海外レポート/エッセイ
    ※当ホームページでは、毎週火曜日にバックナンバーを追加掲載しています。
冷泉 彰彦(れいぜい あきひこ)   作家(米国ニュージャージー州在住)
1959年東京生まれ。東京大学文学部、コロンビア大学大学院(修士)卒。
著書に『911 セプテンバーイレブンス』『メジャーリーグの愛され方』『「関係の空気」「場の空気」』。
訳書に『チャター』がある。
最新刊『アメリカは本当に「貧困大国」なのか?』(阪急コミュニケーションズ)
第447回 「プリウスを守り、改めてハイブリッド時代の再スタートへ」
配信日:2010-02-06
 トヨタ車の安全性に疑問符がつけられるようになれば、いずれ「プリウスのブレーキ問題」が出てくるのは自然の流れだと思っていました。手前味噌になりますが、1年以上前のこの欄で、私は次のように述べています。

「エコカーはクリーンだから安全というのは全く間違いで、エコカーは伝統的なガソリン車と比べると安全面では不利になるのです。経済性を追求するために、追い越し加速性能などの「アクティブな安全性」が削がれるのが一つ、燃料効率を高めるために鋼板の厚さを含めて軽量化を行い、それが衝突時の「パッシブな安全性」を損なう危険があるのが一つ、更に電気モーターは特に街中の低速走行ではほとんど無音なので歩行者の聴覚に訴える形で接近を知らせることができない点もあります。電池自体も効率を高めれば発火の危険と隣り合わせですし、ブレーキも減速時の発電効率を高めるだけではなく、急停止性能を含めた新たな設計思想が必要でしょう」(JMM388号「年の瀬の疑問」2008年12月27日配信)
( http://ryumurakami.jmm.co.jp/dynamic/report/report3_1500.html )

 ここでは詳しい説明をしませんでしたが、プリウスに搭載されている「回生ブレーキ、摩擦ブレーキ併用システム」(部分的ながらエンジンブレーキも使っていますが)が現時点では完全な技術ではない、つまり実用化の途上段階の技術だということ、私がこの時点で申し上げたかったのはそのことであり、今回「ブレーキ抜け現象」として日本とアメリカで批判を浴びているのもその一部です。

 では「回生ブレーキ、摩擦ブレーキ併用システム」とは危険なものなのでしょうか?プリウスというのは、特にこのブレーキシステムの「燃費性能を追求しすぎた」現行の三代目は欠陥車なのでしょうか? 私はそうは思いません。修理はすべきですが、プリウスに欠陥車の烙印を押すべきでないと思うのです。そして、その中核技術の一つである「回生ブレーキ、摩擦ブレーキ併用システム」はHV(ハイブリッド)やEV(電気自動車)に取って、そして、その折衷として期待されているPHV(プラグイン・ハイブリッド)に取っても、重要な技術であり、今回の騒動を契機にネガティブなイメージを植え付けるようなことはあってはなりません。むしろ、よりこの技術が進化を遂げるように、そして正しい使われ方がされるように、今回の事件を教訓にすべきでしょう。

 現時点では、この点において事態は決して良い方向に進んでいません。アメリカの政府やメディアは「プリウスのブレーキは危険」という小学生のようなコメントを繰り返していますし、日本政府の姿勢も技術を進化させるのを応援するというよりは、足を引っ張っています。トヨタの姿勢も疑問だらけです。3日の水曜日に行われた会見では、トヨタ自動車工業の「品質保証担当」の横山裕行常務役員は、「1月から設計を見直した」とか「冬になって凍結路での経験からのクレームが増えて事態を認識した」などという奥歯のモノのはさまったような説明を繰り返しました。更に翌日の豊田章男社長の会見では、「危機管理コンサルタントの薄っぺらなマニュアルに乗った」ような平身低頭の謝罪が行われたのです。

 一連のトヨタの姿勢に疑問があるのは、「回生ブレーキ、摩擦ブレーキ併用システム」が今回の問題であり、その目的、短所、長所を正確に説明することなく、何もかも「自分たちが謝罪すれば良い」、「不具合が解消されるよう修理さえすればいい」というように責任を背追いこんでいることにあります。これでは、折角のハイブリッド技術をブラックボックスに閉じ込めながら、自身で信頼を失墜させるようなものです。もっと言えば、この「回生ブレーキ技術」というのは、元来は日本の鉄道技術の中核にあるもので、例えば新幹線の「N700系」に至る技術者の努力の精華です。その先輩技術の恩恵を受けて、民生用大衆車における省エネルギーという人類的な目標に貢献するべきこの技術の価値を、トヨタの経営陣は全く説明する努力を見せてこなかったし、今も逆のことをやっていると言わざるを得ません。

 もっとダメなのは、日本政府、特に前原国土交通相です。プリウスのブレーキ問題が話題になり始めてからの最初の数日間、アメリカでは「日本政府が懸念を持っている」ことを理由にプリウスの件を報道し始めたのです。この件、私は急いで問題にすることは間違っていないと思いますが、「回生ブレーキ、摩擦ブレーキ併用」技術の背景にある貴重な価値を何も考えず、ひたすらに「プリウスは危険ではないのか?」と言い続けたのは罪が重いと思うのです。

