今回は、大統領選の投票日を日本で迎えることにしました。アメリカ発の金融危機が日本へも大きな影響を与える中、今回の大統領選が日本に与える影響は大きいものがあるのは間違いない一方で、今回の危機と、そしてアメリカの政権交代(恐らく)は日米関係を根本から変質させる可能性があるからです。
そんな中、アメリカのニュージャージーという場所から、時代の定点観測をしていたこのコラムも、一旦は視点を可動式にして現在起きている事態を日本から見てみよう、そう思った次第です。今週の半ばから日本に来ているのですが、では、日本の第一印象はというと、思った以上に悲観的なムードが漂っており、まずこれに違和感を感じざるを得ませんでした。
というのは、この欄で何度かお話してきたように、現在の「打ちひしがれたアメリカ」では、日本というのは、ただただひたすらに「まぶしく」見えるのです。光り輝いて見え、そして誰も悪口を言う人間はいないのです。そう申し上げると、日本の方々は揃って驚かれるのですが、とにかく事実なのですから仕方がありません。
例えば、何度かお話ししている、東京三菱UFJ銀行のモルガン・スタンレー証券への出資に関してですが、タイミングが「暗黒の一週間」という最悪の時期だっただけあって、当時は「唯一の明るい材料」というニュアンスで報道されていました。奈落の底に落ちるのではという恐怖に立ちすくみ、しかもこのような事態を招いたのは自分たちのせいだということが、骨身に染みている、そんな心理状態の中で、「誰か他人なのに自分たちを救ってくれる人がいる」というのは、とにかく一点の光だったのです。
CNBCやCNNでの報道では、一旦は三菱の出資が報じられてから、対象のモルガン・スタンレー株が叩き売られて暴落したことがありましたが、「条件的にはディールから逃げられても仕方がない」としながらも「もしかしたら、予定通り出資してくれるかもしれない」ということを、本当に祈るように、そして「逃げられても恨まないから」というアメリカ人とも思えないような謙虚な姿勢で言い続けていたのです。
結果的には、東京三菱UFJは銀行の首脳がNY入りして直接交渉を行い、株価下落後の状況を踏まえた形へと、条件交渉を行った上で、出資を実行しました。そのプロセスは、アメリカでは詳しく報じられ、三菱サイドに有利な契約の改定がされたことに関しては「当然のこと」として、そして最終的に「カネが振り込まれた」ということは大きく報じられたのです。
例えば、アメリカの老舗の企業に大幅出資をするというと、80年代から90年代の円高期が思い起こされます。例えば、松下電器(現パナソニック)がMGMを、ソニーがコロンビア映画を、三菱地所がロックフェラーセンターを、セゾングループ(当時)がインターコンチネンタルホテルズを、青木建設(当時)がウェスティンホテルチェーンを、といった具合に日本企業による米国への出資が相次ぎました。
この時期には、日本がアメリカの魂をカネで買おうとしているなどといって、様々な反発があったのです。ちなみに、前掲の例の中では、唯一ソニーとコロンビア映画だけが、今でも保有が続いており、のれん代の償却を経てグループ企業としても一体経営が進んでいるのですが、このコロンビアのケースこそ、当時はもっとも激しい非難を浴びたというのは何とも皮肉な話です。
さて、今回はどうかと言うと、例えばモルガン・スタンレーの場合などは、とにかく「助けてくれるのか、有り難い」という感謝というか正に「地獄に仏」というような言われ方をしているのですが、一方で、今回の金融危機と同時進行で進んでいるデトロイトの「ビッグスリー」の崩壊という問題はどうかというと、こちらも似たような感覚があります。
というのは、今回のアメリカの自動車産業の危機というのは、勿論金融危機の影響が「トドメ」を刺しているという面はあります。顧客がローンが組めない、リース契約の承認も出ないという中で、お客さんは欲しがっているのにクルマを売ることが出来ない、あるいはディーラーが在庫を抱えるアメリカ式の販売方法が、そのディーラーの資金繰りや与信が傷ついて上手くいかない、更には自動車メーカー系列のファイナンス会社が苦しい、というような問題が業界を直撃しているのは事実です。
