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from 911/USAレポート / 冷泉 彰彦
冷泉 彰彦(れいぜい あきひこ) 作家(米国ニュージャージー州在住)
1959年東京生まれ。東京大学文学部、コロンビア大学大学院(修士)卒。
著書に『
911 セプテンバーイレブンス
』『
メジャーリーグの愛され方
』『
「関係の空気」「場の空気」
』
『
アメリカは本当に「貧困大国」なのか?
』。訳書に『
チャター
』。
最新作は『「
上から目線」の時代 (講談社現代新書)
』。
またNHKBS『クールジャパン』の準レギュラーを務める。
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第468回 「日本企業の英語公用語化を考える」
配信日:2010-07-03
ファーストリテイリングと楽天という、好業績を上げている著名な企業が英語を公用語にしようとしている、このことは何を意味しているのでしょうか? また英語の公用語化というのは効果があるのでしょうか? まず、結論から申し上げれば、この動きは当然すぎるほど当然であり、むしろ日本の企業社会全体としては遅過ぎるとも言えると思います。以下、その理由を申し上げることにします。
まず、この2社の場合もそうですが、組織論にせよ、マーケティングの技術にせよ、製造ノウハウにせよ、日本企業に「強み」があるのであれば、それを英語で理論化し、全世界で実践可能なノウハウとして確立しておくことは急務だと思います。日本の市場は今後収縮します。それは、デフレであるとか、空洞化という問題だけでなく、団塊二世が出産年齢から最終的に卒業することで、あと数年で年間出生数が70万人台に落ちてゆくという超少子化が避けて通れないからでもあります。
従って、世界に通用するノウハウを持っている日本企業は、好むと好まざるに関わらず海外市場に活路を求めて行かねばならないでしょう。そのためには、今持っている強みを「強みのあるうちに」英語化しておくことが急がれると思います。私は、数年前まで、例えば製造現場における「もうちょっとシャリシャリ感の残るように仕上げて、接触面がザラッとする感じに……」とか「ピタッとなるちょっと前のガタピシ感の名残りがカタって感じで残るぐらいの遊びが……」なんていうノウハウは結構重要な話で、その日本語で表現したノウハウを標準化して「ものづくりMBA」みたいな教育で世界中から優秀な若者に日本語を学ばせて日本で育てる、その延長で日本語を少なくとも生産管理技術の標準語にできたら、などということを考えていました。
ですが、ここ数年のデジタル技術の進展、そして自動車という商品が再定義される中での「モノの作り込み=付加価値」という神話の崩壊を受けると、そうした「日本語ならではのノウハウ」もデジタル化して仕様の客観化や標準化をしてゆくことになり、そうなると日本語での伝承というようなことも、必要がなくなってゆくように思います。例えば、今回の不況で、自動車メーカーなどは海外生産拠点から生産管理担当などの駐在員をどんどん呼び返していますが、それはコストダウンのために仕方なくやっているというよりも、英語化を通じたノウハウ伝承が成果を挙げている証拠と言っても良いように思います。
例えば、家電や自動車における韓国勢の進出という事実も、様々な形で日本の製造業のノウハウが移転していっただけでなく、そのノウハウを英語化して、各国市場に最適化したり、海外での生産性を向上していったりということにおいて、韓国勢の方が優秀だったということだと思います。この面での敗北を認めるならば、残っている競争力を英語化するというのは当然の選択でしょう。
今回話題になっている、楽天やファーストリテイリングに関して言えば、それぞれに世界に通用するノウハウを持っているという自信があり、それを世界に本当に持ち込むためには「必要に応じて英語化して持ち出す」のではなく、最初からノウハウを英語化しておく方が賢明という判断になったのだと思います。それは当然だと思います。
第二の理由は、非英語圏への進出です。例えば中国、例えばインドといった大市場に進出するとして、勿論日本と同じように顧客とのコミュニケーションやサービス提供は現地語で行うにしても、各国のオペレーションも現地語対応していては、効率が何重にも悪いことになります。日本に本社を残すとして、中国やインドの現地法人とのコミュニケーション用に中国語やヒンドゥー語の要員を置くというのは非効率ですし、というよりも、インドは勿論、中国でも多国籍企業の中では英語でのビジネスが主流になりつつあるわけで、こうしたマーケットへの対応ということでも、英語での経営ということは必須でしょう。
人材面でも、例えば日中バイリンガルの人材を日本と中国に置くというコスト、そしてそもそも日中バイリンガルの人材を探す手間を考えれば、日本のオフィスも中国のオフィスも、細かなコミュニケーションから大方針の確認まで全て英語で完了する体制の方がずっと簡単です。というよりも、中国の市場に精通して中国での業務ノウハウを持った一流の人材であれば、自動的に中英バイリンガルだということも言えると思います。それよりも何よりも「日本語の壁があって出世できない」と思われている現状を変えなくては、本当に優秀な人材を集めるのは難しいでしょう。
