海外レポート/エッセイ
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冷泉 彰彦(れいぜい あきひこ)   作家(米国ニュージャージー州在住)
1959年東京生まれ。東京大学文学部、コロンビア大学大学院(修士)卒。
著書に『911 セプテンバーイレブンス』『メジャーリーグの愛され方』『「関係の空気」「場の空気」』。
訳書に『チャター』がある。
最新刊『アメリカは本当に「貧困大国」なのか?』(阪急コミュニケーションズ)
第435回 「初来日を果たしたオバマとヒロシマ・ナガサキ」
配信日:2009-11-14
 オバマ大統領が初来日を果たしました。共同記者会見を見た印象としては、先週のこの欄でお話ししたように内容的はそれほど踏み込んだものではなかったようです。ただ、首脳間の個人的な信頼関係は進展しているようで、これはこれで良かったように思います。私は、CNNとTVジャパン経由のNHKの中継映像を見比べていましたが、CNN側では大統領のスピーチを流しただけで、解説もそれほどなく関心は薄い感じでした。

 その直後のCNNのトップニュースは、911のテロリストがNYで通常の刑事裁判を受ける話題と、オバマ大統領が東京でAPの記者の質問に答えた「アフガン戦略の意志決定が近い」という話題で、中継が終わってしまうと訪日のことは全く触れられなくなっています。ただ「普天間問題で大変」であるとか「同盟日本の離反」といった論調は今のところ皆無です。新聞関係では散見されますが、これは過去の「自民党の日本と共和党のアメリカ」関係に慣れていたジャーナリストが、状況の変化に対して混乱しながら書いているもので、大騒ぎする必要はないと思います。とりあえず、共同記者会見、そしてアメリカの反応というところでは、だいたい予想した通りの展開で来ていると思いますし、これで良いと思います。

 けれども会見の後の質疑応答の部分で代表の日本側記者が「広島、長崎への原爆投下は正しかったとお考えですか?」という質問を投げかけた部分は、非常に重要なやり取りだったと言わざるを得ません。オバマ大統領は、明らかに狼狽していました。「ずいぶん沢山の質問ですねえ」とふざけて見せ、「最後の質問は何でしたっけ・・・北朝鮮の問題だったかな?」と巧妙に話題を振って、見事に「北朝鮮の話」を延々として時間切れに持ち込んだのです。要するに質問への回答を拒否した形になりました。オバマ大統領という人のスピーチや、質疑応答での対処はずいぶん見てきていますが、こうした光景は異例です。

 その前の部分では、広島・長崎への訪問予定に関しては「短期的には予定はありません」としながらも「訪問ができたら大変な名誉です」という言い方で、「ニュートラル+やや前向き」の回答をしていましたが、「短期的には予定はない」という発言の部分については、「原爆投下の是非」への回答拒否と併せて、これも重苦しい瞬間でした。この重苦しさをどう乗り越えてゆけば、良いのか、それはオバマの問題であるだけでなく、日本側としてももっと真剣に考えて行かねばならないと思います。

 私は、以前にこのJMMで「ヒロシマの疲れと希望」というお話をしたことがあります。( http://ryumurakami.jmm.co.jp/dynamic/report/report3_402.html )その際にこんなことを書いています。

「核廃絶と攻撃への謝罪、この二つはセットだと思います。人類のために核廃絶への前進がある。その流れの中で過去の核兵器使用に関して米国の謝罪がある。この二つの問題は表裏一体のセットなのです。日本のナショナリズムの高まりの中で、あるいは米国の悪しき戦略のパートナーとしての親近感という流れから「謝罪要求」なり「謝罪」があってはなりません。アメリカの「謝罪」が軍国日本の名誉などという「過去」の認識修正のためではなく、「核廃絶という思想の当然の帰結」として出てくる、ヒロシマのメッセージはその方向で強化されるべきだと思います。怒りを軍国日本とアメリカの双方に分散して曖昧にした「過ちは繰り返しませぬから」というメッセージには、深い意味と狡猾な知恵があり20世紀の後半を通じて機能してきました。ですが、21世紀を迎えた現在、「廃絶という未来志向」へとメッセージを組み替えるべきだと思います。」

 これは2003年の8月に実際に広島の地を訪れて書いた文章です。当時はイラク戦争が勃発して5カ月という戦時であり、ブッシュの「核先制使用宣言」なども出ていた時代であり、「廃絶という未来志向」などと発言すること自体に孤独感を感じたものでした。ですが、今はそのブッシュの後任である合衆国大統領その人が「核廃絶」を宣言する時代になったのです。これは、やはり大変なことであり、今回の訪日を通じて「短期的」にはムリでも、将来には広島・長崎を訪問することに前向きの意志を示したというのは感慨深いものがあります。

