※当ホームページでは、毎週火曜日にバックナンバーを追加掲載しています。
平らな国デンマーク/子育ての現場から / 高田ケラー有子
高田ケラー有子(Yuko Takada Keller) 造形作家(デンマーク北シェーランド在住)
京都市立芸術大学大学院修了。日本在住時よりヨーロッパ、アメリカなどで作品を発表。1997年よりデンマーク在住。近年はデンマークを中心にヨーロッパ、日本で作家活動。キューレータとしても、日本のアーティストをデンマークに紹介している。
コミッションワークとして、岡山県早島町町民総合会館「ゆるびの舎」、兵庫県 看護協会に作品を手がけている。
著書に『
平らな国デンマーク〜「幸福度」世界一の社会から〜
』(NHK出版生活人新書)
Webサイト:
http://www.yukotakada.com/
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第47回 「いじめを乗り越えた少女」
配信日:2006-11-14
11月に入ってこちらはすっかり寒くなりました。吹雪いたりヒョウが降ったり、日中の気温がマイナスになった日もあり、息子は毎日どろんこになって帰ってくるようになりました。この時期、一度雨などが降ると寒いこともあって、なかなか地面が乾かないので、土のあるところは子どもたちにとっては絶好のどろんこ遊びの場となります。こんなふうに寒い中でも仲間同士で体をぶつけ合いながら思いっきり外遊びを楽しむ子どもたちを見ていると、ここではいじめは起こりにくいであろう、と希望も含めて眺めています。
日本から「いじめを苦に自殺」、あるいは「自殺の原因がいじめであった」と訂正するニュースが思い出したようにボコボコと報じられ、自殺予告も連鎖反応的に届く中、文科省が「いじめによる児童・生徒の自殺件数がゼロとなっている1999〜2005年度の統計を見直す方針を固めた」というニュースには、一度確定した報告を疑わしければ見直す、という態度には敬意を表するものの、なんとも言えないもやもやした気持ちになりました。
ここ数年、「いじめによる自殺」というニュースを聞かなくなったなあ、と思っていたので、90年代後半によく耳にしたいじめによる自殺問題が、関係機関の努力で自殺にまで追い込まないようになってきたのであろうか、と多少の疑問も抱きながら、ぶり返さないことを祈っていたので、残念な思いです。
デンマークでは、いじめによる自殺、という話は聞いたことがありません。ただ、これはクリスチャンカントリーであるが故の理由もあって、そもそも自殺は許されないことであるため、その理由などほとんど公表されない(公表しない)のが普通で、また詮索する人も少ないように思います。
大変古いデータしか調べられなかったのですが、1995年のデータによると、7歳から17歳までの自殺者の数は男子のみ(女子は思い切りが悪く死に至る確立が低い)で、その年齢層の約5万人に1人の割合であったという数字だけ見つけました。自殺の主な原因と考えられるのは、うつや、自信喪失、愛情不足などが推測されていますが、非常に個人的な問題でもあるので、その理由などは明らかにされることはない、ということです。
いじめの問題に戻ると、もちろん、どこからどこまでがいじめなのかという判断も難しいでしょうが、なんでもかんでも公表することにも判断の難しさを感じます。隠す、という意図ではなく、情報伝達の方法にも必要なところには届けるべきでしょうが、全国ニュースで映像まで流れる必要があるのかどうか、他のいろいろなニュースを見ていても思うことがよくあります。デンマークにもゴシップマガジンはありますが、例えばテレビニュースで捕まった直後の殺人犯の映像が流れることなどまずありませんし、裁判で判決が決まるまでそうした報道は差し控えられています。
日本のニュースを見ていると、なかば野次馬的に非常に個人的なことまで報道されていることもよくあるように見受けます。また毎日のように火事や交通事故、殺人などの悲惨な事件事故がこと細かく報道されていますが、こうしたこともデンマークではテレビニュースで報道されることはほとんどありません。そういう事件事故が無い訳ではありませんが、地方新聞に載ることはあっても、全国版のテレビニュースになることは非常に少ないです。
話がそれましたが、いじめ関連のニュースで言えば、同じような思いをしている子どもがいると知ることで、励まされるのであればいいですが、それが同じような行動をとることでしか解決できない現状を生むのであれば、その伝え方にも配慮が必要になってくるように思います。
いじめと断定することは難しいことかもしれませんが、子どもの声に耳を傾けず(立場に立たず)、また誰かが気づいたとしても、気づいた人間も自己処理をしてその子どもを取り巻く人間関係全体に問いかけないことが、問題を深刻にしてしまうのであろうと思います。
