海外レポート/エッセイ
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冷泉 彰彦(れいぜい あきひこ)   作家(米国ニュージャージー州在住)
1959年東京生まれ。東京大学文学部、コロンビア大学大学院(修士)卒。
著書に『911 セプテンバーイレブンス』『メジャーリーグの愛され方』『「関係の空気」「場の空気」
アメリカは本当に「貧困大国」なのか?』。訳書に『チャター』。
最新作は『「上から目線」の時代 (講談社現代新書)』。
またNHKBS『クールジャパン』の準レギュラーを務める。

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第329回 「バイオリンというビジネス」
配信日:2007-11-17
 アメリカの秋、スポーツ界では野球のシーズンが終わると共に、フットボールやバスケットボールが佳境を迎えます。同時に秋というのは、音楽シーズンの開幕を意味します。アメリカの大都市には、野球、フットボール、バスケットボール、更にはアイスホッケーのチームがあるのですが、同時に多くの街にはオーケストラがあって、それぞれに新しいシーズンを迎えているのです。

 この秋、というよりもここ数年の音楽界では、バイオリニストの活躍が目立ちます。多くの有望な若手が育つ中で、各オーケストラはこぞってバイオリン奏者をソリストに迎えて、プログラムを彩るのです。ある意味で、現代というのはバイオリニストにとって黄金時代なのでしょう。見方を変えれば、バイオリンというビジネスでは、国際的なエージェントのマーケティングが成功しているとも言えます。ピアノでも頑張っている人は沢山いますが、大型新人はなかなか現れていないのが現実で、やはり今はバイオリンの時代、少なくともアメリカではそう見えます。

 どうして「今」バイオリンの時代なのか。そこには三つの理由があるように思います。一つはデジタルオーディオの普及に伴って高音質が手軽に手に入るようになった、そこにバイオリンという華やかな音質の楽器が好まれる背景があるということです。そうした再生技術の向上は、奏者にとっては「アラ」が見えてしまうことにもあるのですが、逆に若くして高度で安定的な技術を鍛えてきた奏者には、そうしたデジタルオーディオを通じて広範な人気を獲得することも可能になってきています。

 二つ目は女性の進出です。今でこそバイオリンのソロ奏者というのは、女性が中心になった観がありますが、ほんの30年前までは男性中心の社会だったのです。そこに打って出てきた個性的な女性奏者たちが、バイオリン音楽の水準を変えたと言っても構わないのでしょう。このことは女性の社会進出を象徴する現象という見方もできますが、そんな時代ももう過去となりました。今は、女性奏者のキャラクター作りがドンドン進んでいて、それがスターを生み出すビジネスとして成功しているということでしょう。

 三つ目は二十世紀の音楽の普及です。バルトークやプロコフィエフといえば、耳の肥えた聴衆の多い日本やヨーロッパでは既に「古典」ですが、保守的なアメリカ人には、まだまだ「耳障りな現代音楽」でした。ですが、最近のバイオリン奏者たちは、意欲的に二十世紀の音楽を取り上げて、そうした保守的な聴衆の「啓蒙」に成功しています。そうした新しいレパートリーの普及が、バイオリン音楽の人気を後押ししていると言って良いでしょう。

 さて、アメリカでのバイオリン人気を引っ張っているのは、何といってもヒラリー・ハーンでしょう。ここに挙げた三つの要素を兼ね備えた、正に現代バイオリン音楽を象徴するような才能ですし、生粋のアメリカ人としては珍しいクラシックのスター奏者として大変な人気があります。ハーンの特徴はその美音にあります。高い弦も良いのですが、ハーンの場合は低弦の音が力強くて透明なのが特徴です。

 バイオリンの低弦というのは強く弾くとどうしても「ジャリッ」という風に荒れてしまい、これまでは、そうした荒れも「迫力のうち」という考え方がありました。それをハーンの場合は、まるでチェロの高弦のように透明でパワーのある音として出してくるのです。それは私の見るところハーンの構えに秘密があるようです。ハーンはバイオリンを顎の頂点で強くホールドしていますが、実はこれは古いドイツ流の姿勢で、ベルギー=ユダヤ楽派の主流だった二十世紀を通じてはあまり流行らないスタイルでした。

