海外レポート/エッセイ
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高田ケラー有子(Yuko Takada Keller)   造形作家(デンマーク北シェーランド在住)
京都市立芸術大学大学院修了。日本在住時よりヨーロッパ、アメリカなどで作品を発表。1997年よりデンマーク在住。近年はデンマークを中心にヨーロッパ、日本で作家活動。キューレータとしても、日本のアーティストをデンマークに紹介している。
コミッションワークとして、岡山県早島町町民総合会館「ゆるびの舎」、兵庫県 看護協会に作品を手がけている。
著書に『平らな国デンマーク〜「幸福度」世界一の社会から〜』(NHK出版生活人新書)
Webサイト:http://www.yukotakada.com/
第42回 「小児医療の実態」
配信日:2006-05-16
 ちょっとご無沙汰しておりますあいだに、こちらはすっかり春を通り越して、早くも夏の気配を感じたかと思えば、また日中の気温が10度と涼しくなったり、典型的な変わりやすいお天気に振り回されています。しかしながらお天気のいい週末には、どこからともなく芝刈り機の音が忙しく聞こえ、太陽を仰いでまるでひまわりのように椅子の向きを変えながら、庭仕事の合間に楽しむビールが格別の季節にもなりました。我が家の庭にある桜も、1週間ほど前に満開となり、今は葉桜ですが、ちょっと油断している数日間に、数えきれないくらいのタンポポも一気に咲いてしまい、これから雑草退治に忙しくなりそうです。

 さて、季節は巡り、この春でデンマークに来て早9年となり、息子は8歳ですが、実はいままで一度も小児科のお医者さんにかかったことがありません。「そりゃ〜健康なことでよろしいね」と言われてしまえばそこで話は終わってしまうのですが、そうではなく、もちろん熱を出したり腹痛を訴えたり、原因不明の腰痛や関節の痛みを訴えたこともあります。でもその度にまずお世話になるのは、ジェネラリストのホームドクターであり、そこから専門医を紹介されることはあっても、公立病院の小児科にまで行ったことが一度もありません。基本的に健康体で大きな病気をしていないからではあるのですが、他の子供たちを見ていても、特に何か問題を抱えていない限り似たようなもので、ふと考えてみて、8年間に一度も小児科医にかかっていないことにあらためて気がついたような次第です。

 小児科にはかかっていませんが、生後7日目からチャイルドナースの訪問を定期的に受け(これも無料です)、以後1歳半くらいまで、月齢とともにその頻度は落ちて行きましたが、継続して自宅訪問を受けていましたので、その間は医者ではありませんが、子どもの健康管理に関しては看護師の目がいつもある状態でした。また、学校では定期的に、こちらも医師による診察ではありませんが、看護師による健康チェックがありますので、全くなんのお世話にもなっていない訳ではないのですが、病気をした時に小児科にかかる、という概念がまずありません。というか小児科の医者がどこにいるのかも、公立病院を除いては知りませんし、公立病院でいきなり外来で診察を受けることもできないので、考えてみたこともありませんでした。

 デンマークの医療制度に私が満足しているか、と聞かれれば、それはいろいろな側面があり(どこの国のどんな制度でも明暗はあると思っています)、例えば妊娠・出産に関しては満足していますが、直接専門医にかかれない部分などは、決して満足しているとは言えません。しかしながら、例えば、日本で言われているような小児科医の不足問題やそれにまつわる過重勤務、小児医療体制の不備からくる急患の受け入れができない問題などを、この国では聞いたことがなく、また個人的にも子育て真っ最中でありながらも小児科医にお目にかかったこともないことから、こちらでの小児医療に対する苦情などをちょっと調べておりました。

