※当ホームページでは、毎週火曜日にバックナンバーを追加掲載しています。
平らな国デンマーク/子育ての現場から / 高田ケラー有子
高田ケラー有子(Yuko Takada Keller) 造形作家(デンマーク北シェーランド在住)
京都市立芸術大学大学院修了。日本在住時よりヨーロッパ、アメリカなどで作品を発表。1997年よりデンマーク在住。近年はデンマークを中心にヨーロッパ、日本で作家活動。キューレータとしても、日本のアーティストをデンマークに紹介している。
コミッションワークとして、岡山県早島町町民総合会館「ゆるびの舎」、兵庫県 看護協会に作品を手がけている。
著書に『
平らな国デンマーク〜「幸福度」世界一の社会から〜
』(NHK出版生活人新書)
Webサイト:
http://www.yukotakada.com/
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第49回 「犯罪とメディアの影響」
配信日:2007-01-22
来週こそは「デンマークに雪が来る!」という新聞見出し。西ヨーロッパには寒波の嵐が来て多くの犠牲者が出たようですが、デンマークではまだまだ暖冬が続いています。1月の前半は毎日のように風の嵐が吹き荒れましたが、それでも町のメインストリートに去年植えられた桜の木には、早咲きの桜がまだ咲いており、冬なのに風にも負けない桜をみながら、このままでは春の桜にはお目にかかれないのだろうなと、ちょっと寂しい気もしています。今日(20日)は1日中雨と風の嵐。庭ではクロッカスやチューリップの芽がのぞきはじめ、早すぎる芽吹きに、もうちょっと土の中で待っていて欲しいと願うこのごろです。季節感というものは、やはり自然に来て欲しいものです。
前回のJMMで書きました、Ungdomshus(ユースハウス)の状況を最初に少し書きますと、その後大きな暴動は起こっていませんが、火種が消えた訳ではなく、所有者と若者間の話し合いは一向に交わらないまま、とうとう所有者が建物そのものを取り壊すという結論にまで達しようとしています。その一方で、コペンハーゲン市も若者たちが使用できる他の建物を提供しようとするものの、所有者が販売を拒み、また近隣住民の反対も受け、結局話が進まないまま、若者は断固としてJagtvej69にこだわって、出て行こうとしない状況が続いています。
そんな中で、若者のグループの中でも温厚な集まりが、さらに他の若者たちといっしょに、新たな居場所として、しばらく使用されていない建物を勝手に使用し始め、警察隊に追い出されるという事態も起こっています。こうなるとおもちゃを取り上げられた子どもがダダをこねているのと同じで、「誰も使っていないんだから使ってもいい」という独自の理論をかざして、所有者のはっきりしている建物であっても、そこが未使用であれば使ってもよいという主張を展開しています。先日は10歳の子どもまで数名補導され、政治家の中にはこの若者たちを支援する者もあり、社会全体に権利の主張のあり方を問題提起しているように思えます。
春さんのJMMレポートを読んで、サダム・フセイン氏の死刑の映像の事を、思い出さずにはいられませんでしたが、私は実は、その瞬間は見ておりません。見ようと思えばインターネットで携帯の画像は今も閲覧できるようですが、デンマークのテレビニュースで流されていた映像は、私が見たものはオフシャルな映像(無音声)の一部で、首にロープをかけられ、これから処刑されるというシーンで、刑執行の手前まででした。その後、携帯の映像が世界中で流れたあと、その携帯映像の静止画像が、部分的に映されたという感じでした。
私が最初に処刑の手前までの映像を見た時、どうしてこんな映像を一般の人が見れるようにするのだろうか、という疑問をもちながら見ていました。その後、そのニュース映像から刺激を受けて、「死刑ごっこ」をした子どもたちが続出し、その結果、世界中で7人の子どもが不幸にも死に至ったというニュースは、とてもショックでした。それは、その影響を受けて死刑ごっこをして遊んだ年齢層が、いわゆるギャングエイジ(7歳から11歳前後)で、ちょうど息子(9歳)と同年代であったという事もあるのですが、親の立場としてメディアが及ぼす影響を含めて、こちらが好む好まないに関わらず、次に流れる映像がどんなものか予測できないニュースには、子どもが一緒に見ている時には注意も必要だな、とも思いました。そんなこと真似する訳がない、と思っているのは親の当たり前で、子どもにはその当たり前が通用しない事など往々にしてある、ということも人ごとではありません。中には最後までちゃんと見せないから、その怖さが分からずにそう言う事をするのだ、と言う意見もありましたが、一部でも見せたがために与えた影響を思うと(中には全部見た子どももあるとは思いますが)、見せてしまったあとの親の対応と、メディアが及ぼす影響力の大きさを今一度思い知った気がしました。
