海外レポート/エッセイ
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冷泉 彰彦(れいぜい あきひこ)   作家(米国ニュージャージー州在住)
1959年東京生まれ。東京大学文学部、コロンビア大学大学院(修士)卒。
著書に『911 セプテンバーイレブンス』『メジャーリーグの愛され方』『「関係の空気」「場の空気」』。
訳書に『チャター』がある。
最新刊『アメリカは本当に「貧困大国」なのか?』(阪急コミュニケーションズ)
第449回 豊田章男社長の公聴会パフォーマンスへの期待」
配信日:2010-02-20
 米議会の公聴会には、豊田章男社長自身の出席が決まったようです。私は良かったと思います。というのは、他の選択肢は全く有り得なかったからです。日本の報道によれば、米議会が招致に踏み切ったのが理由のようですが、アメリカのNBCなどは(好意的だからなのかどうかは分かりませんが)、例えば18日の「ナイトリー・ニュース」でブライアン・ウィリアムスが「豊田社長が翻意して出席に踏み切った」と述べおり、招致を受けての出席とは一言も言っていませんでした。

 真相はともかく、こうした場が設けられたのは良かったのです。ここに至る事情は忘れて、改めてこの場を積極的に生かして、自身の立場と信念を訴えるべきです。何故なら、それが米国経済と日本経済にとって最善だからです。今回の公聴会というのは、議会の追求をかわし、米国運輸当局による規制や処罰を軽くするという交渉の場ではありません。事態はそんなレベルを超えています。どうしてトヨタはクルマを作るのか、どうしてトヨタは米国でクルマを販売しているのか、その歴史的、文化的意義を、日米の社会に訴える場、そのように位置づけなくては成功の可能性はありません。

 この公聴会は「劇場型」になる可能性があるから「危険」だ、そんな声も耳にします。ですが、世界最大の生産能力を誇る自動車会社と米国議会が対決するのですから「ドラマ」を期待するなというのが無理です。であるならば、豊田社長は主役として、その役割を演じきるべきです。一人の経営者がそのように一市場の立法府に相対するという習慣は、日本の企業文化にはありません。ですが、参加する以上は主役を演じ、観客を味方にする最大のパフォーマンスを展開すべきです。これは五輪のフィギュアと同じです。フィギュアと同じく、観客(世論)とジャッジ(下院議員)を味方にしなくてはいけないのです。そのためには、自ら積極的にメッセージを発信すべきです。

 どうして、そんなメッセージを述べなくてはいけないのか? それは、アメリカの地で、外国の会社が大量に自動車を販売し、米国の地元企業のシェアを奪い、しかも最大の会社を破綻に追い込んだということには、例外的なことだからです。勿論、そこには必然があります。圧倒的な必然があったのです。ですが、例外的なことだというのは事実です。例外的なことは、時に激しい揺り戻しに会うことがあります。今回は、その良い例です。その激しい揺り戻しに対抗するためには、自身がどうしてクルマを作り、アメリカで売っているのかという原点を述べなくてはなりません。

 その原点をアメリカ社会に納得させることができれば、例外は例外でなくなります。クレームやリコールも、個々の問題として理解がされるようになるでしょう。逆に、議会公聴会のような全国的に注目を浴びる席で、改めてアメリカの会社ではないトヨタが、こうして米国で大きなシェアを持っていることの異質さが浮き彫りになれば、揺り戻しはもっと激しくなり、問題はトヨタ以外の日本車勢にも及ぶでしょう。

 以降は、豊田社長が出席したと考えて、冒頭陳述として述べるスピーチの企画案です。勿論、私はトヨタの人間ではないし、トヨタから委託を受けたわけでもありません。また法律の専門家でもありません。今回の問題に、とりわけ来週に迫った公聴会をどう受け止めるかという視点での議論を幅広く喚起できればという思いで、提示してみただけのことです。当然のことながら、以下の内容が仮に公聴会での問答の参考になったとしても、そのために何らかのマイナスの影響が出たとしても、一切責任を負うことはできません。

 ただ、一つ申し上げて置きたいのは「とにかく質疑だけクリアすれば良い、聞かれていないことをこちらから言う事は必要ない」というのは間違いだということです。また、冒頭には挨拶だけで、いきなり質問を受けて相手の土俵で勝負してはいけません。まず言いたいことをしっかり言って、自分が主導権を握るべきです。これは米国議会です。日本の国会で、妙なリボンを胸につけられて怒号の中で参考人招致に応じるのとは違うのです。乗り切ればいいのではありません。攻めて攻めて自分の勝利をつかむべきなのです。そうすれば勝てるからではないのです。そうしなければ徹底的に負けるからです。完膚なきまでに叩きのめされるからなのです。ゲームのルールがここでは違うのです。