 さて、この「回生ブレーキ」ですが、簡単に言えば走っている電車や自動車に発電機をつないで減速させるというものです。電車や自動車(HVやEV)の場合はわざわざ発電機をつなぐのではなく、走行用の電気モーターに電流を流すのではなく、逆にモーターからより電圧の低いところで電流が流れるようにしてやると、モーターは発電機に変わります。この特性を利用して、ブレーキをかけながら発電を行う、これが「回生ブレーキ」です。電力を節約するのではなく、電力を作り出すのですから、エコカーの省エネ技術の中でも非常に重要なものです。

 この「回生ブレーキ」には、三つの特徴があります。一つは大変に強力なブレーキだということです。ガソリン車の感覚で言えば、パワーオフで発動機がつながっているというのは、ハイギアでのエンジンブレーキのようなソフトな感触を想像しがちですが、この「回生ブレーキ」の制動力は強力です。例えば、自転車に乗っていて発電式のヘッドライトをオンにした際に、ペダルがガクッと重くなる、あの感触を想像すると実感できると思うのですが、とにかく磁石に逆らって回転させるのですから強力なのです。

 第二の点は、高速でブレーキの「オンオフ」を繰り返すことができにくいという点です。自動車の通常のブレーキ(摩擦ブレーキ)はブレーキディスクという鉄の円盤をブレーキパッドで挟み込む構造で、万が一タイヤが滑った場合には(一部のタイヤの回転数が異常になることで検知します)ブレーキパッドを挟んだり開いたりという動作を行って、タイヤが地面から浮き上がらないようにするのです。これはABSといって元来が航空機の車輪のブレーキについていたものですが、80年代に一般の自動車に普及しています。このABSの機構は「回生ブレーキ」ではやりにくいのです。

 三つ目は、「回生ブレーキ」というのは電気の行き場がなくなると突然効かなくなるという性格があることです。電車の場合は、「回生ブレーキ」を使って制動をかけながら電気を架線に返すのですが、同じ架線の回路上にその電気を使う電車がいなかったり、そこから電気を取り出して活用する変電所がないと、「回生失効」といってブレーキは効かなくなるのです。プリウスのようなハイブリッド車の場合は、「電池が満タン」になると突然この回生失効が発生して、ブレーキは効かなくなります。ちなみに、プリウスの場合はリチウムイオン電池ではなく、ニッケルカドミウム電池を使用しているために、フル充電をすると電池寿命が短くなるので、容量の80%で止める仕様のようです。

 今回、三代目プリウスで発生した「ブレーキの抜け」は、この回生ブレーキを使って軽く制動をかけていた状態で、滑りやすい路面に差し掛かった際に起きる現象のようです。センサーが車輪の回転数にズレを検知してABSを作動させようとしたとします。ですが回生ブレーキは「頻繁にオンオフを繰り返す」ことはできないので、ABSの効果を使って車輪のグリップを取り戻すためには急遽、摩擦ブレーキを作動させなくてはなりません。一部の報道によれば、その切替に時間がかかるために0.5秒から1秒の「ブレーキ抜け」現象が起きるようです。

 このABS作動と回生ブレーキから摩擦ブレーキへの切り替えというのは、プリウスという車の開発にあたっては、技術的に一番重要なポイントだったのだと思います。たいへんな試行錯誤が繰り返され、そして「最終的にはこの仕様でいい」という決断が下されて量産に移行した、そう考えるのが自然です。(走行モードやバッテリの状態にもよりますが)アクセルオフや軽くブレーキを踏んだ状態では「回生ブレーキ」で制動をかけてエネルギーを回収して効率を高める、その際にABSが働いて摩擦ブレーキに移行する場合は、「タイムラグが起きるのは仕方がない」、そのような設計思想で車を発売したのだと思います。

 私は、その判断自体には賛成しませんが、回生ブレーキを最大限に使ってエネルギー効率を高めることというのは、そのこと自体がHVへの世界的期待であったのは間違いありません。たいへんに大きな期待があったのは事実です。そこでこのような仕様を採択したということは、理解できます。問題はその先です。トヨタはハイブリッド特有のブレーキ特性に関して、十分な説明を行っていないのです。例えば、2009年9月版のプリウスの取扱説明書を見てみましたが、ブレーキ周りに関してハイブリッド特有の挙動に関する説明は僅かです。様々な箇所で「作動音」がするという説明はあります。また長い下り坂で突然エンジン音が高くなるが異常ではないという注書きはあります。ただ、ここでも「電池が満タンになって回生失効が起きるためにガソリンエンジンの低いギアでエンジンブレーキを効かせるため」という説明はありません。

 ABSに関しては、ガソリンエンジン車のものと同様の簡単な説明があるだけです。その一方で、HVシステムの作動状況や、瞬間燃費、電池への充電具合などを示すディスプレイの説明は詳しく出ています。仮に回生ブレーキの発電効率を高める仕様にしたとしても、そのためのブレーキの挙動に関してはキチンと説明をするべきだと思います。結果的に、トヨタは、自分たちが最も心血を注いで理想を追求した部分に関して、十分な説明をしないでいわば「ブラックボックス化」してしまい、問題を指摘されても、説明なしに仕様を変えたり、迷走した対応になっています。