 ですが、やはり会見の際に垣間見えた「重苦しさ」のことは気になります。それは「合衆国大統領として原爆投下の正当性を否定したり、謝罪するのは難しい」という問題です。その背景にはアメリカ国内の保守派の存在があります。自国の安全保障のため、自国兵士の犠牲を抑えるために行った原爆投下は、あの時点では正当性があったと考える人間はアメリカではまだまだ多いのです。911以降の「保守化」ムードの中で、この傾向は強まっているとすら言えるでしょう。

 勿論、第二次大戦を直接知る世代、例えば退役軍人やその家族なども「もしも原爆投下がなければ、自分や自分の家族が日本の本土決戦で犠牲になっていたかもしれない」と考える人は残っています。オバマ大統領が今回の訪日を遅らせた理由の一つに、11月11日の水曜日が「ベテランズ・デー(退役軍人の日)」だったということがあります。大統領は異例なことながらアーリントン国立墓地に赴いて最新のイラク・アフガン戦争での犠牲者の墓碑に献花をしています。この日は全国各地で退役軍人のパレードがありましたが、そのパレードに参加している人々に仮にアンケートを取ったとしたら、過半数の人が「原爆投下は正しかった」と答えるでしょう。これはアメリカの現実です。

 そうした現実を踏まえて、オバマ大統領の広島・長崎訪問をどうやって成功させたら良いのでしょう。そのために一つ大きな発想の転換をしなくてはならないのではないか・・・オバマ大統領が「狼狽しながら回答を拒否」した光景を見ながら私はそう思ったのです。それは2003年に自分が述べていたような「いつの日か合衆国大統領による謝罪が必要」という考えを取り下げるということです。謝罪要求を取り下げるというと、相手に屈したような印象を与えますが、そういう意味ではありません。謝罪を要求するのではなく、ただひたすらに日米の両者が共に犠牲者の追悼を行うのです。それが和解の儀式になる、そのように持って行くべきだということです。

 そう申し上げると「それでは『過ちは繰り返しませぬから』という曖昧なメッセージになってしまうではないか」そんな批判が聞こえてきそうです。ですが、それとも違うのです。単に謝罪を求めないだけでなく「戦争責任と膨大な犠牲の相殺を認めない」という思想を貫いて、アメリカと日本が共通の立場で追悼の時間を持つということです。この考え方は、アメリカ政治を対象としたジャーナリストとしては大先輩に当たる、共同通信OBの松尾文夫氏の『銃を持つ民主主義』という本に書かれた「ドレスデンの和解」という思想に教えられたものです。

 この「ドレスデンの和解」というのは、1995年の2月、連合国によるドレスデン空爆の50周年追悼祭において、当時のドイツ連邦共和国(統一ドイツ)のローマン・ヘルツォーク大統領(当時)が行った演説に貫かれている思想のことです。その演説を松尾氏は著書で次のように紹介しています。

「あの日の出来事をまた思い出すとき、まずはっきりさせておかねばならないことがあります。それはここに集まっているすべての人々を誰かが非難したり、誰かに自責や後悔の気持ちの表明を求めたりしない、ということです。つまり、ナチス国家におけるドイツ人の悪行をこのドレスデンの出来事によって相殺することはしないということです。われわれはまずなによりもここで死者をいたみ、哀悼の意を示したいと思います」

 そして松尾氏は「日本ではこの「相殺を認めない」論理で、東京大空襲、広島、長崎の死者を弔う鎮魂の「儀式」がアメリカとの間で済んでいないのではないか」と厳しい問題提起をしておられます。私は松尾氏のこの本を、たまたまフィラデルフィアからフロリダへ向かう飛行機の中で読んだのですが、この箇所では全身が震えるような思いがしたことを覚えています。

 そうなのです。本当の鎮魂とは「相殺」であってはならないのです。同じことですが、謝罪であってもいけないし、謝罪の要求であってもならないのだと思います。つまり日本の真珠湾攻撃やアジアでの戦争の災厄を引き起こしたことへの「懲罰」として攻撃を正当化するのでもなく、「制空権を奪われて尚国体護持をタテマエに保身に走って敗北を認めなかった政治家」に責任を負わせるのでもなく、また「人類に核戦争を封印させるためだった」とか「冷戦に備えた攻撃力誇示のためだった」というような解説を加えることもなく、要するに誰かを非難するのでも、自責を強要するのでもなく、日米が一緒に追悼をするのです。

 謝罪要求をしないというのは、許すのでもないのです。自責はアメリカ側で自発的に起きれば良いのであって、日本が強要したり、要求するものではないのです。ここからは、松尾氏の考えとも、ドイツのヘルツォーク元大統領の思想からも離れた私個人の見解ですが、そもそも「被害者が加害者を糾弾し、加害者がそれに屈服する」ということでは、私は国家間の和解というのは不可能だと思うのです。