(1、絶対に謝ってはならない)
 謝罪は禁物です。お詫び(アポロジー)という言葉も、済まない(ソーリー)という言葉も禁句です。こうした言葉は、明確な悪意や顕著な過失があり、いかなる責任を負わされても構わないと宣言するようなものだからです。具体的には、損害賠償だけでなく、株主代表訴訟からリストラ時の労働訴訟まで惹起しかねません。ちなみに、豊田社長に関しては、日本での記者会見では謝っており、お辞儀のシーンがアメリカでは何度も報道されています。この点に関しては、文化の違いを説明すべきです。

 日本では、問題が生じたら謝罪が誠意の表明であり、謝罪した人間を民事上追い詰めるような文化はないことをハッキリ述べるのです。その上で、アメリカでは民事訴訟の場合に、双方が論理を尽くして利害を調整する文化があり、その文化を自分は尊重する立場でここへ来ている、そう言明すべきです。従って、自分はこの場で謝罪はしないし、日本での謝罪がアメリカでの法的な立場を不利にするとも思っていない、仮に日本での自分のお辞儀を揚げ足を取るように、あたかも自分が不誠実であったことを認めたかのような解釈をするのは許さない、この場でもそうだ、そう言い切るべきです。

 その上で、自分は何よりもトヨタ車を愛してくれる米国ユーザーのために、米国トヨタの工場やディーラーで働いている人々のために、その期待を裏切らないように、その信用を裏切らないように、これからの公聴会では(法的に許される限りにおいて)誠実に全ての質問に答える、そう宣言すべきです。更に、このような公的な場で、自分の立場を説明する機会を得たことへの感謝を口にすべきです。

 アメリカ人は人を待たせた時に「待っていて下さってありがとうございました。"Thank you for waiting."」と言います。とにかく、日本では謝罪しなくてはならない場面で、逆に謝意を述べることが誠意になるのがアメリカです。もっと言えば、やたらに謝るだけでは「謝罪を喜ぶような安っぽい人間だと相手を見下している」あるいは「ひたすら頭を下げていれば許されると思っている」そう思われることもあるのです。お辞儀などもっての外です。

(2、米国の自動車文化の歴史への敬意)
 戦前の米国で実用化された自家用車の基本技術が、トヨタに取ってお手本であり、長年の憧れであったこと、自動車先進国である米国への敬意をしっかり述べるべきです。日本語では歯の浮くような台詞で構いません。言って損をすることはありませんし、章男社長の祖父にあたる喜一郎氏がどうして自動車製造に情熱を持ったのか、そのパーソナルなストーリーを語るべきです。場合によっては、自分の米国留学の経験に照らして、明らかに米国に学んだこと、米国文化の尊敬できる点などがあれば、それも述べるべきでしょう。

(3、米国雇用への貢献、米国側協力者への謝意)
 ここが一番肝心の部分です。自分たちは、苦労して米国での現地生産に踏み切ったが、米国側の協力者の素晴らしい支援を得て、それを成功させることができた、そうしたストーリーで一貫すべきです。日米自動車摩擦があり、両国の外交交渉の結果として日本の通産省の指導を受けて輸出自主規制をして、更に現地生産に乗り出した、そんなことは言うべきではありません。為替の問題が背景にあったことも言うべきではありません。

 そうした「謝意」のストーリーの中で、いかに自分たちが現地生産比率を高めてきたか、現地部品調達率を高めてきたかを、しっかりとアピールすべきです。しっかりと具体的に数字を示すべきで、場合によってはグラフを使うのも良いでしょう。ですが、それを誇ってはいけません。堂々と数字を見せながら、言葉の上では、米国雇用を創出した自分たちを誇るのではなく、自分たちのクルマづくりの思想に共鳴してトヨタの一員になってくれたアメリカの人々への感謝を繰り返すべきです。

 その際に、質問者として予想される下院議員の選挙区をしっかり調べておくことも大事です。彼等や彼女らの選挙区にトヨタの工場があればその工場、工場がない地域でもディーラーはあるでしょうから、そのディーラーを調べておいて、何人働いてもらっているとか、何台クルマを作ってくれた、あるいは売ってくれた、売るだけでなくアフターサービスもしてくれている、そうした情報を入れるべきでしょう。ここでも、そのことを誇ってはいけません。ひたすらに感謝をするのです。相手は任期満了の近い下院議員ですから、選挙区の雇用の話をされて、しかも有権者への謝意を言われれば、絶対に悪く思わないはずです。

 中には、GMやフォードの工場を抱えた選挙区の議員もいるかもしれません。その場合こそ、その選挙区でのトヨタのディーラーを思い切り持ち上げるべきです。その延長で、各選挙区の有権者におけるトヨタのユーザー数を推定して、お客様への感謝を述べるのも良いでしょう。その上で、各議員の選挙区にも存在する膨大な数のトヨタのユーザーを不安にさせたことへの遺憾の意を表明すべきです。そこで、この公聴会が、そうした膨大な数のユーザーの不安感情に応えるために開催されていること、そうした機会が与えられたことにも徹底的に感謝すべきです。

