海外レポート/エッセイ
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高田ケラー有子(Yuko Takada Keller)   造形作家(デンマーク北シェーランド在住)
京都市立芸術大学大学院修了。日本在住時よりヨーロッパ、アメリカなどで作品を発表。1997年よりデンマーク在住。近年はデンマークを中心にヨーロッパ、日本で作家活動。キューレータとしても、日本のアーティストをデンマークに紹介している。
コミッションワークとして、岡山県早島町町民総合会館「ゆるびの舎」、兵庫県 看護協会に作品を手がけている。
著書に『平らな国デンマーク〜「幸福度」世界一の社会から〜』(NHK出版生活人新書)
Webサイト:http://www.yukotakada.com/
第52回 「Street Warはコペンハーゲンのコマーシャル」
配信日:2007-03-13
 このタイトルはある無料新聞の見出しです。前回書いた「Street War」が配信になったその日からUngdomshuset(ユースハウス)Jagtvej 69のビルの解体がはじまり、8日には完全に取り壊されました。

 その日を境に、またさまざまな動きが出ており、騒ぎは一応沈静化していますが、この一連の報道から、コペンハーゲンは今までアンデルセンと人魚姫の町(国)として、平和で静かな町(言い換えれば刺激のない退屈な町)だったのが、一変して世界地図に名乗りを上げ(今まで、コペンハーゲンがどこにあるのかさえ知らない人がほとんどという現実を皮肉っています)、ただのおとぎの国じゃなく、生き生きとしたトレンディな町として、ようやく人々の認識を得た、というのが、この新聞記事の内容でした。

 8日、完全にその姿を消したJagtvej 69では、昔ここを拠点に活動していたかつての若者や、ここに少なくとも愛着を感じる人々が自然に集まり、建物がなくなってしまった喪失感に包まれ、取り壊されたビルの破片(ブロック)を、警官から手渡され、記念に持ち帰る人々の姿がありました。その後、このブロックは、サイト上でオークションにもかけられましたが、ひとつ10ドル程度だったようですが、確かにJagtvej 69のものかどうか確認できないということだけでなく、売り上げの使途がUngdomshusetの再建にあてられるということもあって、売れ行きはいまいちだったようです。

 3月8日というのは、International Women's Dayなのですが、実は1910年にJagtvej 69に集まったインターナショナルな女性グループがここでこの日をそのように設定すると決めたという経緯もあり、皮肉なコーインシデントとなった1日でした。

 このJagtvej 69にはさまざまな歴史があり、第一次世界大戦前、レーニンがロシアから逃亡し、デンマークに身を隠していた時にも、この場所で演説をした事でも知られており、そのこともあって、コミュニストの共感を得る場所にもなってきた、という経緯もあったようです。

 こうした背景の中、市民の財産を多く破壊した今回の暴動に対して、その直後のアンケートでは(建物が取り壊される前に実施されたもの)、対象1513人のうち70%が警察の取った行動をよくやった、またはまあまあよくやったと評価し、16%が警察の行動を否定、12%がよいとも悪いとも言えないと回答。また、強制退去に至った責任は、平和的な解決方法を見いださなかったUngdomshusetにあるとする意見が58%、コペンハーゲン市と市長に責任があるとするのが23%で、こうした暴力行為にいたったことを思えば、新しい施設を与えるべきではないとする意見が61%に対して、これ以上の暴力行為を避けるためにも、新しい施設を与えるべきとする意見が23%もあったことは、暴力に屈するという意味で、意外に大きい数字だと感じました。

 その後、建物が取り壊されると、ビルの持ち主であった、キリスト教団体(Faderhuset)の代表が、平和的な文化施設に立て替えるとした上で、「神に選ばれし自分たちが、彼ら(Ungdomshusetの若者たち)を打ちのめした」と、勝ち誇ったような発言をしたと報道され(報道機関に対するコメントではなく、ロスキレ大学のキリスト教グループの研究をしている学生が、記録用の機材などは一切持ち込まないことを条件に、彼らの会合に同席し、その会合で代表が話したことを、その記憶から公表したもの)、また、「他のキリスト教団体にはできなくても、神に選ばれし自分たちならできるので、次はホモセクシュアルやアボーション、ポルノグラフィを撲滅させる」と言ったと報じられた事から、Ungdomshusetの若者たちの暴力行為は容認できないが、所有者のいわばもくろみにはまった感も人々には感じられ、建物が取り壊された歴史の1ページにUngdomshusetの若者に対する同情を抱いた人も少なからずあったようです。また、このキリスト教団体の代表に対して、デンマーク中の司祭が一斉に反感を示した事も事実で、もし、この団体にこの建物が売却されていなかったら、もしかしたら別の方向に進んでいたかもしれない、と私なども少々思った次第でした。

 ただ、ここまでの暴動を起こした事は、やはり肯定できないと思いますし、コペンハーゲンの市長も、いますぐに彼らのために別の施設を用意したのでは、暴力行為に屈することとなるので、それはできない、としています。また、今回の暴動で、実は警察の方にも大きな変化が起こっており、暴動を阻止するために出動した警官たちが精神的なダメージを受けていることがわかり、中には、過剰な取り締まりをしてしてまう警官も出て来た事から、暴動の際に出動した全ての警官に、心理学者の面談を受けるように指示しているようです。

 さまざまなところに波紋がある今回の暴動ですが、暴動に参加した外国人のなかには、アメリカ人も含まれ、ニューヨークのデンマーク領事館前でも暴動後デモがあったようです。他でもミラノの領事館はUngdomshusetを支持する若者たちに占拠されかけましたが、警察が阻止。ベネチアの領事館は奪回できたものの、「New Ungdomshuset」として、一次的に占拠されたようです。