第三の理由は、国際標準という問題です。例えば、今回のW杯でピッチ脇のカラーパネルによる協賛広告を出すスポンサーとしては、日本勢がソニー1社になってしまい「寂しい」という声が聞かれます。ですが、こうした現象は日本企業が「国際会計基準」にある「ブランドとは永続する価値」であり、そのブランド価値を向上させるための広告宣伝費や研究開発費は資産計上して良く、経費としては「売り上げに比例して後日計上すればいい」という思想をほとんど理解していないからなのです。
例えば、ナイキがタイガー・ウッズをキャラクターにして世界での知名度を一気に拡大したのも、スターバックスが短期間に世界中にブランド認知度を浸透させたのも、そして今回のW杯で中国のソーラーパネル製造メーカー「英利(インリ)」が一気に世界に名前を売ったのもこのためです。こうした企業は「大赤字を許す寛大な投資家」に恵まれたのでもなく、「バクチ好きなリスキーな経営者」が率いているのでもありません。単に国際会計基準とMBAの経営セオリーに従って行動しているだけなのです。
一方で、日本では広告宣伝費というのは「税金対策」であるとか「固定費」といって敬遠され、不況になればどんどん削減される対象にもなっています。自動車で現代に負け、家電で三星・LGに負けている大きな原因もこの問題です。折角国際会計基準が導入されても、そうした前向きの戦略的なメリットには目を向けず、「国際基準を拒否したいができないので、制度やシステムの組み替えにヒーヒー言っている」というのが日本企業の現状だと思いますが、こうしたバカバカしいことを根本から変えるには、やはり相当に細かな実務まで英語化して、英語で動いているグローバルな世界と直接やり合うしかないのだと思います。
企業法務なども、これから多国籍での知的所有権のプロテクトといった問題は、益々高度化してゆくでしょう。環境規制なども国境を越えていく話です。それ以前の問題として、日本の国内のキャッシュが「郵政」や「国債」に氷漬けにされる一方で、そもそも金利規制などでハイリスクのマネーへのファイナンスなども困難になっています。ということは、投資を引っぱってくることも、海外から英語でというのが当たり前な時代ということだと思います。
日本の過剰なまでの「お客様は神様」という風潮の中で、労働コストがデフレ化する悪循環というのも、これを断ち切るにはもしかしたら、何もかもを英語にするのが早いのかもしれません。ワークライフバランスにしても、英語で経営して組織の上から下まで外国人を入れてみた方が早く実現して、生産性も上がるのかもしれません。本来はそうではなくて、日本人が日本語で組織を改革する中で実現しなくてはいけないのですが、もしかしたら "Have a nice weekend!" というフレーズが「お先に失礼します」に取って代わるような「ガイアツ」が必要かもしれない、真剣にそう思います。
さて、このニュースを受けて、ネット上では反対意見もずいぶん出ているようです。典型的なものは、内田樹氏がブログで書いておられた「「仕事はできるが英語はできない」という人間よりも「仕事はできないが英語ができる」という人間が高い格付けを得ることになる。」という懸念でしょう。勿論、ミクロの局面ではそういう「言語能力と中身のねじれ」という現象は起きるでしょう。ですが、これも結局は乗り越えて行くしかないのです。「言いたいこと、言うべき価値のあること」があるのであれば、自分の方が「中身がある」と信ずるのであれば、それは言って行かなくてはダメなのです。
相手が間違っているにも関わらず英語が下手なので自分が不利になったという経験をはね返すためには、英語が上手になるだけでなく、胸を張って相手に対することと、中身と説得の論理を磨くことが必要です。その能力こそ、国際社会で真っ先に必要なスキルなのです。W杯という大ステージのピッチで、必要に応じて審判や相手チームの選手と胸を張ってコミュニケーションしていた、長谷部、本田、松井といった選手の姿を考えれば、いやそれ以前に、中田英寿という人がイタリアやイングランドで、そして勿論W杯のピッチの上で(ピッチ外の交渉やメディア対応なども含めて)どんなコミュニケーションをしてきたかを考えれば、そのことは一目瞭然だと思うのです。
実際は日英バイリンガルである小飼弾氏は、もっと複雑な懸念を表明しておられます。同氏の主旨を私なりにまとめてみると、要するに「社長以下、上へ行けば行くほど英語が上手な会社なら上手くいくが、実際は下へ行けば行くほど上手いというのが現実で、そうであれば公用語化しても社内がギクシャクするだけ」というのですが、個人的にはたいへんに良く分かります。政治家の前で「遠慮してわざとカタカナ英語」にする外務官僚の処世術などを重ねてみると、ある種の痛々しさすら感じる話です。「オレより上手な英語で偉い人と対等に雑談する」平社員を黙って受け止める度量など、日本の管理職に「あるはずがない」ではないか……小飼氏はそこまで身も蓋もない言い方はしていませんが、内田氏の問題提起よりももっと深刻な観点だというのは良く分かります。
ですが、この問題も日本企業は乗り越えていかねばならないのです。問題というのは、日本企業の持っている「風通しの悪さ」、つまり最新の技術や市場情報を持っている現場や若手から、情報が上がって行かないという問題、あるいは「最新のネガティブ情報」が「イヤなことは聞きたくない」「お前のミスはお前が片付けろ」という幹部の怠惰な表情故に即座に伝わっていかないという問題です。そうした上下関係の退廃と言いますか、ヒエラルキー組織の悪しき部分が、コミュニケーション不全として起きている、ここを乗り越えるには、もしかしたら「上下関係規程力の強い日本語」を追放する方が手っ取り早いのかもしれません。
