海外レポート/エッセイ
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高田ケラー有子(Yuko Takada Keller)   造形作家(デンマーク北シェーランド在住)
京都市立芸術大学大学院修了。日本在住時よりヨーロッパ、アメリカなどで作品を発表。1997年よりデンマーク在住。近年はデンマークを中心にヨーロッパ、日本で作家活動。キューレータとしても、日本のアーティストをデンマークに紹介している。
コミッションワークとして、岡山県早島町町民総合会館「ゆるびの舎」、兵庫県 看護協会に作品を手がけている。
著書に『平らな国デンマーク〜「幸福度」世界一の社会から〜』(NHK出版生活人新書)
Webサイト:http://www.yukotakada.com/
第39回 「アナン発言の真意」
配信日:2006-02-28
 26日の日曜日は春を呼ぶ「仮装のお祭りフェスタラウン」でした。子どもたちのユニークな仮装姿に、特に長くて暗く感じたこの冬がようやく明けてくれるだろうかと、期待を寄せておりました。息子の学校では24日の金曜日に、学校をあげてのフェスタラウンを祝う催しが行われ、先生も子どもたちも全員が、朝から仮装姿で登校し、丸一日楽しく過ごしたようでした。おかげで私は息子の衣装作りに没頭しておりましたが、それもまた楽しく、親子のコミュニケーションを深める意味でも、フェスタラウンの衣装作りは我が家ではアニュアルな家族行事になっています。息子の話によると、ゼロ年生から6年生までが、クラスごとに食堂でパレードをしたようで、ムスリムの子どもたちももちろん思い思いの仮装姿で参加していたようで、微笑ましくその話に耳を傾けました。

 風刺画問題は、まだまだ尾をひいておりますが、シリアのデンマーク大使館も再開されるなど、少しづつではありますが沈静化の方向に向かっているのだろう、と感じる反面、国連に対してデンマークの法律改正を要求する国もあり、またアラブリーグの代表もEU議会に出席し、EU内で二度とこのようなことが起こらないように、EU全体に対しても、共通の概念として宗教に対する批判や風刺などの行為を禁じる法律を作るように要求していました。しかしながら、EU議会としては民主主義の国でそうした法律を作ることはできないし、またたとえできたとしても、それはしたくない、という考えを示したようです。

今回のことで、言論の自由は保障されるべきだが、自由には責任が伴うことと、宗教の尊厳は尊重されなくてはいけないこと、ただしそれを主張するための暴力行為は正当化されないこと、という共通の認識が西欧社会では改めて構築されたと思いますが、イスラム社会にとってはそれを法律化して欲しいと願う気持ちと、そこまではできない、という西側の気持ちに「しこり」のようなものが残っていると感じています。デンマーク側の対応としては、国の謝罪、というものはないままですので、自由の国、また徹底した個人主義の国らしい対応ではあるのですが、今後一切しません、というような約束事も、法律上できないのでしていませんし、個人や企業のレベルで再発する可能性を秘めているところに、なんだか不安に似た感情を覚えます。

 こうした不安を口にすると、デンマーク人のなかには「そう思うことこそがテロリストの思うつぼなんだ」と指摘する人もあります。暴力的行為を恐れて、なにも言えなくなるのはまちがっている、だから、言論の自由が保障されているのだと。

 宗教の尊厳は尊重されるべきではあるが、それは「べきである」ということであり、「批判をしてはいけない」という法律にできない、というのがデンマーク、あるいは欧州の意向ではないのだろうかと思います。宗教の尊厳を尊重し、心情を傷つけるような行為はしないでおきましょう、という認識は持てていると思いますが、それを法律にできない、というのも理解できます。自国の憲法を、他国の方針で変えることができないことも西側では一応に理解が計られていると、思っていました。

 ところが、26日夕刻、フェスタラウンで楽しく仮装する子どもたちのニュースに混じって、意外なニュースが飛びこんできました。国連のアナン事務総長による声明です。最初に聞いた情報では「ヨーロッパの国々(デンマーク)は多くのムスリムを抱える素地ができておらず、彼らにどうアジャストするか確立できていない」というようなものでした。このニュースを聞いた瞬間、耳を疑い、とにかくもっと詳しく知りたいと思いました。国連の道議に従って難民を保護しているデンマーク(ヨーロッパの国々)が、どうしてそういう批判を受けるのだろうという思いがありました。