言うは易しですが、デンマークでもいじめがないわけではありません。また教育省からは学校への規則として、いじめが起こる前に行動を起こすこと、起こらないように防ぐこと、ということが指示されています。しかしながら、実際には教師の目が届かないことや、他の生徒が気づいていても何もできなかった、という現実もあるようです。
そもそも子どもはいたずらが大好きです。そしてたまには喧嘩をすることももちろんあります。そんななかで、そうしたことがある特定の子どもに対して日常的に行われていないか、息子の学校では常に教師と学童の保育師、保護者が気を配って連携しているので、少なくとも息子の学校ではかなり高い位置づけでいじめ対策に取り組んでいると感じています。
年に2回の親子面談の際にも、事前の紙面でのアンケートでも「いじめられたことがありますか?」という質問や、「いじめている人をみたことがありますか?」「誰かをからかったことがありますか?」などの質問があり、実際の面談の中でも、勉強面だけでなく学校生活面の重要な位置づけとして、この部分はきちんと子どもの声を直接聞くように、大人の方が気を配っています。
また、基本的に先生が持つ情報として、子どもたちに自分を中心においた波紋を描かせ、自分に一番近い円のなかにいるのは誰か(クラスメートだけでなく先生の名前も書かせます)、次の円には誰がいるか、その次の円には誰がいるか、円に入らない人はいるか、という図を描かせています。その様子から個々の子ども同士の親近度を知るだけでなく、誰からも円の外に置かれている子どもがいないかどうかというチェックにもなるので、いじめを把握する意味で効果的に活用しているように思います。保護者がそのデータを見ることは基本的にありませんが、もちろん望めば自分の子どもの分は見せてくれますし、問題がありそうな子どもの保護者には連絡が入り、その資料を元に対策が話し合われます。息子はまだ2年生なので、陰湿ないじめが始まる学年には達していない、ということもありますが、息子のクラスを見ていて、このクラスの中でいじめが起こることは無いとは言えませんが、現時点では考えにくい状況です。
そもそも、保護者の送り迎えも、ひとつのコミュニケーションで、私自身も母親だけでなくクラスメート全員の両親の顔を知っていますし、ことあるごとに、保護者同伴のクラス全体のレクリエーションを行い、子ども同士の遊び方や誰と誰が仲がよくて、この子はどんな性格かなど、全てオープンになっています。つい先日もハロウィンパーティーを真っ暗な森の小屋で行ったのですが、そのとき同席したルーマニアから養子になったアルバート君の養父母に、「ニコラス(息子)君は、お絵描きが上手ですよね。やっぱりそれはお母さんの影響かな」と言われ、何でも通通だな、と思いましたが、同時にいいことだとも思いました。こうして保護者同士もただ顔を合わせるだけでなく、レクリエーションのあとにはいっしょにお茶とケーキを楽しんだり、対話をする機会も多く、こうした対話の中で、トラブルがあればオープンにしています。
お誕生会なども、基本的にはクラス全員、あるいは男子のみ全員、女子のみ全員、というかたちで、誰々ちゃんは呼ぶけど誰々ちゃんは呼ばない、ということは今までの私たちの経験ではありません。もちろんこれもクラスの人数が少ない(最大28名で平均は20名前後)からこそできることでもあるのですが、お誕生会への送り迎えも必ず保護者がするので、その時にもその家庭の様子を見ることもできますし、親たちは迎えに行ってそこでまたお茶をして帰ります。
そんなことが日常的に行われている中で、いじめの現実に親さえも気がつかない、ということがかなり少ない、というのはあると思っています。もちろん親としての目を過信してはいけないと思いますが、もともとオープンな態度がいじめ問題にも役立っているように思います。
日本では最近、いじめの現実がないか(加害者側になっていないかどうかも含めて)、子どもの身辺調査を探偵に依頼する保護者が増えて来ているらしいというニュースも読みましたが、いじめが発覚したケースもあるようで親の気持ちがわからないわけではないですが、根本的な問題の解決にはなっていないのでは、と思います。
先にデンマークでもいじめがないわけではない、と書きましたが、実は隣に住む現在17歳の高校2年生のシシラさんが、国民学校(デンマークでは小学校と中学がいっしょになっており、ゼロ年生から10年生までの児童・生徒がいます)に入った頃からいじめを受けていました。私たちが今の家に引っ越して来たとき、彼女は10歳になったばかりでしたが、その頃からいじめはエスカレートしていたようです。
