※当ホームページでは、毎週火曜日にバックナンバーを追加掲載しています。
平らな国デンマーク/子育ての現場から / 高田ケラー有子
高田ケラー有子(Yuko Takada Keller) 造形作家(デンマーク北シェーランド在住)
京都市立芸術大学大学院修了。日本在住時よりヨーロッパ、アメリカなどで作品を発表。1997年よりデンマーク在住。近年はデンマークを中心にヨーロッパ、日本で作家活動。キューレータとしても、日本のアーティストをデンマークに紹介している。
コミッションワークとして、岡山県早島町町民総合会館「ゆるびの舎」、兵庫県 看護協会に作品を手がけている。
著書に『
平らな国デンマーク〜「幸福度」世界一の社会から〜
』(NHK出版生活人新書)
Webサイト:
http://www.yukotakada.com/
≪前の回へ
次の回へ≫
第48回 「Jagtvejの闘争」
配信日:2006-12-20
11月初旬に寒くなったのはなんだったのかと思うほど、異例の暖かい冬を過ごしています。デンマークでの観測史上最も暖かい12月だそうで、クリスマスの飲み物として人気のグルック(赤ワインに香辛料が入ったもので、アーモンドや干しぶどうなどを加えて暖かくしていただくと、体の芯から温まります)の売れ行きもいまいち伸びていないようです。もうすぐクリスマスの町並みも、暗さだけはピークですが、コートのボタンをかけずとも散歩ができてしまうほどです。日本でも雪不足で営業開始の延期を決めたスキー場があるようですが、ヨーロッパでも南フランスやスイスで、一部スキー場の営業開始を見合わせているところがあるそうです。庭の芝生も青々としていますし、わが町Helsingeでは桜まで咲いてしまったのですから、なんとも妙な気分です。
息子は先日9歳になり、お決まりのパーティーをいたしました。朝、クラスみんなで食べてもらうために、前の晩に焼いたケーキを持参し(会社などでも誕生日には自分からケーキやデニッシュを持参して、同僚に祝ってもらうことがよくあります)、学校が終わる時間(この日は4時限目までの日で11時45分)に、同じクラスの男子全員を迎えに行きました。大型タクシーと私の車に分乗したギャングエイジ9名が家の中 も外も駆け回る大騒ぎな1日となりました。
例年ですと、12月の自宅でのパーティーは、外遊びもままならないのですが、暖冬のおかげで庭でとびはねたり(トランポリンを出しておりました)、夫の作った宝探しゲーム(手紙の内容を解明し、6つのタスクをこなしていくとお宝にありつける)を2つのチームに分かれて、これもほとんど庭でできてしまいました。子どもたちがヤッケも着ないで、興奮しながらあれやこれやと議論しながらお宝にたどり着く姿は、本当に子どもらしく、暖冬とはいえ冬の外気もへっちゃらで、外遊びを楽しんでくれたことは嬉しい事でした。家の中にあるテレビゲームで遊んだ子どもは一人だけで、それも30分ほどしただけで、あとは全員走り回っておりました。9歳にもなると、動きが激しく壊れたおもちゃも数点ありましたが、外でのいわゆるチャンバラごっごには夫も参加して、めちゃくちゃにされながらも、柔道技で対戦しておりました。お気づきでしょうが夫はこの日、休暇を取りましたが、デンマークでは珍しくない事です。すっかり暗くなり、星も輝き始める午後5時過ぎには、それぞれの親が迎えに来て、三々五々お開きとなりました。
我が家にとっては嵐のような1日でしたが、12月16日、コペンハーゲンの一角で、平和な気分など吹っ飛んでしまうような大きな暴動がありました。のんびりとした郊外の街にいると、同じデンマークとはとても思えないほどのもので、騒ぎを起こしているUngdumshuset(ユースハウス)は、その理由が何であれ、度を超えており、周辺住民にとっても楽しいクリスマスどころではない光景が広がっていました。