 ではハーンがどうして、その古いスタイルを守っているのかというと、それは「鈴木メソッド」の影響なのです。鈴木メソッドというのは、故鈴木慎一氏という日本の指導者が提唱したカリキュラムで、今でも日本とアメリカで有名なのですが、オリジナルの鈴木氏の指導法の中には、この「ドイツ風に顎の頂点で強くホールド」というスタイルが入っているのです。ハーンは、鈴木メソッドを卒業した後もそのスタイルに忠実に弾き続けることで、力強く透明な低音を得たのではないかと思われます。

 顎でホールドするとどうして低音が安定するのかというと、右手でコントロールする弓が低弦の届きやすくなるからであり、また楽器を強く保持しているから弓の圧力をかけやすいということもあるのです。その透明な低音の上に、華やかな高音を乗せることで、ハーンの音楽には説得力が出ているのですが、それには音程をコントロールする左手の指の力が強く、正確に指板を押さえていることも寄与しているように思います。

 さて、今年は東海岸のオーケストラには現れていないハーンですが、その好敵手はというと、まず挙げられるのはドイツのユリア・フィッシャーでしょう。4月28日の土曜日、フィラデルフィア管弦楽団の定期公演に現れたフィッシャーは、前日に亡くなった名チェリストで指揮者のムスティスタフ・ロストロポービッチに捧ぐとしてベートーベンのバイオリン協奏曲をエッシェンバッハの指揮で演奏しました。やや硬質ながら透明な音質、完璧なメカニック、緩急のコントラストを拡大したモダンな解釈で、40分を越える大曲を一気に弾ききっています。

 このフィッシャーというのは、弱冠23才でフランクフルト音楽大学の教授に就任するなどの知性派ですが、ピアノでもコンクールに何度も入賞する腕前だそうです。そのピアノという連続音の出ない楽器演奏を経験してきた影響として「バイオリンを歌いすぎない」端正な解釈が可能なのだと思います。CDもどんどん録音していますが、ペンタトーンというオランダの小さなスタジオと契約して、録音は全てSACDとのハイブリッドで出しているのも自信の表れでしょう。

 今後のバイオリン界は、ハーン、フィッシャーという20代の女性二人を中心に回ってゆくと思いますが、男性奏者として二人に対抗できる存在としては、カナダのジェームス・アーネスが挙げられるでしょう。アーネスの場合も荒れの少ない美音が魅力ですが、ガッシリした体格がその音を作っているようです。一見すると頑固そうな顔をしているのですが、解釈は非常に洗練されていて、流行のテンポの揺れや過剰な表情付けなどは行わない、一種高潔と言って良い音楽をやっています。アーネスの場合は、あくまでカナダを中心とした活動でCDも大手からは出していないので、商業ベースというよりも少し古風な活動の仕方をしているのかもしれません。

 逆に若くして大手のエージェンシーにプロモートされ、ビデオを出したりメジャーなレーベルからCDをドンドン出しているのが、オランダのジャニーン・ヤンセンです。ヤンセンは、スタイリストの派手な演出でCDのジャケットを作ったり、演出が先行しているような印象でしたが、10月5日の金曜日、ニューヨーク・フィルの定期にこのオーケストラへのデビューをした演奏会の印象(マゼールの指揮での、チャイコフスキーのバイオリン協奏曲)では、メカニックも音楽の推進力も十分で、イメージに違わぬ実力はあるようです。

 さて、最初にお話しした女性バイオリニストの進出、という現象の草分けであり、30年近くのキャリアを走り続けてきたのが、ドイツのアンナ=ゾフィー・ムターです。そのムターは、9月29日の土曜日にフィラデルフィア管弦楽団の本拠地キメル・センターに登場し、このオーケストラの2007−2008年度楽季のオープニングコンサートを「ブラームスのバイオリン協奏曲」で飾っています。