 現在は、平和的なやり方でデモ活動は続いており、10日の土曜日には約3000人がデモを行ったようで、平和的にコペンハーゲンの市庁舎前広場を占拠(とは言ってもテントを貼って自分たちの主張を広めているだけ)し、また、3月1日の暴動と8日の取り壊しがあった木曜日を記念して、毎週木曜日を「Ungdomshuset people's day」としてデモなどの活動を、今後も続けて行くと宣言しています。特に暴動などが起こる可能性は低そうですが、コペンハーゲン警察では、ドイツ、スウェーデン、ノルウェーの警察と協力して、暴力行為を行う可能性のある者がデンマークに入国する事を阻止できるように取りはからっているようで、もちろんまだまだ周辺地域の警戒検問などもありますし、外国人にとっては特に注意が必要です。

 おとぎの国デンマークのイメージは、いまやほんとうに塗り替えられ、観光客も減るのかと思いきや、コペンハーゲンの観光局では、先の新聞の見出し通り、むしろ活力のある町として世界地図に名乗りをあげたのだから、現時点では旅行を控える人もあるかもしれないが、将来的にはよい効果をもたらすであろう、としています。

 情報の時代から今まさに迎えようとしているExperience Economy の時代に向けて、製品(物)ではなく経験が売れる時代へと移行して行く中で、今回の暴動も反体制主義の若者たちの考え方も、時代の流れの中で経験値として、コペンハーゲンの位置づけを語る時に意味を持つというのが、この記事の意図するところであったようです。
 いまだにデンマークというのは、「チューリップで有名な国ですよね」とどこかの国と勘違いして尋ねる人も多く、日本人にとっても、どこに位置しているのかもよくわからない、と言う方も多くいらっしゃることでしょう。今回の暴動のニュースも、コペンハーゲンでは都市としての広告になったと思っているけれど、日本では騒がれてもいないでしょうし、せいぜいヨーロッパの他の都市に多くの方が訪れる際に、必ず上空を通過するのがコペンハーゲン。そんな印象を持っておられる方も少なくないと思います。私がこの3年の間にここで書いて来た内容にも、少なからず変化があり、この変化も、私の経験値と相まっているのかもしれませんが、国が変化し始めている何かを感じている事も確かです。

 ところで、今回の騒ぎで、またしても人魚姫の像が傷つきました。今回は全身ピンク色に着色されたようですが、土台には69の文字が書かれ、Ungdomshusetを支持するものがしたのであろうと思われています。みなさんのご記憶にあるかどうか、ちょうど1年前にも、International Women's Dayの日に、彼女は緑に塗られていました。この時はフェミニストの犯行であると思われましたが、ちょうど1年前にもいたずらをされている事を思うと、愉快犯の可能性もあり、またしても彼女が傷ついた事を哀しく思います。

 ただ、不謹慎ではありますが、コペンハーゲンの町中の通りの名前がいたるところで、Jagtvejに書き直されていたことには、クスッと笑ってしまいました。夫も、これには思わず苦笑いをしたそうで、またよくできているので、感心もしたそうです。この、通りの名前を書き換える、というのは、1968年にロシアがプラハを攻撃した際に、プラハが同じようにして町中の通りの名前を入れ替えて、ロシアからせめて来る軍隊を混乱させたという話を思い出します。ジョークの類いと受け取っている人も多く、暴動を起こす前に、こうした形の行動によって自分たちの主張を広げる方法もあったのではないか、と思いました。観光客はどこもかしこも Jagtvejだらけで大いに混乱したことでしょうが、地元住民にとっては、Jagtvejの存在を認識せざるを得ないという意味では十分に効果があったと言えるでしょう。

 10日の土曜日、コペンハーゲンにあるギャラリーのオープニングに出席するため、車で出かけましたが、いつもと違うのは上空をヘリコプターが常に旋回していることでした。とくに危険であるというより、意見の主張のあり方と方法論を考えさせられる一件であり、大人がどう対処して来たか、という事も含めて今後のUngdomshusetの活動を、市民はまだまだ見守っていく必要がありそうです。本当にコペンハーゲンが世界地図に名乗りを上げたかどうかは、ファーイーストの国からはわからないようにも思いますが、刺激がなくて多少面白みに欠けたとしても、子どもを大切にして環境を考える、その意味では大人の小国であることも忘れてほしくないと思います。

 Ungdomshusetの騒ぎと時期を同じくして、アル・ゴア元副大統領がコペンハーゲンに来られており、各地で講演などされていたようです。先日のアカデミー賞の授賞式にエコ車で来られていた映像をみながら、デンマーク人は「どうせなら馬でくればいいのに」などとつぶやいていた人もあったようですが、スタイルを誇張して主張する意見を聞いてもらう、というのは説得力を伴うものです。しかしながら反対に、スタイルの誇張の仕方を間違えば、とんでもないことになると、未だに暴動行為をあくまでも肯定する一部のUngdomshusetの若者たちの主張をみていて思うのでした。

 ところで、先日の大雪の際、酪農農家では交通手段として「馬」が大活躍いたしました。スーパーの駐車場に馬がつながれている光景は、いかにもデンマークらしく、ちょっとびっくりしたのもありますが、思わずニヤッとしてしまいました。やっぱりのどかな国デンマーク。経験値は上がったのかもしれませんが、馬で買い物にくるおじさんの姿は、かわいらしく素敵でした。観光では見えないそんな一面も知って欲しいものです。

村上龍RYU'S CUBAN NIGHT