当時、私はほとんどデンマーク語が話せない状態でしたが、彼女は学校でのことを忘れたいのか、日本人が隣に引っ越して来たことによほど興味があったのか、私と話をしたがりました。息子が1歳だったこともあり、息子のことをかわいがってくれ、我が家の庭でよく息子と遊んでくれました。
彼女が学校で英語を習い始め、少しづつ英語での会話も楽しめるようになり、彼女はますます自分の英語力を試す意味でも、私との簡単な会話を楽しむようになり、かなり個人的なことも教えてくれるようになりました。
そのなかで、ある日「実は私、学校でいじめられていたの。でも学校を変わって、自分と似たような環境だった子がいっぱいいるし、生まれ変わった気分なの」と、言ってくれたことがあり、私にはいつも明るくふるまいながらも、そんな思いを秘めていたのだと、ハッとしたことがありました。
その彼女がいじめを克服したストーリーが、つい先日新聞(metroXpressという、駅などで無料でもらえる広告を収入源とした新聞で、デンマークでは大手新聞社Jyllands Posten のグループに属する。Weekdayの朝刊と夕刊の2回発行。朝仕事に出かける時朝刊を手にし、夕方帰宅する時に夕刊を駅で手にできることから利用者も多く、ヨーロッパの他の都市にもその都市のmetroXpressがある)に掲載されました。彼女と彼女の母親へのインタービューで綴られたその記事には、私の知らなかったシシラの悲惨な経験が書かれていました。
シシラは、赤毛のカーリーヘアーでそばかすのかわいい少女ですが、ちょっとふっくらさんで、その容姿がまずいじめの対象になりました。多くの子どもが金髪で色白のこの国で、彼女は目立つ存在でした。また、彼女はひとりでゆっくり絵を描いたり本を読んだりするのが心地よい子どもでしたが、なわとびやケンケン遊びが苦手で、遊びの輪に自ら入ることもなかなかできませんでした。
彼女はほんのちょっとみんなと違う女の子。ただそれだけだったのですが、みんなからは「ちょっと変」と言われ続け、それがいろいろな場面で仲間はずれにされてしまう要因となりました。この「ちょっと変」というのが、後になってある兆候であったことがわかるのですが、当初、シシラの母親は、「毎日落胆して帰ってくるのはわかっていたし、彼女がちょっと他の子とは違う、ということもわかっていたけれど、心無いからかいの言葉に自分自身を追い込んでいる部分もあり、もっと彼女自身に自信をもたせることで解決できるのでは」と思っていたそうです。
しかしながら、いじめは続きました。シシラはどんなパーティーやクラスメートのお誕生会にも招待されることなく(先に書いたように、今の息子のクラスではあり得ないことです)、また体育のグループ分けなどがある場合も、どこにも入れてもらえず、いつも最後になったそうです。「最後に一人ポツンと残されて立っていることは、ほんとうに寂しくて心が痛み、みんなに『シシラは醜くて価値のない人間だ』とまで言われるようになり、本当にそうだと自分自身も思うようになった」と言っています。
でもそこでシシラはくじけずに、6年生になった頃、自分のホームページを作成し、そこで辛いことやみんなに言われたこと、されたことなどを整理して書き込みながら、自分の心境を綴ることで、溜め込まない努力をしたそうです。
ただ「それがたぶんバカなことだというのはわかっていたけど、いじめにはほとほと疲れてうんざりしていたので、とにかく吐き出したかった」と言っているように、それは本当に残酷な結果を招くことになりました。
ホームページ開設後、クラスメートはより汚い言葉で彼女をなじるようになり、彼女が書いている言葉を文字って、あたかも彼女が他のクラスメートの悪口を言っているかのような文章を作成し、それが教室に貼り出されました。男子の中には、シシラのすねを蹴り上げたり、拳でお腹を殴ったりする生徒まで出てきて、当然のことながら、シシラの両親は何度も学校へ足を運び掛け合いましたが、真剣に受け止めてもらえず、「それはいじめではなく、シシラ自身の問題である」という担任と校長の判断まで下り、学校を変わらざるを得なくなりました。
シシラの母親は「今思えば、あの時もっと学校とやりあうべきだったと思う。クラスメートにも、いじめの現実を認識してもらうべきだった」と、たとえ今はシシラがいじめられていなくても、このことに関しては強く闘えなかった自分たちを後悔しています。
そして、その後3回の転校を重ね、ようやく彼女はDagkostskoleという、寄宿制ではないのですが、それに近い体制を持つ特殊学校に通い始め、そこで自分の問題に気づくことになります。
その学校には、基本的に社会的な適応能力が低い生徒たちが集まっていて、彼女自身もびくびくせずに過ごせた、ということも非常に大きかったのですが、その学校の先生はもちろん真剣にシシラの問題に取り組み、何度もカウンセリングを重ねるうちに、シシラがアスペルガー症候群(http://ja.wikipedia.org/wiki/アスペルガー症候群)である、と診断しました。