ですが、そうした直近の問題の背後には、もっと巨大な問題として「デトロイトが日本車に完全に負けた」という事実があるのです。では、今回は80年代のように「日本車バッシング」のムードがあるのかというと、こちらも絶無であると言っていいでしょう。こと自動車産業の問題に関しては、アメリカ人は完全に敗北を認めてしまったのです。そして、悪いのは日本車ではなく、自分たちにあるということを骨身に染みて理解しているのだと思います。
例えば、日本での報道によりますと、GMあたりからはトヨタに色々な支援の要請があるようですが、アメリカでは余り話題にはなっていません。チョロチョロ噂に上るのは、日産=ルノー連合がビッグスリーのどこかを支援するのではないかというような観測ですが、トヨタと本田に関しては、そうした報道はあまりないのです。そこには、雰囲気として「トヨタと本田に関しては畏れおおくて軽々に支援うんぬんなどという噂は口に出来ない」という感覚があるように思います。
例えば、新車の販売台数で、トヨタが世界一位になったというような話題も、あまり大きくは報じられていません。それは、取り上げると保守派が騒ぐからとか、アメリカ人として不愉快だからというような理由ではなく、当然すぎるほど当然なのでニュースにならないという感覚があるからだと思います。その意味で、仮に現在のタイミングで、トヨタなり本田が、アメリカのビッグスリーに対する支援策を発表したとしたら、猛烈に感謝されこそすれ、バッシングを受けるようなことはないと思うのです。
日本のことが話題になるということでは、もう一つ、今回の金融危機、とりわけ銀行の資産が著しく傷つくことで信用収縮が起きるという現象では、90年代の日本の例があるわけで、その日本のケースとの比較論はアメリカでもかなり言われています。例えば公的資金注入問題が、下院で一度否決されてパニックになっていた時期には「早く決断しないと、日本のようになってしまう」という言われ方がよくされたものでした。
ですが、この「日本のようになってしまう」という言い方には「日本のように失敗してダメになっては大変」とか「日本のバブル後の対応はダメ」というニュアンスはないのです。と言いますか、日本を見下したりバカにするようなニュアンスは全く入っていません。ただ、あそこまで苦しんで長期化しては大変だということを言っているのであって、日本に関しては「自分たちと同じようなトラブルを経験して、それを乗り越えた先輩、あるいは同志」という視線で見ているというのが正直なところでしょう。この点も、間違ってはならないと思います。
今週になって少し落ち着きましたが、一時期の円高の猛威というような現象も、単に投機的な資金が入ったということ、ユーロやスターリングも痛んでいるので、消去法で円が買われたということだけでなく、そうした「日本がまぶしい」という心理も大きかったように思います。このことは、決して無視したり過小評価していいことではありません。
では、そうした日本への視線は、今後の日米関係にどう影響するでしょうか? 投票日まで残り三日、すでにオバマの優位は動かないと見て良いでしょう。今現在の関心事は、何と「マケインのお膝元」アリゾナ州でオバマが逆転するかどうかという、数週間前には考えもされなかったような話になっています。オバマ陣営はまだまだ資金を残しているらしく、単に選挙に勝つためならどうでも良いようなアリゾナに、ここへ来て集中的に資源を投下しているようです。
では、オバマが大統領に就任したとして、日米関係はどうなってゆくでしょう? まず、従来あった、民主党政権は日本に冷たい、アジアでは中国重視になる、という先入観は捨てた方が良いと思います。オバマにとって、日本は政権を維持する上で、そして危機を乗り越えてゆくためのカギを握るパートナーという面が出てくる、私はそう見ています。理由は三つあります。
一つは、オバマとその巨大な支持層の世代です。現在の40代以下のアメリカ人は、自分が17歳(州によって違いますが)の免許を取れる年齢になったときには、まず日本車に乗りたいというチョイスをした年代です。若く、予算の限られる中、信頼性と燃費の良い日本車が、最初からそこにあり、自分が育つにつれて、その日本車がどんどんシェアを伸ばして、しかもハイブリッド技術を先行させている、それしか知らない世代です。