 医療の専門知識などは全くないので、医療についてのお話を突っ込んで書いたことはないのですが、JMMでも以前に少し書いた内容と多少重複する部分もありますが、日本で深刻になっている問題を知るにつけ、一母親としてこちらの実態をできるだけ正確に伝えたいと思うようになりました。息子が小児科医にかかったことがないことを、普通であるとも言い切れませんし、また、息子の場合には問題がなくても、表面的には見えていない隠された問題がないとも言い切れません。しかしながら、確実に見えている部分に目を向けたレポートとして書いてみたいと思います。

 全体の医療システムが全く違うので、日本の医療制度と比較してそのよしあしを語りたい訳ではなく、あくまでも、デンマークでの実態を伝える意図で書くのですが、まず、こちらでは、公立の医療機関では医療費がかからないことは、ご存知の方も多いと思います。多額の税金に支えられたシステムですが、デンマークの住民の90%以上が属している健康保障制度では、歯科、理学療法、脊椎指圧療法、足療法、薬局では一部負担がありますが、それ以外の公立の病院、ホームドクター、専門医は全て無料です。

 これだけ聞くと素晴らしいシステムのように思えますが、不便なことも多々あります。まず病気になったらホームドクターに電話を入れて予約を取り(通常は午前8時から9時の間、急病の場合は午後4時までに電話する)、ホームドクターの診察を受けてから、必要に応じて専門医に紹介もらうのですが、専門医に紹介してもらっても、診てもらうまでに、1ヶ月半から2ヶ月近く待たされることもあります。大人であれば、これもまあ我慢できるのですが、子どもがなんらかの痛みを訴えているような場合は、それがたとえ関節などの痛みであっても、親としては早く診てもらいたいといつも思います。またこうした場合も、レントゲンをとりあえず撮ってくれる、などというようなことはなく、触診でホームドクターが大丈夫と判断すれば、レントゲンをとってもらうこともまずありません。でもその判断がいつも正しい訳ではなく、時には再度診てもらって初めてレントゲンを撮ってもらって骨折がわかった、などというケースもあります。内科的なことでも、例えば風邪をひいた、という場合にも、電話でアドバイスを受けるのみで、医者にかからないことがほとんどです。医者にかかったところで投薬もしてもらえないので(風邪薬が存在しない)、水分を十分にとって寝かせておくだけで、風邪などの場合には家庭で対応しています。電話をかけて聞くこともほとんどないように思います。ただ、たんなる風邪であるかどうかの判断は、素人が安易にできるものでもありませんし、特に子どものケースでは不安はありますが、電話であっても症状をしっかり伝えることで、必要であれば医師が診察をするので、大きな問題が起こっているケースを身近なところでは聞いたことがありません。
 通常は、こうしてホームドクターの診察とアドバイスに従うのですが、夜間の場合は、夜間ドクターに電話をして指示を仰ぎ、最寄りの公立病院の夜間診療に行くのが普通です。これは自分で病院に行く訳ですが、何回か私も息子を連れて行ったことがありますが、待ち時間はその時にもよりますがせいぜい20分程度で、来た順番に診てもらうことができます。ここで、診察拒否されることなどありませんが、ここに常駐しているのもジェネラリストであり、一般の夜間診療なので小児科医が特にスタンバイしているわけではありません。ただし、必要に応じて、診察した医師の判断でそのままその病院内の専門医に診てもらうこともあれば、専門医がいない場合は、電話で相談して判断を仰ぐこともあるようです。ここで、無駄が省かれていると思うのは、看護師や他の事務職員などと顔をあわせることもなく、診察してくれるジュネラリストが全てを仕切っていることです。最初に電話をかけた際に話したことが、すでにコンピュータに入力されており、そのデータをみながら診察が始まります。無料なので支払いもないし、夜間診療の待合室に直接行って順番待ちの番号を取り、番号が呼ばれたら診察してらって、あとはそのまま帰るだけです。処方箋を出された場合には、24時間開いている薬局に買いに行きます。