死刑をどう捉えるか、ということも含めて、犯罪に関する考え方も、国によってまた個人によって違いがあることは何処も同じだと思うのですが、今、コペンハーゲンで起こった一つの事件に関して、人々がネット上で熱い議論を展開しています。
コペンハーゲンの中心でアンティーク時計の店を経営している真面目で温厚な時計屋が、度重なる強盗に遭い、7回目の強盗に遭った1月16日、所持していた拳銃を発砲して、犯人グループ3人のうち2人を負傷させた、という事件でした。負傷した二人の犯人は入院中で逮捕された状態ですが、一人は逃走中。時計屋は、拳銃所持と二人を負傷させた罪で、1月30日まで拘置所に入れられることとなり、その後の経緯が見守られています。
これを正当防衛として無罪を主張する意見と、過剰防衛で自警行為であるとして有罪はやむ終えずとする意見がネット上で激しくぶつかり合っているようです。拳銃を保持する事はデンマークの法律では禁じられているので、まずこの事に関しては、少なくとも有罪ということになるのですが、今までにすでに6回、強盗に金品を奪われ、6回目には妊娠中の姪がその場に居合わせ、姪が自分の目の前で銃を頭に突きつけられて脅され、時計屋は入れたてのコーヒーを犯人の顔にかけ、ドライバーで襲いかかり姪を助けたそうですが、金品は奪われ、警察は犯人を捕まえる事ができませんでした。幾度となく襲われるこの時計屋に対する保険は、この時点で有効力がなく、被害総額の15%しか保険ではまかなえなかったそうです。もちろん、警報装置は付けており、すぐに通報はしていても、警察が到着するまでに15分以上かかっているらしく、今までに犯人が検挙された事もなく、保険会社からも見放された時計屋が、 護身用というより、店を守るために拳銃を保持した経緯は、心情的には理解できます。
7回目の今回は、その姪と6回目のときにお腹の中にいた2歳の男の子も居合わせたということもあり、時計屋が犯人に銃で脅されたとき(実は偽物でしたが、時計屋は本物だと思っていました)、迷わず所持していた銃を使ってしまった事には、同情に値するものがあります。しかし、ほんとうに発砲して犯人に怪我をさせる事が、正しい使い道であったかどうかの議論も白熱しており、正当防衛の範囲をどこまでとするか、今後の裁判が注目されます。おおよその意見としては無罪を唱える人も多く、なかにはメダルを与えるべきとする人もあり、夫なども、全面的に時計屋には非がないという見解を持っており、自分が時計屋だったら同じ事をすると言い切ります。私はというと、たとえ時計屋が温厚な人で、同情に値する行為であったとしても、本物の銃を所持して実際に犯人に向けて発砲したことの重みを感じます。罪を憎んで人を憎まず、ということになるのでしょうか。温厚でいい人だからこそ、度重なる強盗を検挙できない警察に対してもなにも言えなかったことを思うと、そこにこそ問題があるようにも思えます。
時計屋の話が白熱する中、別の宝石屋強盗の事件もまた小さな話題になっています。このケースは、犯人が本物の拳銃をかざして脅した事から、その場ではおとなしく商品を渡しました。犯人が店を出た直後、店の主人と客の一人が、バイクで逃走した二人の強盗犯を車で追いかけ、行く手を阻む形で車を止めたことで、バイクが衝突し、犯人の一人が足の骨を折る重傷を負う、というものでした。
この場合、あきらかに正当防衛ではなく、犯人逮捕は警察のすることであり、市民が関わるべきではない、という基本論がまず先にたってしまうようです。これが日本だったら、犯人逮捕のお手柄表彰とかに繋がることもあるのでは、と、ふと思ったのですが(実際にはどうなるか知りませんが)、捉え方というのはほんとうに大きく違うものだな、とこうした犯罪にかかわる報道を見ていて思います。
日本のニュースでは、年頭からバラバラ殺人事件の話題が続いたことは、大きな衝撃でもあり、その後も毎日のように続く殺人事件や子どもを投げ落とす事件など、一昔前には考えられなかったような残虐な事件が目立つようになってきていることに、日本の社会が病んでいるとしか思えない部分があります。特に女性がそうした残虐な事件の犯人であるケースが増えているように思いますし、親族間での事件が続くこともやるせないのですが、包み隠さず報道していることに疑問を感じています。