(4、電子化への否定論を排す、米国の半導体技術への謝意)
 今回の問題を二つに整理すべきです。一つは、メカニカルな問題、もう一つは自動車の運転メカニズムの電子化に関して、ユーザーインターフェースに関するコミュニケーション技術が発展途上のために起きた問題、この二つであるとまず、そう宣言すべきです。その上で、メカニカルな問題は、フロアマットの問題、アクセルペダルの問題と原因の究明が終わり対策がどんどん進んでいるとして、関係者への謝意を述べるべきです。その上で、電子化の問題について、まず「自動車の操縦メカニズムの電子化は、信頼性の向上と省エネルギーのために必要な技術」だということをハッキリ述べるべきです。

 その上で、こうした設計は例えば米国の誇るボーイングの「フライ・バイ・ワイヤ」といったハイテク航空機の思想に学んだものであるし、半導体や電子部品の基本的なアイディアの多くは、アメリカの優れた科学技術研究の成果であると強調すべきです。その上で、自分たちは「電子化した自動車もお客様にはトラディショナルなメカ式の操縦システムを持ったクルマと比べて違和感のないように」徹底的に設計を詰めてきた、そう説明すべきだと思います。

 例えば電子化したクルマの場合は「ブレーキ・オーバー・ライド」システム(アクセルとブレーキが同時に踏まれた場合にブレーキを優先する)など、メカ式ではできなかった対策が可能であるが、トヨタはトラディショナルなクルマとの違和感を嫌うお客様の声を尊重して採用してこなかった(これは私が勝手に想像したストーリーですが、もしもトヨタがそうした信念に基づいて採用してこなかったのであれば、そう正直に言うべきでしょう)と述べるべきです。その上で、今回様々な形でお客様の声、政府の指導を受けて、搭載した方が良いと言う判断ができたのは、良いことだった、そういう降参の仕方をすべきです。ここでも顧客と当局に対して徹底的に謝意を述べるべきです。

(5、プリウスの問題、回生ブレーキの特徴と、EVへの展望、共同安全基準策定委員会の提案)
 プリウスに関しては、操縦システムの電子化とは次元の違う先端技術の問題だとして、その技術の核にある「回生ブレーキ」について、チャートなどを使って説明すべきです。その「ブレーキをかけながら発電する」システムが、どれだけ省エネルギーに、そして排出ガス低減に効果があるのか、同時に、そのブレーキへの違和感をなくし、通常のクルマと同じような操作感にするために、どれだけ心血を注いできたのかを訴えるべきです。同時に、今回の問題は、これから本格化するEV(電気自動車)ではもっと深刻になるということを説明し、逆にEVやHV(ハイブリッド)などのエコカーに関する安全基準を共同で策定する委員会の設置を提案すべきです。

 協力は惜しまない、だが誤解からイメージダウンを招くことには甘んじない、また自社の技術に不利な安全基準を設定されるのは許さない、そうした毅然とした姿勢が必要です。更に言えば、HVとその中核技術である「回生ブレーキ」は今回の問題で、イメージダウンさせる必要は全くないし、逆に幅広い議論を起こすことで、お客様や政府の意見を聞いてもっと素晴らしい技術に育てたい、そう胸を張るべきです。

 以降、カローラのステアリングの問題(電気式にしたので多少軽すぎたのなら、説明不足は認めるべきでしょう)、電子式運転記録システムの情報公開の問題(公開は可能だが、事故の責任問題や違反の証拠になるようでは社会が混乱するので、あくまで安全性向上のデータ収集にとどめてきた立場を説明すべき)など、徹底的に自分たちの立場を正直に、しかし事実に基づいて主張すべきです。その上で、質疑応答の中で、聞かれたことには誠実に答え、そして受け入れなくてはならない点は、胸を張って謝辞を述べつつ受け入れるべきだと思います。法律上どうしても答えられないこともあるかもしれません。その際はどうして答えられないかを、しっかりと胸を張り、相手の目を見て説明すべきです。こうした場合でも謝ってはいけません。

 とにかく、この公聴会はオリンピックのフィギュアの演技と同じです。観客とジャッジの双方を味方にできなくては、惨めにリンクを去るのみです。靴の紐が切れた際に、胸を張ってジャッジに訴えて時間をもらい、見事にリンクに戻ってきた織田選手のリカバリーが良いお手本です。あの時に織田選手に拍手を惜しまなかった、北米の人々の素朴な心情を信じるべきです。胸を張って堂々と最後まで責任を果たす姿を見せれば、その思いはアメリカの世論に届く、そう信じて公聴会に臨むべきだと思います。

 最後に、通訳の問題ですが、何分、豊富な留学や駐在の経験のある豊田社長ですから、必要ないのであれば自分の英語で通して構わないでしょう。ですが、多少なりとも不安があるのであれば、胸を張って通訳を入れるべきです。当然ですが、議会の用意した通訳は拒否し、自動車用語と政治経済に関する、そして文化ギャップに関する理解も深い完全なバイリンガルの通訳を使うべきです。僅かな誤解や、ウィットのない乾いた表現、ニュアンスの消えた死んだ表現がこうした場では命取りになるからです。
村上龍RYU'S CUBAN NIGHT