 それ以外に、事故や大けが、一刻を争う病状の場合は、救急車を呼ぶか、自分で最寄りの病院のSkadestueと呼ばれる緊急治療室に直接行くこともできます。緊急治療室か夜間診療でいいかどうかの判断は、市民もおよその判断ができているようです。私も一度、仕事中に指を切って、自分で車を運転してこの緊急治療室で3針縫ってもらったことがありますが、怪我の状況説明とこれから行う処置の説明、また破傷風ワクチンの接種を受けているかどうかなど、処置前の細かな聞き取りもあり、丁寧な対応をしてもらいました。こうした処置を受けた後の診療は、軽傷の場合は自分のホームドクターで予約をとって受けることになります。

 最寄りの公立病院ですが、住んでいる地域によって、また各病院によってその規模も対応している専門も多少違いますが、私の住むFrederikisborg Amtという日本で言うと県にあたる地域(県全体の人口37万人10歳未満の人口5万人強)には、4つの総合公立病院がありますが、そのうち小児科をそなえている病院はひとつだけです。地方分権の進んでいるデンマークでは、このAmtの責任において緊急の医療体制も不備のないように地域ごとに最低ラインが整えられ、小児科を備えている病院が地域に一つであっても、それぞれの病院でできるだけの対応ができるキャパを整えているようです。

 実際に医療に対する苦情や問題がどの程度あるのかというと、デンマークでは医療に関わるあらゆる苦情に対応しているSundhedsvaestenets Patientklagenaevn (英訳するとHealth Sector Patient Complain Board)という組織が内務保健省の管轄下にあり、そこに全ての苦情が寄せられ、この組織の委員会が調査をして、医療機関に責任のあることか否か、また法律に違反してないかどうかなどの判断をし、医療機関側に責任がないと認められる場合には、患者側への説明をし、また責任があると認めたり法律に違反していると判断した場合には、医療機関側へ注意勧告などの適切な対処をするようです。ただし、この委員会の判断に不服を申し立てる場合ももちろんあり、また、複雑なケースでは裁判に持ち込まれることもあります。重要なのは、この組織は罰を与えるための機関ではなく、事実を検証することによって、同じ間違いを繰り返さないことにあると、その活動を見ていて思います。

 この組織の2004年のデータによると、1年間で取り扱ったケースが1677件。そのうち医療機関側の責任はないと判断されたケースが1302件(77.6%)、医療機関側に責任があると判断されたケースは371件(22.1%)、裁判に持ち込まれたケースが4件(0.2%)でした。人口の少ない国(約540万人)での話ではありますが、この数のなかには、投薬や医療行為に対する説明不足だと受け取ったケースや、輸血に対する宗教的な理解の違いなどによる誤解も含まれ、直接患者の病状に影響しなかったケースも多々含まれることを考えると、苦情や問題の数そのものは、多くはないと感じます。だからいい、というわけではありませんが。またそうしたケースに関わった医師や看護師別のデータでは、同じく2004年のデータでデンマーク全体で3053人の医師や看護師、歯科医、助産師、理学療法士、脊椎指圧療法士、薬剤師などに対してそれぞれのケースに対する決定がなされ、全体の83.6%が違反行為ではないと判断され、残りの16.4%は違反行為(またはミス)があったとみなされたようです。この数を見ると、その重要度に差があるとしても年間約500人の医療機関従事者がなんらかの違反行為をしたということになり、こうしてみると少ないとは言えない気がしますが、ミスをできるだけ避けるためにも、この組織が常に同じ基準で調査し判断を下すことと、外部にも詳細な報告を開示することは、自己点検の意味でも大きな役割があると思います。ただ、過去のデータと比較して、その数が減少している訳ではないので、医療現場での患者や家族とのコミュニケーションの難しさを痛感します。