 その後、アナン事務総長の発言は、カタールでのThe High Level Group For The Alliance Of Civilizationsでの声明であることもわかり、全体の意図は事態の沈静化を呼びかけるものであるとわかりましたが、確かに批判的であり、デンマークでは、デンマークに対する批判として受け取られ報道されるのも無理ないかな、と思いました。デンマークの外相がただちに「デンマークが在住マイノリティに合わせる必要はなく在住マイノリティがデンマークの法律や考え方に合わせるのが筋である」 という意味の反論をしていました。もちろん宗教の尊厳を無視していいとかそういう意味ではなく、ごく一般的な暮らし方として、この国で暮らすならこの国のルールに従って欲しい、と言う意味です。デンマークでは在住少数派の生き方を否定している訳ではなく、彼らの食習慣や風俗についても尊重し、デンマークのおいしい豚肉を食べろと強要もしてもいないし、ブルカをまとうな、とも言っていません。彼らの宗教を否定しているわけでもありません。でも、少数派のムスリムに心地よく暮らしてもらうために、デンマーク人が彼らの風習に合わせたり言論の自由を主張する考え方をやめる、というのはおかしなことです。そう言う意図ではなく、言論の自由を押し付けるのは間違っている、という捉え方もできますが、デンマーク(ヨーロッパ)がアジャストできていない、という表現がデンマーク人にはひっかかる、というのもわかります。

 今回のことで、多くのムスリムの感情を傷付けたことは確かなことでしょう。しかしながら、だからといって、難民を受け入れる素地として彼らのやり方に合わせなければならないとは思えません。尊重すべきことへの配慮がなかったこととして、深く受け止めているだけでは足りないということなのでしょうが、法律改正までできないことは理解できます。さまざまな事情で祖国から逃げて来た人たちを、デンマークは受け入れこそすれ、ないがしろにして来た経緯などみあたりません。もしかしたらテロリストかもしれなくても、国連とのお約束通り、祖国へ返せば殺されることが分かっている場合は、どんなケースでも受け入れています。そんな状況もわかっている中で、なぜ、アナン事務総長がムスリムたちマイノリティーに合わせることができていないとするのか、マイノリティーでも今や大きなコミュニティーと化したからそう言うのか、それとも真意は違うところにあるのか、でも外相の反論を聞く限り、批判を受けたと捉え、衝撃を受けていることは確かではないかと思います。

 ムスリムへの誤解を少しでも解いて行くために、今、デンマーク人民党からデンマークの憲法をアラビア語に翻訳して正しい理解を求めようとする提案がでており、それはとてもいい考えだと思ってます。多くの難民を抱え、難民たちはこの国のルールに従って生きており、またそうすることが受け入れてくれた国で生活するのは当たり前のことだと多くの難民たちも思っています。それでもあまりにも違うルールを理解することは難しく、それがその国の言葉でしか書かれているものしかないとすれば、なおのこと、読む気も起こらないでしょうし、読んでも誤解が生じることと思います。幸い、この国には祖国の言葉とデンマーク語をネイティブのように話すムスリムがたくさんいます。そうしたムスリムたちによって、誤解のない翻訳がなされ、多くのムスリムに読んでもらいたいと思いますが、憲法のアラビア語翻訳が今までなかったことをアナン事務総長に批判されているとしても、それはどこの国にも当てはまることなのではないでしょうか。ヨーロッパにのみマイノリティーにアジャストすることを要求することは間違っているのでは、と思います。

 日本のメディアではほとんど風刺画問題には触れなくなっていることと思いますが、ナイジェリアで、風刺画問題をきっかけにイスラム教徒がキリスト教徒を攻撃したことから、キリスト教徒も反撃し、すでに80人以上の死者が出ていることは(23日現在)、大変哀しいできごととして、デンマークでも受け止められています。

 この間、いろいろな動きがありましたが、国としての動きは見えにくく(外務省レベルの働きかけはその成果が見えるまでは見えにくい)、個人の動きが目立ちました。起こっていたことだけを連ねていきますと、デンマークの元中東大使が、個人的に中東各国を回り、あくまでも個人としての謝罪をしてまわったり、ある個人がJyllands-Postenの謝罪文を新聞記事ではなく広告として、中東地域の新聞に掲載したり、国内のプロテスタントとカソリックの牧師たちが対話による理解を求めるために中東への旅にでたり、というように、国レベルではないさまざまな動きが、その賛否はともかく、なにかせずにはいられない人々の動きとして出ておりました。

 また、イスラム社会からは、サウジアラビアの若者向け番組のテレビクルーが、コペンハーゲンにやってきて、市民のインタビューなどを積極的に行い、デンマーク市民の生の声を届ける努力と、また自分たちがデンマークに足を運ぶことによって、対話の構築を計りたい、と語っていました。