警官隊と、ある物件の使用権が自分たちにあると主張するユースハウスの利用者たちによる衝突なのですが、事の発端は1980年代に遡り、もともとコペンハーゲン市の所有物であったこの物件を巡って、ここ10年ほどの間、紛争が続いていた結果として起こったことのようです。
この物件はJagtvej(ヤクトバイと読みます)という通りにあるのですが、Noerrebroと呼ばれる地域にあり、H.C.アンデルセンが眠る墓地のすぐ横にあります。私も今の家に越してくる前に住んでいた地域だったので、Jagtvejもよく通りましたし、墓地への散歩も(日本と違って墓地でピクニックのようにお弁当を広げている人もいるくらい、明るい場所です)よくしていただけに16日の暴動の悲惨な光景をニュースで見ながら、なんとも哀しい思いがしてきました。
そもそもコペンハーゲン市の所有物件だったわけですが、1970年代後半から80年代にかけて、空き家状態になっているところに、ユースハウスの利用者たちが勝手に住み込むというか、使い始めました。その事がきっかけで、空き家になっていたのだから使ってもいいという許可を出した(鍵を与えた)事から、ユースハウスのなかば住人的存在の若者たちがこの物件を公然と使用し始めたのでした。この段階で契約的なものが存在したのかどうか明確ではないのですが、少なくとも公的に認めた形で鍵を渡した、ということのようでした。ところが、1996年にここが火事になったことがきっかけで、この場所を閉鎖することが提案されるようになり、周辺住民の署名活動などもあり、ユースハウスの利用者にとってはここが使えなくなるかもしれない、という非常に大きな問題となってきました。
しかしながら、若者のニーズを全て無視する事もできず、他の使用者がない限りはその使用を認め、新しい使用者が決まった場合には3ヶ月の猶予を与えるので、その3ヶ月の間に出て行くようにと言う修正案が契約として97年に両者間で結ばれました。そして、今まで通り、市の所有物であるので、かかる経費は全て市が負担していました。
しかしながら、この場所が暴力的行為の隠れ蓑になっていたり、資本主義社会を批判をする若者たちのたまり場的になってきたことを受けて、1999年に市が閉鎖を決定しました。そして2000年からこの物件が売りに出され、2000年11月にHuman A/Sという会社(私立のキリスト教団体が持ち主)が購入し、さらに2001年9月には、母体であるキリスト教団体(Faderhuset)がHuman A/Sから購入しなおし、持ち主はFaderhusetとなりました。所有者が変わったにも関わらず、若者たちは自分たちの居場所がなくなることを受け入れられず、使用権を巡って裁判に持ち込みましたが、当然のことながら、若者たちの権利は認められませんでした。
この結果を不服としたユースハウスの使用者たちは、もひとつ上の地方裁判所に自分たちに使用権を認めるように上告しましたが、結果は同じ。2006年、ついに彼らの居場所は公的にはなくなってしまいましたが、9月になって今度は支持者が「Jagtvej 69基金」を組織し、FaderhusetにJagtvej 69の売却を申し込みました。
しかしFaderhusetはこれを拒否。ますます意地になったユースハウス側は、最高裁に持ち込もうとしましたが、却下。全ての道は閉ざされました。そして10月になり、裁判所から12月14日を期日とした退去命令が出されました。それを受けて12月12日、再度Faderhusetに売却を申し込みましたが、Faderhusetはこれを頑なに拒否。16日の暴動と化したのでした。
ユースハウスの利用者たちがなぜ、そこまでに「Jagtvej 69」にこだわるのか、私などには分かりませんでしたが、この場所は、どうやら資本主義批判や社会批判をする若者たちのいわばシンボルとして影響力を持つようになってきたらしく、ヨーロッパの他の国の同じようなユースたちからもシンボルとして支援を受けていたようです。