 苦情や問題については、それぞれのケースの詳細も報告されており(医療行為の詳細と患者の症状、法律などの参照も記載)、特に小児医療に対するケースを見てみましたが、投薬ミス、投薬や医療行為への説明不足、他の患者からの院内感染、誤診、誤診の疑い、などさまざまなケースが報告されていますが、医師の不足による受け入れ拒否や、小児科医がいないために診てもらえなかった、というような苦情は1件も見当たりませんでした。もちろん、そういうケースは隠されているんじゃないか、と疑えばきりがないですが、内務保健省の管轄で報告されている情報ですし、そもそも患者側も小児科医に診てもらうことを期待していないこともあるので、ここでの報告に疑問は感じていません。

 小児科医に診てもらうことを期待していない、と書きましたが、それはネガティブな考え方ではなく、「ドクター」という存在を信じている、という裏返しでもあります。少なくとも、子どもであっても小児科医に診てもらわなければならないという概念から入らないので、小児科医だけにかかる過重な勤務状況、というような実態もないようです。ただ、もちろん小児科を備えている病院では、専門的に小児医療に取り組んでいますし、小児科での治療が必要なケースには、小児病棟で対応しています。もちろん、緊急であっても小児科医に診てもらいたいという希望もあるでしょうが、表立ってそうした話を耳にすることがありません。ところで、小児病棟を持つ病院にもいろいろ特徴があります。例えばFrederiksborg Amtにある小児科のある病院では、入院患者(児童)に両親が付き添って眠ることができるベッドが用意されているなど、病気を抱えた子どもを持つ家族への配慮もしています。

 昨年11月にJMMでも書いたのですが、デンマークの地方行政が来年からスリム化され、全国に14あったAmtが5つのRegionに改変されます。この第1の目的が医療制度の充実にあるのですが、14に別れていた地域が5つになるため、夜間の緊急診療に対する不安は地域の範囲が広くなるだけに、少々不安もあります。日本でも医療制度改革が矢面に立っているようですが、デンマークでは今ある病院の数を減らす意向もあるようで、減らして合理化を図る反面、一極集中型の総合病院の機能性を高めるというような案があるようなのですが、地方行政改革の柱として改変されるRegionでの医療体制がどうなっていくのか、注目されているところです。

 医療費が無料であっても、病気をしても、やたらと医者にかからない、薬漬けにならないという風習があることも、この国の医療制度を国民が支えている由縁なのかもしれません。また町のホームドクターがお年寄りのたまり場になっているようなことも一切ありません。日本でも高齢者への医療費負担に関して負担を増やすのではなく、少なくしながらも、病院にかかる高齢者の数そのものを減らしていけるような意識改革と社会制度の充実が必要なのかもしれません。言うは易しでありますし、部分だけを見てものをいうのはいけませんが、無料でありながらも病院に人があふれていることはなく、深刻な病状でない限り、むしろ、自分で判断できることは自分で判断し、電話でのアドバイスで家庭で対応しているケースも多いと思っています。

 在住の日本人の多くは、ホームドクターではもの足りず、どうせ行ってもろくに診てもらえない、と思っている人も少なくありません。歩けないほどのねんざをすれば日本にいれば町医者でもレントゲンを撮ってくれるのに、と言う思いや、他の疾患でも何ヶ月も待たなくても直接専門医に行けるのに、と言う思いが確かに私にもあります。特に子どもが怪我をした場合には、いらつく方も多いようです。また予防医学の概念が希薄ですし、そうした心配もあります。もちろん、高い治療費を払って私立の病院で診てもらうことは可能ですが、よほどのことがない限り、なかなかできるものでもありません。そうした不満はあっても、小児科にかかったことのない子どもがたくさんいるなかで、大きな問題や苦情になっていないことは、なにかのヒントにならないだろうかと、単純かもしれませんが思うのでした。日本でも、小児科医が無理のない勤務状況を継続でき、病気になった子どもが、夜中でも休日でも安心して診療が受けられる体制が整うようにと願っています。

村上龍RYU'S CUBAN NIGHT