特に日本語の中には「場の空気」といって、共有化されている情報は極端に省略した会話スタイルがあり、往々にして「無言の空気」が強力な同調圧力となって「異議申し立て」や「複数案の冷静な検討」が難しくなるという問題があります。この特徴を悪用して権力を振りかざす年長者が、問題を先送りして企業を破綻に追い込む、そんな問題も、この際「英語化」を進めることが一番の対策になるのかもしれません。
悪いのは年長者だけでもないのです。例えば、最近の若い世代では異常なまでに「謙譲語」が発達しており、一対一の局面で他人の表情に自尊心の突出が見えると、その瞬間に上下関係のある場合は「へりくだって」自分を防衛する、集団の中では「空気を読んで」多数派に同調する、といった言語運用が身についてしまっているようです。
勿論、日常生活の中では、正に言語というのは生き物であり、時代の流れによって言語が変わるというのは、個々人ではなかなか抵抗しがたいものがあります。ですが、企業という機能と目的をもった組織においては、年長者のパワハラ的な話法にしても、若者の過剰防衛・過剰同調にしても、生産性が阻害されることは顕著だと思うのです。この問題に関しては、日本語を意識的に改革して、お互いの人格を個として認め、改めて事実や因果関係のロジックに集中するようにすることも大事ですが、英語化することの方が簡単ということもあるのかもしれません。
一つだけ言っておきたいのは、母語が日本語である同士の一対一の会話まで英語にする必要があるか、という問題についてです。大勢の人間がいる場で「日本語の言外の空気」を振り回して異議を封じるのは権力的なコミュニケーションですが、一対一の良好な関係においては、日本語の「関係の空気」がしっかり機能することは日本語話者としては、精神のストレスを低減して自然な人間関係を構築するには必要だと思います。コミュニケーションの生産性ということでも、お互いに外国語である英語で一対一のぎこちない会話をすることは勧められません。
ですが、仮に「部下から上司への異議申し立て」であるとか「専門知識の少ない管理職が、専門用語で武装した部下の企画書に感じられた危険性に必死にツッコミを入れる」といった局面では、怪しい「空気」で押し切られないようにムリにでも英語で会話してみる、その際には相手も拒否できないというような「試行」をしてみるのも面白いと思います。とにかく、ここまで日本語「だけ」の文化を押し通して超成熟化した日本で、その行き詰まりを打開する手段として「英語」というのは、様々な効用があるのではないでしょうか。
小飼氏がブログで紹介しておられた情報によれば、恐らく楽天の内部からの「告発」として「社員食堂のメニューが英語」になり、うどんが「UDON」になっているというのです。実際にTVのニュースでも紹介されていましたから、その「英語メニュー」というのはホンモノのようです。その「告発者」は、そこには「何でも英語にすれば」という追随は、経営者を「裸の王様」にしている、あるいはせめて社食ぐらい「日本語でくつろぎたい」という「違和感」を表明していました。しかし、こうした批判にも耐えなくてはいけない、そう私は思うのです。
日本独特の食べ物であればあるほど、英語で外国人に紹介して行く姿勢は必要だというのが一点、そしてビジネスだけでなく「食べ物などの雑談」つまり「人々がくつろげる時間での英会話」こそ上級編であり、ここをしっかり身につけて行かねば、人材の国際化もないからです。バブルの時期にあった「円高対策としての第一次国際化」の時代には、例えば「社歌の歌詞を英語にしてアメリカの現地法人で歌わせた」とか「社訓の中の和製英語を(経営者が変えるなと言うので)そのまま使ってチンプンカンプンだと言われた」などという悲喜劇がありましたが、そうした愚かな話とは次元が違うと思います。
社食のメニューまで英語というのは、真剣に外国人社員を受け入れ、日本人社員と対等に競争させるというメッセージであり、雑談のレベルまで一緒にチームワークを作ってくれという切羽詰まった経営判断だと思うのです。そもそも狭義のビジネス英語などというのはそんなに難しくないのです。自由な話題での雑談の部分にこそ、お互いが信用するに足りる人間性を持っているかを見極める真剣勝負がかかっているわけで、その部分まで鍛えなくては戦っていけないのです。一国の総理がG7で会話から外れてポツンとしていたなどというのは、決して許される話ではありません。
今週は株主総会の集中日で、企業の役員報酬の開示などもありましたが、英語での経営者の「労働市場」の影響を受ける外国人役員は高額で、日本人役員とは大きな差があることが改めて浮き彫りになっています。日本人経営者の中で、他の経営者との国際競争の中で正当に評価されたいという人は、やはり英語でのビジネススキルを証明していかねばならないでしょう。逆に世界の水準が間違っているという主張をしたいとしても、その主張は英語でなくては世界には届かないと思うのです。
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