な差別があったのも事実です。ですが、相手がバカだからと喧嘩を売ってしまい、結局は負け組について国を滅ぼしたということには弁明の余地はないと思います。そのことへの自己弁護ではなく、強烈な反省がなければならないと思うのです。

 歴史に「IF」は禁物だというのは、一つの事象が変わったからと言って、全体の変化は期待通りにはならない、つまり歴史というのは不可逆である以前に大変に複雑なものだからです。ですが、仮にそうであったにせよ、20世紀の初期の日本が「東アジア政策、国内格差、対米英関係」の三点でダークサイドに入ることがなければ、日本の歴史は変わっていたのは間違いないでしょう。

 問題は、2011年から12年にかけての「現在」、「次の坂」に向かうのかどうかを考えるということは、20世紀の初頭に日本が直面した困難とは、質こそ違え難しさという点では変わらないように思われることです。

 日本社会は恐らく、戦後という「坂の上」に1989年頃には着いていたのだと思います。そこが「次の坂」を見据えて更に登ろうとするのか、雲だけを見つめて降りてゆこうとしたのかの岐路だったのでしょう。不動産バブルの崩壊と金融危機というのは、その「降りる」きっかけにはなりましたが本質ではないと思います。あくまで、一つの頂点に来て、そこからの道を間違ったのです。

 ただ、50年後の日本は日独伊の同盟を結んだり、真珠湾攻撃をしたり破滅を決定づける選択はまだ行なっていません。東日本大震災とエネルギー危機という国難は、下手をすれば「下降」を加速するきっかけになり得ます。ですが、まだ深刻な転落のモメンタムはついてはいません。2011年から12年の現在でも十分に「次の坂」への道へ進路を変更することは可能だと思うのです。

 では、この「次の坂」とは何なのでしょう?

 こちらも三つ挙げられると思います。一つは、ポスト産業化社会を実現することです。モノではなくサービスを含めたシステムの提案、国際化され精緻化された信用体系としての金融、効率だけではなく美学やメッセージを込めた高付加価値製品の創造、サービス業における「マネタイズされた」高付加価値の創出、長期的な経済合理性に基づく環境やエネルギーの革新的技術・・・自動車やテレビという機械を売るビジネスの「次」にはそうした産業への移行が必要でした。

 モノを作るにしても、民生用の航空機や薬品、バイオ製品、医療用機器など「次」のレベルへ堂々とコマを進めるべきだったのです。そうしたポスト産業化社会、あるいは高付加価値製造業へのシフトは、教育システムにおける「育成の方向」の変化がなくては可能にはなりません。総合学習的な教育は、読み書きソロバンの到達度を「向上しつつ」、それに加える形で行うべきだったのです。

 思えば、2011年に噴出したオリンパスや大王製紙の事件、いまだに国際会計基準の意義が理解されない状況といった問題は、日本社会が「成文法」や「形式的なコンプライアンス」には敏感であるにも関わらず、その上位概念である「常識」や「原理原則」「価値観」の一貫性という点では未成熟かつ未統合な社会であることを示しているように思います。こうした問題に対することは、ポスト産業化の社会へ進むこととパラレルに考えるべきであり、正に教育から社会制度、ジャーナリズムなど広範な分野における成熟が要求されているように思います。

 第二は、少子化の克服です。女性の社会的な権利を徹底的に向上させることがまず政策として必要です。更に、前提としてのカルチャーの問題として「子として育てられた経験から親になることが自然に受け入れられる」こと、「一人目の子を産み育てた経験の幸福感から自然に第二子以降を切望する」こと、「子のない人も含めて、社会全体として次世代を育成する喜びに触れる」ことといった、社会が世代の再生産を行えるような精神的ファンダメンタルズの再建が必要となると思います。言い換えれば、健全な自己肯定感の回復ということです。

 三点目は、軍事外交です。東アジアというのは、世界のGDPの大きなシェアを占めているにも関わらず、公選された正統性を持たない統治が行われ、汚職や自然破壊など行政の誤りを正してゆくジャーナリズムも禁止された異様な政体が大小2つ存在している地域です。しかも、その両国は自発的に開かれた社会を目指す気配はないまま、周辺国との軍事的な対峙を続けています。

 問題は特に中国であり、この巨大な社会が内部的な混乱も、対外的な暴発もせずに、開かれた安定成長の社会へと「ソフトランディング」してゆくことができるか、日本の経済的な安定も、軍事外交上の安全もこの一点に大きく左右されて行くと思われます。では、中国が「ソフトランディング」するために、日本はどんなスタンスを取ればいいのでしょうか?それは、共存共栄の経済関係を拡大しつつ抑止力のバランスを守る中で、ゆっくりと穏やかにしかし一貫した形で「オープンな社会の優位性」というメッセージを出し続けることだと思います。

 メッセージは強すぎてはなりません。強すぎるメッセージはコンフリクトの回転エネルギーを増すだけで、結果的に互いをダークサイドに押しやる危険があります。弱すぎても同じ危険があるのです。中国を成熟させることができるかどうかは、日本とアメリカがいかに成熟した対応を堅持するかに相当な部分はかかっています。

 年の瀬を迎えたアメリカでは、楽観論が社会を支配しています。過去三年間ロクなことがなかったのだから、2012年は良い年になるだろう、そんな循環的な発想で楽観論に行けるというのは、やはり恵まれた社会なのでしょう。逆を言えば、アメリカは本質的な自己変革を必要としていないし、そのつもりもないようです。膨大な若年人口を抱えた若さというのが、その背景にあることを思うと、仕方がないことだとも言えます。良く言えばまだ「若い国」なのです。

 思えばオバマのスローガンであった「チェンジ」というのは、理念的なものだとしても「アメリカが本来のアメリカに戻るべき」とか「アメリカは、よりアメリカであるべき」という「原点回帰」のメッセージであり、アメリカがアメリカであることから変わってゆくなどという発想はゼロだと思うのです。

 そんなアメリカから見ていると、1905年の「坂の上」のドラマや、同じように変革期を迎えて動揺する現在の日本は、全く別の世界のように思えてなりません。1905年の日本も、2012年の日本も、日本が日本でなくなるような方向転換が求められており、そうでなくては生存できない、それほどの変革期に直面しているのです。そこを「下降」へと逃げることなく、苦しみ抜いて「次の坂」に静かに歩みを進める、そうした時期なのだと思います。

(※注)この問題に関しては、サントリー学芸賞を受賞した瀧井一博氏の『伊藤博文〜知の政治家』(中公新書)が興味深い学説を提出しています。晩年の伊藤は、一度は韓国の併合に反対しつつ韓国に近代化を自ら進めるよう説き続け、それが失敗したことで併合案の追認にポジションを移動させたというのです。

村上龍RYU'S CUBAN NIGHT