このことで、さらに専門家の診断を受け、こんな言い方は変ですが、どうどうと自分の状況を言うことで、それがために普通の人とはちょっと違うのだから、社会的なコミュニケーションが計りにくい、ということを回りの人間にも理解してもらうことができるようになったそうです。その診断をはっきり下してもらったおかげで、今、彼女は仲間はずれにされることなく、ロールプレイ(役を決めてその役になり切って遊ぶ)にも参加するようになり、元気に毎日普通高校に通っています。
「ロールプレイで友達までできるなんて、私にとっては信じられないくらい大きな変化です」とシシラはその喜びを語り、彼女の経験をオープンにすることで、同じような思いをしている人たちを励ましたいようです。
デンマーク教育環境センターの調べでは、4年生から10年生までの生徒を対象に行ったアンケートで、過去2ヶ月の間に、18%の生徒が、ひとりあるいは複数の生徒からいじめを受けていると回答し、17%の生徒がいじめに加わったと回答したそうです。また、41%の生徒が1回あるいは数回、他の生徒が誰かをいじめている事実を知っていたが、止めることができなかったと答え、23%の生徒が先生はその実態を知らないと思う、と回答したそうです。
metoroXpressは、シシラの記事に続いて、その翌日も別の少女のケース(携帯電話に毎日膨大な量の嫌がらせメールを受信している)を紹介し、いじめの実態を紹介しながら、教育省の通達が行き届いていない教育現場の実態を伝えています。
子どもを大切にするこの国でも、多少はいじめがあることは知っていましたが、具体的なことをより深く知るようになり、また隣のシシラのこともあって、人ごとではないと思っています。一つ救われているのは、少なくとも息子の学校では、いじめに関してはかなり積極的に「起こる前に防ぐ」という体制をとっていることと、先日も宿題で持って帰って来た自治体からの小さな本のテーマは「いじめ」で、こうした本をデンマーク語の授業の中でも、一緒に読み、どう思うかディスカッションしていることです。
それとシシラのケースもそうですが、親さえも知らなかったとか、その子どもが何の信号も発していないという訳ではないようなので、その点では両親との対話も見えますし、子ども自身が自分だけで抱え込んでいないことがまだしも救われるかなと思います。もちろんだからと言って安心しているわけではないので、特に息子の場合は日本人の母親を持つダブルということもあり、他の子と違う、という認識を持たれやすいので、保護者としての目もより注意深くしておく必要があると思っています。
数年前からデンマークの低学年(主にゼロ年生)に取り入れらている「Trin For Trin」(=Step by Step)という授業も、いじめなどを防ぐための取り組みで、この授業の中では子どもたちは数枚の写真を見ながら、そこに写っている子どもがどんな心境かを想像させ、ディスカッションすることで、人の気持ちを汲み取るとか、思いやるという気持ちを育む取り組みをしています。
こうした取り組みの効果がまだ出ていないのか知れませんが、私たち保護者も、自分の子どもだけでなく、クラスメートの保護者との対話と担任との連携をこれからもしっかりして行くことが大事だなと痛感しています。
ところで、デンマークでは大人の社会でもいじめがあるそうです。2005年のデータで、8.3%の労働者がいじめを経験したそうです。パターンとしては、日本で言うところの部長が課長をいじめ、課長が係長をいじめ、係長が平をいじめるという構図のようです。8.3%のうち、外国人の割合が多いようなので、おそらくいじめというより外国人に対する差別も含まれるのでは、と思いますが、大人の社会でもある、というのは人間が弱い生き物である、ということの証でもあるように思います。
最後に、先週末からのデンマークのテレビニュースで、一番気になったのは高校生のストライキです。この原稿を書いている日曜日現在で、先週金曜日に全国で3校、月曜日には10校でストライキが決行される予定です。ストライキの理由は地方行政改革のあおりで、1クラスの生徒数が現行の20名前後から30名以上に増やされる、ということへの生徒の反対意思表明です。ストを決行した学校長のインタビューも出ていましたが、ストを煽るわけではないが、クラスの人数を増やすことには教師側も反対とのこと。このスト、どのように展開して行くか、高校生たちの声が行政に届くのか、注目しているところです。
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