 というのはナショナリズムというのには二種類があって「自分の国は道徳的に無謬(間違いがない)であるべきであって、過去の過ちについては謝罪をすることでその無謬性が確保できる」というものと「自分の国は生存本能に基づいて常に正当な行動を取ってきたのであって過去のいかなる行為に関しても他国の非難に屈して謝罪する必要はない」というものです。これは、人間の発想法として絶望的に異なるものであり、どんな国にもこの二種類の人々が存在します。一言で言えば、前者は「外向きの国威発揚」であり、後者は「内向きの国威発揚」ということでしょう。どちらもナショナリズムの変形です。

 原爆投下というのは大変な問題ですが、謝罪を要求して屈服させても結局は「外向きの国威発揚が好きなグループ」しか和解の主体にはならないのです。それでは和解として不完全です。どの国にもある「自国の生存本能の発揮は常に正当」と考えるグループを和解の対象にできないのであれば、それは健全で強固な関係にはなりません。
そのことが一つあります。

 もう一つは、当事者の世代以外には謝罪要求にしても、それを受けての謝罪にしても「当事者ではない代理の行為」になるということです。勿論、自分の国のことですから過去に他国から受けた屈辱や、過去に自国が犯した逸脱行為に関して「自分のことのように怒ったり自責を感じたりする」ことはあるでしょう。ですが、当事者の世代でない以上は、そのどこかに現在形での思惑や深層心理が働くように思います。例えば、原爆投下を正当化するアメリカ人の心理には、過去の攻撃を過ちだとしては今後の攻撃は不可能になり、結果的に抑止力を損なうという「現在形での損得や直感」が混じっていると思います。

 逆にオバマ大統領の「チェンジ」に熱狂する世代は、過去の原爆投下を「恥じたり、自責の念を表明したり」することが、対外的なアメリカのイメージを高め、ブッシュ時代のような「恥ずかしさ」を払拭できると考えているのだと思います。こちらもまた、自国の理念的正しさに関して過剰な、そして尊大なプライドが見え隠れしており決して純粋な心情とは言えません。まして当事者世代の代理としての行為にはならないと思います。

 こうした理由により、私は仮にオバマ大統領が広島・長崎を訪問するとして、その際に謝罪の言葉は要求すべきでないし、この謝罪要求を取り下げることが、広島・長崎での献花への道筋をつけることになると思うのです。そしてドレスデンの慰霊祭にならって、両国の首脳だけでなく、日米双方の防衛当局の幹部もそこへ出席する、そのような「儀式」ができればと思います。今回のオバマ訪日と首脳会談は、その最初の一歩としなくてはなりません。

 もう一方の「ヒロシマ・ナガサキ五輪構想」も同じです。本当に広島市と長崎市が、「原爆投下国アメリカへの謝罪を求めない」ということ、「膨大な死者を歴史的経緯と相殺しない」ということ、そして静かに参加国全体で追悼を行うことだけを、しっかり決意できれば、何らかの道筋はできるかもしれません。間違っても、超大国アメリカが「小さくなって参加する」姿が見たいという邪心をどこかに潜ませての招致活動や、第三国の支持を期待してはならないと思います。


(追記)首脳会談の翌朝、東京サントリーホールでの「アジア政策演説」は、例によって練られた良い演説だったと思います。願わくば「安保50周年」で大拍手が起きたように、親米系の人々ばかりの聴衆ではなく(CNNの映像では御手洗肇氏、森喜朗氏、横田滋・早紀江夫妻など、旧自民党系の人々ばかりが目立ちました。)かつては「安保粉砕」を叫んでいた日本のリベラル系の人々も聴衆に加わっていればと思いました。溜池のアメリカ大使館も、「チェンジ」をちゃんとやって、「民主=民主」の日米関係を構築していって欲しいものです。

 この演説で注目すべきは「日米が民主主義や言論の自由を共有している」という当たり前のことを改めて強調したことだと思います。中国については「封じ込めはしない」「ゼロサムではない実利の関係」と言っているのと好対照だと思います。それにしても、幼い日にハワイからインドネシアに引っ越す途中で、鎌倉に寄って食べた抹茶アイスクリームの味が忘れられないというエピソードには驚きました。そのエピソードが、奇跡の成長を遂げた豊かな日本を見て、そしてその日本のサクセスストーリーがアジア全体に広がったことに感慨を覚えるという印象になってゆくのですが、この感覚は現在の日本ではなかなか実感できないものです。そのような目で日本を見てくれる隣人の存在はやはり重要だと思いました。

 ただ、今の箇所も含めて、全体には余りにも日本人の心理を見透かして「くすぐってくる」ような計算が目立ったように思います。小浜市の熱狂ぶりまでちゃんと踏まえていたのには驚きました。こういう相手に対しては、とにかく官邸も外務省も、本当に一字一句、ロジックの一貫性やファクトの検証など、しっかり仕事をしないと「つけ込まれる」のだと思わなくてはなりません。日米関係をより強固にできるかどうかは、今後の実務レベル協議にかかってくるのだと思います。
村上龍RYU'S CUBAN NIGHT