 トルコでは、国内デモが起こってはいますが、国としては、デンマークとイスラム諸国との間を取り持ちたいという申し出もあり(トルコはEUのメンバーになりたいので、その思惑もあるとは言われていますが)、また誤解の元となった、12枚のイラストにプラスされていた豚の耳と鼻をつけたムハンマドは、実はフランスのコメディアンが、「豚のスクリーミングコンペ」(いかに豚の鳴き声に近いかを競うコンペ)に出場した際に、豚に扮装した顔写真の粗悪なコピーであったことも発覚するなど、掲載した事実を正当化するものではなくても、少しづつ氷が溶け始めている気配も感じます。

 それでも、つい先日、インドネシアでまちがってスイスの国旗が焼かれたという事実も報道され、やはりヨーロッパは遠い国なのだ、と思わざるを得ません。

 こうした動きの中、先日(2月23日)デンマークの全国放送TV2がおこなった、電話による有権者1124名へのアンケートで、この間の政治家たちの動きを評価する数字がでていました。数字は、風刺画問題について各政治家の働きを問うもので、よく働いたとするか(Yes)、働いていないとするか(No)、というアンケートでした。結果、前回のJMMのレポートでも触れました、Moderate Moslemsの設立者でもあるムスリムの国会議員Naser Khader (Radical Party)は88%がYesで2%がNoと、大変評価が高く、この問題でこの議員の果たした役割が大きかったことが伺えました。その他、Yesの評価が高い順から以下のような国民の評価がでており、これがおおよその国民の声であると受け取っています。
 外務大臣Per Stig Moeller (Conservative Party) 64%Yes/14%No
 アナス・フォー・ラスムセン首相(Danish Liberal Party)55%Yes/30%No 
 デンマーク人民党女性党首Pia Kjaersgaard 40%Yes /32%No
 社会人民党党首Villy Soevndal  24%Yes/33%No
 社会民主党女性党首Helle Thorning-Schmidt  19%Yes/42%No

 この中で、特に目立つのは前政権を握っていた社会民主党への激しい批判です。よくも悪くもなにもしなかった(発言せずに一歩引いてみていた感がある)党首に対して、国民の批判が寄せられ、社会民主党の立場は、かなり悪くなっているようです。また、ラスムセン首相に対する意見としては、全体としては半分以上が支持しているかたちになり、決していい評価とはいえませんが、外から指摘されるほど悪くもなく、国民感情としては今回のことでの首相のとった行動を支持している人が多少ではあるが多い、ということのようです。つまり、国としての謝罪は必要がないと思っている国民も多い、ということでしょう。このあたりが、おそらく多くの日本の方にも理解できないのでは、と思うのですが、デンマークでは日本のように、なにかことが起こった時に起こしたその人だけでなく、その長たるものが責任をとって辞任する、というようなことがあまりありません。また犯人探しにやっきになることを時間の無駄と思う傾向もあります。その意味でも、ラスムセン首相のとった行為が悪かったからこうなった、というような論議にはなかなかならず(もちろんそう言う声もありますが)、Jyllands-Postenが法律の範囲内でしたこととして分けて考える人も多く、中には掲載したことは間違った行為ではないのだけど、本当にバカなことだった、という考えを示す人もあります。Jyllands-Postenへの批判の声ももちろんあり、知識人からは、謝罪しない政府への批判も聞こえるなど、国内の反応もさまざまです。

 2月23日、在デンマークのアメリカ大使が、オーフスにあるジャーナリスト専門学校で「アメリカの外交政策」について講演をしましたが、その中で、大使は、ラスムセン首相がアラブ諸国大使との会談を最初に実現していたとしても結果は同じであったであろう、と言っています。つまり、そこに責任を追求することは単なる犯人探しであり、首相の責任ではないと暗示するものでしたが、他に多くの要素が絡んでいることを考慮した発言であると思いました。

 メディアによる温度差も、デンマークのテレビでも取り上げていました。言っていることが発信元と発信先によってそのニュアンスに大きな差があることで、さらなる誤解を助長した傾向があると語り、それだけに正しい情報を正しく流し、対話の構築が望まれることもメディアの役割として指摘しています。なので、今回のアナン事務総長の声明も、どういう形で報道されるのか、きっと受け取る国によってその受け取り方や捉え方は変わるもの、として捉えています。長い声明文のどの部分をピックアップするか、ということでも変わって来るでしょう。おそらく、デンマークでの受け取り方には被害妄想的な部分があると指摘する人もあるかもしれませんが、デンマークが今まで培って来たムスリムとの関係を無視して、ムスリムに対する配慮がないかのような発言は、歓迎されるものでないことは確かです。
(アナン事務総長の声明文は http://www.un.org/apps/sg/printsgstats.asp?nid=1936
で読めます。みなさんにはどう受け取れるか、読んでみてください)

