海外レポート/エッセイ
    ※当ホームページでは、毎週火曜日にバックナンバーを追加掲載しています。
冷泉 彰彦(れいぜい あきひこ)   作家(米国ニュージャージー州在住)
1959年東京生まれ。東京大学文学部、コロンビア大学大学院(修士)卒。
著書に『911 セプテンバーイレブンス』『メジャーリーグの愛され方』『「関係の空気」「場の空気」
アメリカは本当に「貧困大国」なのか?』。訳書に『チャター』。
最新作は『「上から目線」の時代 (講談社現代新書)』。
またNHKBS『クールジャパン』の準レギュラーを務める。

“from 911/USAレポート”が、『10周年メモリアル特別編集版』として電子書籍アプリで登場!!

「FROM911、USAレポート 10年の記録」
〜Vol.1「911からの10年、テロ戦争とはなんだったのか?」〜
【配信ストア】App Store
【対応機種】iPad/iPhone/iPod touch (※iOS4以上に対応)
【価格】350円(税込)
【発売元】株式会社G2010

2つの続編をアプリ内で追加購入できます。(各350円)
Vol.2「ブッシュの8年、草の根保守とイラク戦争の日々
Vol.3「オバマ、性急な改革者か? それとも政治的怪物か?
第437回 「アメリカでデフレを考える」
配信日:2009-11-28
 今年の感謝祭は、北東部は穏やかな気候に恵まれました。ただ、実家に帰省して「おばあちゃんの味」であるターキーの丸焼きやパンプキンパイを囲んで家族の再会を祝う、そんな習慣は少しずつ弱くなっているようです。今年は、私の家のすぐそばにある「ターキー牧場」での直売が、販売の規模を縮小していました。専門の牧場で冷凍していない生のターキーを仕入れて、じっくり丸焼きにするような家庭は年々減っているのでしょう。勿論、日本では盆暮れの「民族大移動」に匹敵する全国的なイベントには変わらないのですが、収穫への感謝とか大家族が一同に会するといった伝統の色彩は薄くなってきているように思います。

 その代わり、感謝祭の休日というのは別の意味合いを持つようになってきています。それは「年に一度のバーゲンの日」という位置づけです。これは「ブラックフライデー」と言われて、感謝祭明けの金曜日のことを言っていたのですが、ここ数年、感謝祭の木曜日の深夜にバーゲンを行うなど、ジリジリと「安売り」のタイミングが前倒しになってきています。今年の現象としては、感謝祭の深夜午前零時スタートという店の多かった「ブラックフライデー」のバーゲンが、木曜日の午後10時スタートの徹夜バーゲンであるとか、国民の休日で食料品店以外は商店とオフィスは一斉休業するはずだった木曜日の日中に、アパレル店などがバーゲンを始めるという動きが出てきています。

 そのバーゲンですが、全店の商品が50%オフとか、中には特殊な高級ブランド店などで全品80%オフという過激なものもありました。一方で、ウォールマートなどの量販店では、金曜日の明け方午前5時スタートの特売というのが恒例になっています。今年の目玉は「LCDテレビが40インチで448ドル、32インチで248ドル、ブルーレイのプレーヤーが78ドル」という過激なもので、前夜から多くの人が行列を作っています。ただ、昨年には整理券配布の時点でパニックが起きて死傷者が出る騒ぎもあったので、今年の場合は各店共に事故のないように工夫をしているということでした。

 さて、こうしたバーゲンの投げ売りを見ていますと、その背景には昨年秋の「リーマンショック」以来の消費の落ち込みがあり、その結果として商品の価格を下げていかないと売れない、いわゆるデフレの悪循環がアメリカでも起きているように見えます。確かに全品50%オフとか、LCDテレビの投げ売りという現象を見ていると、世界同時デフレが起きていて、アメリカもそれに巻き込まれている、そんな感覚にとらわれます。ですが、詳しく小売の現場や各社の業績などを見ていますと、必ずしも日本のようなデフレは起きていないのです。勿論、全世界共通の現象もありますが、アメリカのローカル市場の実態としては、日本のような「デフレ・スパイラル」は起きていないとも言えます。そのあたりを、少し整理してみたいと思います。

 例えば、消費者物価指数(CPI)というデータがありますが、最新の2009年10月時点での統計では、年率換算では全平均でマイナス0.2%、ただし物価を下方に引っぱったのは食料品とエネルギーであることから、この二つを除いた全平均では、年率換算でプラス1.7%となっています。ちなみに、エネルギーはリーマンショックがきっかけとなった原油価格下落を受けて年率換算でマイナス14.0%、このエネルギー下落を反映して食料品も下がっているのですが、こちらの下げ幅はマイナス0.6%と僅かです。

 2009年10月といえば、リーマンショックの直後ではありますが、その影響は少なくとも物価ということでは、それほど出ていたわけではありません。それから1年経った2009年10月の時点で、食料品とエネルギーを除いた物価は安定しており、デフレの兆候はないのです。特に、アメリカの場合に特徴として指摘できるのは、人件費が価格決定の大きな要因となるサービス業の価格が安定していることです。同じ今年10月のCPIデータでも、エネルギー関係を除いたサービス業の物価は、年率換算でプラス1.5%と上昇しています。中でも運輸サービスは2.7%上昇、医療関係のサービス物価は3.2%上昇となっているのです。