 一番の問題は、今回の事件をきっかけに「HV車はガソリンエンジン車とは異なった運転スタイルが必要」という啓蒙をトヨタ、そして日本政府、アメリカ政府は行うべきでしたが、それを現時点では怠っているということです。同様の性能のガソリン車と比べて、(1)凍結路や砂利道ではスピードを落す、(2)前後の車間距離は空ける、(3)駐車時や踏切、停止線、赤信号の直前などでは余裕を持ってブレーキをかけ最後は微速で正確に停止する、(4)長い下り坂の続く箇所では減速する、(5)急発進、急ブレーキ、高速コーナーリングは厳禁、最低でもこれだけの注意は必要でしょう。今回の件で、対策を講じた車でも、あるいはプリウスほど「大胆な燃費の追求」を行っていない本田のインサイトなどでも同じことです。

 更にいえば、HVから更に進化したEV(電気自動車)の場合は、そもそもエンジンがないために、回生ブレーキが失効した場合はエンジンブレーキが使用できず、摩擦ブレーキに大きな負担がかかります。ですから長い下り坂での高速走行は基本的に「不可能」ですし、だからといって、回生失効が怖いのでいつも充電を低めにしていて仮に下り坂がなければ電池切れで車は動かなくなってしまいます。電車と同じように、回生ができない場合に抵抗器でエネルギーを放棄する方法は、高熱を発するので困難です。つまり、運転計画と電池のマネジメントに何らかの工夫が必要ということが言えるでしょう。本田が燃料電池車にこだわるのは、電池はあくまで回生ブレーキのエネルギーの受け皿として持っておき、別にコンスタントな電源としての燃料電池を持つ方が全体のシステムとして安定するからという見方もできます。

 とにかく、今回の件で、トヨタのユーザーの、そして日本社会全体におけるHVやEVの技術の限界に関する認識が深まることを期待したいと思います。社会全体の認識が深まれば、市場として活性化すると同時に、これからも起こるであろう様々な問題に一つ一つ向き合うことができると思います。今回、アメリカは「プリウスは危険だからリコールせよ」という低次元の対応を政府が取っていますし、大手のメディアでは回生ブレーキに関する説明を一切していません。それどころか、電子制御そのものへの不信感を煽る非科学的な報道も見られます。日本社会全体としてはチャンスなのです。ここで一気にHVやEVに関する社会全体のリテラシーを上げて一気に差をつけるべきなのです。ですが、大手メディアや、前原大臣のやっているコミュニケーションはアメリカと大して変わらないレベルと言えるでしょう。

 豊田章男社長の姿勢も、アメリカの役人や日米のメディア関係者に比べれば、何百倍も何千倍もクルマを愛し、ハイブリッドの夢を追い、その難しさも素晴らしさも知り尽くしている人間という印象は全くありませんでした。単に官僚組織に守られた創業家の当主、しかも「専門的なことを言ってお客様を見下してはダメ」というような「危機管理思想」にガンジガラメに縛られた痛々しい姿でした。これでは、世界中のトヨタファン、プリウスファンの心には誠意は届きません。

 自動車にとっては、一秒のブレーキ抜けでも大事故につながる、これは厳然たる事実です。現時点では全件修理は当然だと思います。一方で、一秒でも回生ブレーキを有効にしてエネルギー回収を行いたい、これもHVの開発者やファンにとっては大事な価値です。(今回の対策でも、恐らくファンの一部からは「数字に出ない実用燃費の悪化」を嫌がる声が出るのではないでしょうか?)HVをあたかもガソリン車と同じように扱うながら、両者は矛盾してしまいます。ですが、HVはガソリン車と比べて特別な車であり、EVはもっと違うということが社会的に認知されれば、この問題は別の方向へ向かうでしょう。車におけるエコというのは、エコカーにすればいいというだけでなく、車の使い方や他の交通を含めた全体の調和を調整することだからです。

 そうした交通システム全体の見直しを含めた、全く新しい議論が始まるのであれば、今回の「プリウス騒動」も「禍転じて福」となるのではと思います。間違っても、日本の誇る「回生ブレーキ技術」への偏見を増幅させたり、更に秘密のベールで覆ったりしてはなりません。また技術者がやり甲斐を奪われて頭脳流出するようなことも避けねばなりません。私は今回の一連の騒動で、プリウスという車に込められた志の高さ、夢の大きさを改めて感じました。と同時に、HVというものは技術的にも、社会的認知という点でも全くもって発展途上だということも痛感させられました。今回の騒動をもって、改めてここからHV元年、エコカー元年として社会的なコンセンサス作りを進めてゆかねばなりません。そのためには、まずトヨタは「プリウス」という自動車史上に残るような画期的なクルマを守り抜いて欲しいと思うのです。
村上龍RYU'S CUBAN NIGHT