 いつになったら、ほんとうの春が来るのか、子どもたちの平和な仮装を見ながら、つくづく思いましたが、コペンハーゲン(アマーという空港などがある地域)に新しいエリアを作って、モスクを建築しようとするアイデアを出している建築家グループもあります。デンマークではモスクの建築が許されないというありもしない噂が流れたことも、今回の誤解の一つですが、資金を出すことはできない、と言っただけで、建築が許されない訳ではありません。建ててもいいけれど、国が資金を出すことは残念ながらできないという話が、いつのまにか、デンマークという国と国民はムスリムを阻害しているので、モスクの建築も許されない、という噂として風刺画とともに流れたのでした。モスクを建築しても、日に5回のコーランをスピーカーで流すことは、残念ながらデンマークでは許されていません。でも、それくらいは、我慢してもらいたい、というのは差別でもなんでもなく、ここはデンマークなんだから、という理由で誰しもが思うことであり、間違っているとも思えません。それもアナン事務総長の発言にそえば、彼らにアジャストしてデンマークでコーランを高々と流すようにせよ、というのでしょうか。どうしても町中にコーランの流れるモスクでお祈りしたいなら、祖国へ帰る、という道もとれるはずです。でもそれが阻害などという意味ではなく、また軽蔑や侮辱をしているわけでもないことを、理解してもらいたいと多くのデンマーク人は思っています。

 噂を流したムスリムの若いメンバーのひとりは、15歳の時、ベイルートからデンマークに逃れて保護を求めた難民でした。当時の記録が先日テレビでも放映されていましたが、当時彼は「いつ殺されるかと思うと怖くて祖国には帰りたくない」と言っていましたが、どこでどうやって、このような誤解がうまれてしまったのか、今は「デンマークのパスポートを燃やしたい」というほど、デンマークを憎んでいるようです。15歳からどんな思いをしてこの国で生活して来たのか、それを知る由はありませんが、差別的な行為を受けたこともきっとあったのでしょう。今、こうしたことがまた起こらないようにするためにも、個人主義を尊重する中でも、デンマーク人にも他を思いやる気持ちがもっと必要なのであろうと、この若者を見ていて思います。でもそれは彼らの方法論にあわせる、と言う意味ではありません。多くのムスリムに手を差し伸べてきたことも事実ですが、疎外感を感じて来たムスリムを育ててしまったということも、一つの側面として捉えておく必要があるでしょう。

 先日、日本で起こった悲惨な事件を思い浮かべてみても、外国人がよその国で暮らすことの大変さを改めて痛感しています。中国人妻が幼児を殺害した精神状態を思うと、もちろん幼児殺害という行為にはいたらなくても、疎外感や孤独感、また違和感や軽蔑されているという意識が芽生えるのも、同じ外国人としてよその国に暮らす身としてよくわかります。言葉の壁がいかに高いか、暮らしているといろいろな重圧があるので、それもよくわかります。いいたいことが自分のことばで言えないことも、抱え込んでしまって曲がった解釈につながったりするのかもしれません。

 そうした理解がデンマーク人に希薄であることはゆがめない事実です。人助けが好きな国民性を持ち合わせつつも、言葉のできない外国人に対する配慮は希薄だと感じることもあります。語学学校などでは3年住んでいると言っただけで、「3年も住んでいてなぜしゃべれないんだ!!」といきなり叱られます。しゃべれないから習いに来ているのに、いきなりそんなことを言われれば、やる気も失せると言うものです。憲法をアラビア語に翻訳するという一歩前進しようとしているデンマークで、そうした配慮がより一般的になっていくことを望み、ムスリムだけでなく、外国人への偏見が少なくなることを願っていますが、それはアナン事務総長の言う、マイノリティに合わせて欲しい、という意味ではありません。こうした外国人への配慮や理解は、どこの国でも、日本でも、同じようなことが言えるのではないかと、思う次第です。

 春はもうすぐそこ、と思いたい今日このごろ、すいせん(イースターリリーとこちらでは呼んでいます)の芽が庭で密かに芽生えていることが、嬉しい春の便りです。肌に合わないことを「水が違う」とよく言いますが、人の心に必要な思いやりの水には、違いなどないと思いたいものです。

村上龍RYU'S CUBAN NIGHT