更に言えば、彼等はポケモン世代であり、ニンテンドー世代でもあります。物心ついたときから、街には日本食レストランがあり、アニメ、漫画、日本のホラー映画、そして日本風ファッションという風に、「クールジャパン」と共に育ってきたといっても過言ではないでしょう。何よりも、彼等にとっての日本とは、「一神教的な善悪二元論」ではないポストモダンの文化として憧れの対象であり、それゆえに孤立しがちなアメリカにとって、唯一の顔の見える異文化なのです。
何よりもオバマという型破りの候補を合衆国大統領に押し上げていった、若者の政治感覚の背後には、そうしたアメリカの伝統価値への反発があり、その受け皿として「クールジャパン」が常に心のどこかで意識されてきたのは間違いありません。オバマ当選という事態の背後には、一種の文化革命、つまり白人至上主義、勧善懲悪の二元論が崩壊していったという現象があるのですが、この文化的なムーブメントにおける日本文化の意識のされ方というのは、日本では想像できないほど大きいと思います。
第二は、ヨーロッパとの関係です。オバマは選挙運動中に欧州歴訪を行う中で、自分はブッシュが傷つけたアメリカの信頼を再建するんだ、そして各国との協調関係を強固にするんだということを言っています。ですが、今後の政権にとって非常に重要なテーマである二つの問題、つまり金融と環境という問題に関して、アメリカがヨーロッパの意向を全面的に意識していくという姿勢は、どうしても取りにくいのではないでしょうか。
というのには、構造的な理由があるのです。まず金融危機に関しては、ヨーロッパも厳しい状況が続くいているのですが、どうしても「震源地はアメリカ、ヨーロッパは被害者」という構図が見え隠れするのです。この構図は、下手をすると「加害者のアメリカが被害者のヨーロッパに対して謝罪させられる」という政治的な構図に発展する可能性があるのです。仮にそうなると、ヨーロッパの世論としてはアメリカに対して溜飲を下げることができるのですが、アメリカの人情の機微としては、どうしてもイヤなのです。アメリカ人の精神構造の奥深くには、どうしてもヨーロッパから説教されたくないという心情があるからです。
環境も同じです。環境というのは、全体像としては巨大なビジネスチャンスでありますが、入り口のところではどうしても規制の話が先行します。エネルギーの浪費は悪であり、炭酸ガスの排出は悪であるというように、規制のウラには「善悪の話」がどうしても伴います。この環境における「善悪の問題」についても、アメリカ人はヨーロッパに教えを請うたり、ヨーロッパの後塵を拝するというのはイヤなのです。イヤというのは、どういう意味かと言うと、大統領になった若いオバマが、老獪な欧州の政治家に手玉に取られているというイメージができてしまうと、それは大変な政治的失点になるということです。
では、日本にはアメリカを叱る役が期待されているのかというと、まあそこまでではないのですが、とにかく、金融にしても環境にしても非常に厳しい状況を突破してゆく際に、どう見てもアメリカにとってはヨーロッパよりも日本の方がパートナーとしてしっくり行く、そう考えるべきだと思うのです。それは金融に関しては、日本は既にバブル崩壊と信用収縮の経験をしているからであり、環境に関しては善悪二元論ではない、ポストモダン的な多元論から語れるからなのです。
第三に、そうした文化的な親近感、ヨーロッパとは違った相性の良さというものに乗っかって、例えば国債を買い支えてくれとか、ある企業の救済スキームの中に加わってくれという話はドンドン来るでしょう。その時に、大事なのは、文化的な親近感の感覚を常に忘れないことです。それができていれば、ダメなものはダメと断っても、関係は壊れないでしょう。逆に、昔の「ジャパン・バッシング(日本叩き)」や「パッシング(日本素通り)」の時代にあったような、どうせ見下されているとか、どうせ期待されているのはカネだけでしょ、といった屈折した沈黙は全くお門違いと言わざるを得ないのです。
つまり、日本は相当色々なことを言っても大丈夫であるし、いやドンドンものを言っていかなければいけないのです。自分はこう考えるが、アンタのこの点に関してはしっかり支持する、でも条件はこうだ・・・というようなことを、傷つきもがくアメリカの琴線に触れるように、そして自分もしたたかに生き延びられるように、言い続けてゆく、特にあらゆる事態に対して先手を打ちながら、キツイことも言うが、歩み寄りも見せるというような成熟した対等の関係が大事になってくるのだと思います。 |