 その背景には「アメリカは賃下げをしていない」という事実があります。CPIと同じようにアメリカの労働省が毎月発表している統計に、労働コスト指数(ECI)というものがあります。このECIの2009年10月のデータを見てみますと、民間企業の場合に、労働コストが過去12カ月にどう変化したかというと、営業と事務職では年率0.8%上昇、サービス業では2.1%上昇しています。つまり、リーマンショック後のアメリカの民間企業では、賃上げが行われているということが言えます。

 では、不況にも関わらず労働コストがゆるやかに上昇しているということでは、生産性は落ちているようにも見えます。ですが、同じように労働省が発表している生産性統計では、2009年の第三四半期には農業以外の民間セクターの生産性は、年率換算で9.5%も拡大しているというのです。賃金は微増、生産性は向上、アウトプットされる商品サービスの物価は下落せず、ただし全体の規模は縮小傾向であり、つまり不況が進行中というのが、アメリカ経済の現況だと言って良いでしょう。

 そして、雇用の問題に関して言えば、経済の不況は失業という形で表れています。つまり、売り上げが下がってきた業種では、組織や事業所をリストラし、その結果としてそこで勤務している従業員も解雇してしまうのです。ですが、残った組織や人に関して言えば、生産性は向上するし、残った人の給与は若干でも上昇させる、更には、その結果としての商品サービスの値段は下げない、という形で不況が進行しているのです。

 ですから、雇用が問題になるのです。オバマ大統領の支持率低下を招いた最大の要因は、何と言っても「失業率10.2%」のショックが大きかったのですが、それも当然だと言えます。逆に11月末になって毎週50万人を上回っていた新規失業保険申請数が、この半年間で初めて40万人台に下がった時には、株式市場などは非常にポジティブに反応しました。非常に大ざっぱに言えば、景気は悪いので、失業者は増えている、だが、労働の対価としての賃金水準は低下していないし、それが価格に転嫁されていてサービス業の物価などは下落していないということが言えると思います。ワークシェアリングなどの動きはありますが、それも需給の調整を果たしているだけで労働対価の単価下落の要因にはなっていないということです。

 このあたりの実態は、ちょうど日本の裏返しのように思われます。勿論、アメリカの状況が理想型だと思いません。仕事のある人の賃金も生産性も崩れていない代わりに、膨大な失業者を出しているというのは不健全です。特に貧困層の失業に関しては、失業給付に、フードスタンプ(食料品の生活保護)、住宅補助などの公的なセーフティネット、そして宗教団体や市民団体の「炊き出し」といった民間の相互扶助が機能しており、餓死者の発生は避けられていると思いますが、膨大な人口が労働参加できずに自尊心も折られてしまっている事態は異常だからです。一方で、金融機関などのCEOが100ミリオン以上の報酬を得ているという、格差の尋常でない倍率も問題です。

 ですが、とりあえず労働者の「賃金単価が切り下げられていない」こと、そして「生産性の向上が続いていること」、消費者が不況下でも下落しない物価にガマンして「必要な消費をしていること」の三点は、事実だと思います。そして、この三つが「デフレ・スパイラル」を食い止めていると言っても構わないでしょう。

 まず「賃金単価が切り下げられていない」ということですが、三つの要因から成り立っているように思います。一つは、労働市場がフレキシブルなので、まず需給関係によって賃金が決まるという点です。需要の少ない職種からは労働者が他の職種に移動しますし、地域の移動も起きますから結果的に著しく低い賃金というのは存在しにくいのです。また年齢差別がないことから、スキルの学び直しをすれば需要のある労働市場に移行できるという構造があります。更に、個別の職場や個別の雇用契約において不利益変更がしにくいという慣行があります。特に残業のつく一般職(ノン・エグゼンプト)の場合は組合の有無に関わらず、法律と労働慣行で保護されているのです。

 次の「生産性の向上」については、ITなどの技術を導入した際に、明らかに生産性がアップするようなマネジメントが行われているということがあります。IT化によってコスト増になるような「失敗」はしないという意識は官民共に定着しているように思います。また「必要な消費をしている」背景としては、核家族のカルチャーが確立しているために子育ての経費や、家庭を維持する衣食住のコストなどが消費に結びついているというのが一点、そして労働時間が長すぎないために、余暇産業の消費が堅調なものになっているということがあります。

 勿論、リーマンショックの直接の原因となった「過剰消費」には問題があります。また環境や資源といった観点から浪費への批判というのも必要であると思います。また、この「ブラックフライデーの叩き売り」が可能になっている背景には、モノの価格下落は全部生産地に押しつけている、つまり途上国にアウトソースすることで「貧困の輸出」をしているという批判も可能でしょう。また、貿易収支の赤字を金融収支で埋めるという「アメリカの不健全なキャッシュフロー構造」も問題にしてゆくべきだと思います。

 そんなわけで、アメリカの経済モデルの全体は「お手本」になるようなものではありません。ですが、今、日本で緊急対策が求められている「デフレ・スパイラル」に関して言えば、個別の点において、アメリカの事例は参考になるのではと思います。

村上龍RYU'S CUBAN NIGHT