実際、16日の暴動に参加した外国人は多く、逮捕者273名中103名がスウェーデンやノルウェー、ドイツ、フィンランド、オランダ、イタリア、さらにはアメリカなどからの外国人だったそうです。こうした外国人逮捕者は、すぐに国境まで移送され釈放されたようですが、パスポートがなくてもEU間では容易に行き来できますし、また戻って くる可能性もあると、警察は見ているようです。
1993年に起こった大きな暴動も、Jagtvej 69が関わっていたことは明らからしく、その後、若者への理解を示してきた人々でさえも、今回の暴動は「やり過ぎ」という批判をしています。多くの市民も、特に周辺市民にとっては目の上のたんこぶ的存在で、もう出て行って欲しいと願っている人も多いようです。
ただ、支持をしている人ももちろんあり、また、騒ぎだしたユースたちの沈静のために出動した警察に問題提起をする人もあります。警官が過激だからこうした暴動が起こるのだ、と言うのです。しかしながら映像を見る限りでは、警官隊に向かって行くユース側が、手に手に鉄棒や火炎瓶を持っている状況で、強行に阻止しなければ、多くの被害がでると思わざるを得ません。発砲などは一切起こっていませんが、実際に火の手は上がっていますし、ブロックで頭を打たれるなどして警官が三人負傷しています。ユース側の負傷者は2名だったそうですが、うち一人は持っていた花火の誤爆で指をなくしたそうで、それは警官のミスではないし、こうした場面で市民を守ってくれている警察を批判する事はニュースを見る限りはできません。ただ、ニュースに映っていない、あるいは報道されていないことがあるとすれば、それは一般市民には知る由もありません。それよりも、ここまで大きな騒ぎになっているにもかかわらず、負傷者がこの程度でおさまっている事が不思議なくらいです。
今回の暴動は、私には、個人主義の国で自分たちの主張を自由にすることが認められているがために起こって来たツケのように思えてなりません。風刺画問題の時にも感じましたが、言いたい事が言える、というのはありがたいことですが、それはどんなわがままでも言える、何を言ってもいい、ということとは違うということを、この国の人々はもっと痛感すべきだと、この騒ぎを見ていて思います。決して多くの人がそういう態度を取っている訳でなくても、10年以上、Jagtvej 69を曖昧な形で使用することを容認して来た大人にも責任のある事だと思うのです。自分たちの主張が通らないからと言って、なぜ通らないのかを考えず、破壊的暴力行為を正当化することは間違っていますし、そうしたことを、この事を通じてデンマークの子どもたちにも学んで欲しいと思っています。
それにしても、周辺住民は車や自転車は壊されるし、怖くて外出もできず、この近くにある幼稚園は一次的に閉鎖して別のところで子どもを預かれるように手配したり、多くの間接的な被害が発生しています。この近くの広場でクリスマスツリーを売っていた商人は間違えられて逮捕された上に商品のツリーはめちゃくちゃになったり、多くのゴミ箱が焼かれたり、墓地の回りの樹齢100年の大木が無惨に倒されてしまった事も、残念なことでした。被害を受けた人の中には、その代金をコペンハーゲン市に請求している人がいるらしく、お気の毒なのは理解できるし、いったいどこに弁償してもらえばいいのかわからないのも理解できますが、そうしたことも、個人主義の表れであるように思えます。
コペンハーゲン市は、既に物件はFarderhusetの所有となっており、今回の暴動に責任はない、としています。そう言いきってしまうところも、個人主義の国らしくはあるのですが。
新たな暴動は起こって欲しくないですが、このままでは収まらない気配もあり、周辺住民の心配はつきないようです。クリスマスまでに事態が収拾することは難しいと思いますが、1日も早い終結を願い、周辺住民と子どもたちに平和な町並みが戻る事を、多くのデンマーク人も願っていると思います。
日本のみなさまにはどうぞよいお年をお迎えください。
Tweet
mixiチェック
≪前の回へ
次の回へ≫