 実はこの楽団、音楽監督の任期は5年で、通常は最低でも二期は更新するのですが、現在一期目の終わりにかかっているクリストフ・エッシェンバッハは、地元メディアとの対立などで一期で退任することが決まっています。そんな不協和音の中シーズンを迎える以上、オープニングコンサートは絶対に失敗できない、楽団としてはそんなわけで大御所のムターを引っ張ってきたのでしょうが、彼女はその期待に見事に応えていました。

 もっとも、この日の聴衆は「シーズンのオープニング・ガラ」ということで、フィラデルフィアの「社交界」に棲息すると思われる「パトロン」たちが多かったという特殊なものがありました。そのせいで、第一楽章の終わりで拍手(ムターは面食らっていました)が起きるような非常識なことになっていましたが、それはともかく楽団としては大物を呼んだ甲斐があったというところでしょうか。そのムターの音楽は、演出を濃くした良くも悪くも演歌調ですが、そのスタイルに益々磨きがかかってきています。

 さて、アメリカでムター並みに「大家」として認知されているのは "Midori" こと五嶋みどりさんでしょう。五嶋さんは、天才少女と呼ばれ若くして多忙なコンサートのスケジュールをこなす生活に入っていきましたが、19世紀以前の古典に関しては自分独自の解釈が定まらずに苦労していたようです。その五嶋さんは、そのためもあってか20世紀の音楽の演奏へどんどんシフトしていき、結果的にそれがたいへんに成功しています。

 アメリカの保守的な聴衆に対して新しいレパートリーを紹介するにあたって、五嶋さんの功績は非常に大きいと言わねばなりません。その五嶋さんは、近年は南カリフォルニア大学の講師に就任して拠点を西海岸に移しているのですが、10月6日の土曜日、フィラデルフィア管弦楽団の定期に客演して、演奏されることの少ないベンジャミン・ブリテンの協奏曲を演奏しました。

 ブリテンという人は、20世紀の英国を代表する作曲家でオペラ「ねじの回転」や、合唱曲の「キャロルの祭典」などが有名ですが、徹底的な反戦主義者としても有名です。そのバイオリン協奏曲は、第二次大戦が間近となった切迫感の中で「戦争という悲劇への告発」を意図した「エレジー(悲歌)」を3楽章に持つ悲痛な作品です。音としてはこの時代の作品としては保守的とも言えますが、打楽器とソロバイオリンが掛け合いをやったり、即興的なカデンツァを真ん中の2楽章に置いたり、様々なアイディアの盛り込まれた密度の濃さを持っています。

 この晩の五嶋さんは、個々の悲歌であるとか、打楽器との掛け合いなどにはあまり気を取られずに曲の全体構造をしっかりまとめていました。また聞かせどころの難しいカデンツァなどは、相当弾き込んでいたようで、見事な効果を挙げていたように思います。結果的に、珍しい演目ながら聴衆は熱狂していましたし、何よりもコンサートマスターのデビット・キムをはじめ、フィラデルフィアの楽員たちの反応を見ていますと、彼等が五嶋さんに寄せる尊敬の念が非常に良く分かりました。

 20世紀の音楽といえば、イスラエルの天才、ギル・シャハムを忘れるわけには行きません。五嶋さんの場合は、どんなに複雑な曲でも端正な全体像を作ってゆくのに対して、シャハムは近現代の「ほろ苦い」曲にも「ド演歌」とでもいうべき濃厚なフレージングを施して、曲の持っている可能性をギリギリまで引き出して来ます。シャハムは30代後半に入って中堅から巨匠というイメージになってきていますが、そのユニークなスタイルはなかなか魅力があります。

 フレージングということでは、日本の諏訪内晶子さんもユニークなスタイルを持っています。諏訪内さんの場合は、シャハムやムターのような「ド演歌」の歌い方というよりも、一つ一つのメロディー、エピソードの「しまい方」に独自の美学を持っているようで、まるでシャンソンの節回しのような、また日本の伝統舞踊の「決め」のような淡いニュアンス表現をスタイルにしています。ハーンやフィッシャーのように「バリバリ弾く」というよりは、どこか古風なところもあって、アメリカでもファンが増えているようです。

 さて、クラシック音楽というと、貴族文化の名残りであるとか、現代でも「格差社会」の「上」の人たちの専有物、そんなイメージが拭えません。ですが、アメリカにおけるバイオリン音楽の位置づけというのは、少し違うのです。まず、コンサートの入場料ですが、ロックやカントリーの一流どころですと最低40ドルで良い席だと120ドル、中には200ドルなんていうのもあります。ブロードウェイのミュージカルでも40ドルから120ドル、クラシックでもオペラの場合は最高300ドル、そんなところが相場です。参考までに、メジャーリーグの野球のチケットはというと、外野の自由席を除くとやはり40ドルから100ドルという感じで、フットボールやバスケットになるともっと高くなります。

 そんな中、バイオリンとピアノのリサイタルだと、最高でも40ドル程度、オーケストラの場合は一流どころでは最高120ドルですが、後ろの席だと15ドルなどという廉価なものもあります。これがシーズンチケットになると、一回あたり9ドルというようなものもあって、これが結構な枚数出ているのです。つまりフィラデルフィア管弦楽団のような超一流のオーケストラを一回9ドルで聴けるというわけです。

 面白いのは、シーズンのオープニングコンサートのようなチケットの高額な日には、コンチェルトの途中で拍手するような「分かっていないお金持ち」が来る一方で、五嶋みどりさんの「ブリテンのバイオリン協奏曲」に熱狂する観客はずっと安いチケットで来ているという事実があるのです。つまり、アメリカではクラシックの器楽というのは、富裕層の趣味ではないのです。

 音楽のプロの社会的地位もこれに関係してきます。ハーンや五嶋さんのようなスターは、それなりの報酬を得ていると思いますが、一般にオーケストラの楽員や学校の音楽教師の年収はそれほど高くはありません。というよりも、クラシックの器楽をやっているというと、アメリカでは教員と並んで「経済的な報酬よりも生き甲斐を選んでいる生き方」というイメージがあるのです。

 例えば、ニコル・キッドマンの主演した『記憶の棘(原題は「バース」)』という映画で、主人公のキッドマンが亡夫の生まれ変わりだと信じてしまう少年の家庭は、父親がオーケストラのトロンボーン奏者をしながら、その楽器の個人教授もやっているという設定でしたが、経済的には苦しい家だというように描かれています。また、メリル・ストリープの主演した『ミュージック・オブ・ハート』という映画は、それこそ鈴木メソッドを使って、公教育の中でバイオリンを教えてゆく話でしたが、主人公は経済的に楽ではないし、そもそも音楽教育の維持のためには、予算を確保するのが大変だという苦労話になっていました。

 ところで、この『ミュージック・オブ・ハート』では予算削減を食らって苦労していますが、基本的にアメリカの公教育ではバイオリンや、その延長での弦楽を含むオーケストラというものを、カリキュラムに取り入れている学区は非常に多いのです。ある意味で、アメリカにおける弦楽器の草の根というのは、非常に広いと言えます。その根っこの広さ、そして音楽に対して素朴に反応する文化というものが、現在のバイオリン人気を支えている、そんな側面もあるのだと思います。

 考えてみれば、「ブラームスのバイオリン協奏曲」を知らないような富裕層が、税金対策でオーケストラに寄付をしてくるのは、共和党的カルチャーですし、経済的に楽ではない楽員が組合を作って雇用を守ったり、音楽教師が予算獲得に奔走したりするのは民主党的カルチャーに他なりません。考えてみれば、アメリカの二大政党の持つ正反対のカルチャーが、こうした音楽文化を両側から支えているという見方も可能でしょう。

 言い方を変えてみると、現在のアメリカでのバイオリン人気というのは、公教育による裾野の広がり(公共セクター)、篤志家の寄付行為によって成立する各楽団(NPOセクター)、そして派手なマーケティングとイメージ戦略に乗って世界を駆け回るソロ奏者達(民間セクター)の三者が、曲がりなりにも役割分担をすることで成立しているのだと思います。ヒラリー・ハーンや、五嶋みどりさんの雄姿はそうした構造の上に、ビジネスとして乗っかっているというわけです。

村上龍RYU'S CUBAN NIGHT