デンマークでいったいどれだけの殺人事件が起こっているのかあまり報じられないのでわからないのですが、2004年のデータでは、殺意を持って起こした殺人のケースが年間で42件、事故で死にいたらしめたケース(交通事故は除く)が51件もあり、かなり起きているという事実に驚くほど、ほとんどのケースが大きく報道される事はありません。地方新聞でその地方で起こった事のみ語られる事や、ゴシップ系の新聞や雑誌で取り上げられる事はあっても、子どもの耳に入るような全国盤のテレビニュースでの報道は滅多にありません。稀にあるケースとしては、犯人が特定できない場合や、犯人が特定できているのに逮捕に至っていないケースで、市民への警告と協力を仰ぐ意味で報じられる事はあるように思います。
日本の警視庁のホームページから、東京で起こった殺人事件の数を見て、逆に驚いたのは、殺人事件の件数そのものは増加しているわけではなく、むしろ減っていることでした(日本全国でも減少しているそうです)。平成17年の数字で133件でしたので、デンマークとの人口比率を思うと、比較的低い数字ということにもなり、ニュースを見て感じている日本の変化とこの数字のギャップに、キツネにつままれたような思いがしました。ニュースを見る限りは、なんだか犯罪数が増加している印象を受けていたのですが、それは日本のニュースを最近になってテレビでも見る事ができるようになった、浦島太郎的印象だったのかもしれません。
私と同じように日本のテレビニュースを最近見始めたデンマーク在住の友人と話をしている中でも、同じような印象を持っている事が伺え、やはり日本の犯罪が残虐化し、数も増えている印象を持っているようでした。日本で子どもをひとりで歩かせるのは怖いよね、という話でも間違いなく一致したのですが、ただ単に、私たちの見方が変わったのではなく、そう感じる背景に、報道のされ方にも変化が出て来たのだと捉えています。
一昔前には、海外旅行にでる日本人には、外国では盗難もあるし(これは本当ですが)食べ物にも注意してください、と、どこの国に出かける時にも言われたもので、日本ほどの治安衛生国家は世界中どこにもない、と言われていましたが、だんだんとそれも怪しくなって来ているように思います。犯罪とは違いますが、ノロウィルスの流行で、日本に行く人は生ものには要注意!なんていうのが旅行者への注意事項としてあげられているのは、ちょっと落胆というか、なんだか衛生管理の悪い国へ行くような気分がしてしまいました。
でも、日本はいろいろな意味で不安な要素を抱えている国、という印象があることは確かです。そこには社会問題だけでなく、北朝鮮問題や地震がいつ来るか分からないというような地震のない国から見た不確定な要素も含まれるのですが、私の友人家族(デンマーク人と日本人の家族)が日本に一時帰国する前に、もし、日本で自分たち夫婦が死んだ場合、子どもの親権を誰にしたいか、約束事を決めてから帰ったことがあり、そこまではしないまでも、それくらいのことを考えるということも、理解できなくはないこのごろです。
ロンドンの丸國さんや、韓国のアンさんからもテレビの話題が続いていたJMMですが、丸國さんの話題に出ていた現在放映中のイギリスの「Big Brother有名人編」が国際問題にまで発展して(参加者の一人であるインドの女優が参加者にいじめられ、差別的な扱いを受け侮辱されたとして、インド社会がイギリス社会を批判している)、ブレア首相までもが議会でこの件に触れ、「自分はこうした行為は好きではないし、イギリスのイメージを大きく崩した」とコメントしているのが、デンマークのテレビニュースでも取り上げられていました。私は番組を直接見ていないのでニュースで報道された事しかわかりませんが、外界と遮断されたなかで生活している「Big Brother」のハウスメートたちは、自分たちの言動が国際問題に発展している事など、全く知る由もなく共同生活を続けているのも皮肉なもので、20日なっていじめた方の女性が視聴者の反感を買ってハウスから追い出されることになり、国際問題にまで発展している事に驚き、深謝したそうです。
ところで、丸國さんのレポートのなかで、「Big Brother」はデンマークで始まったとありましたが、1999年に始まったのはオランダで、デンマークでは2001年に最初の放映があり、その後3シリーズ続きましたが、2003年以降の放映はありません。夫が「訂正してくれる?」というので(笑)、デンマーク人の小さなプライドとして書いておきます。http://www.bigbrotherfansite.com/about.htm
このURLで世界中のどの国でこの番組とその類似番組が放映されているかがよくわかるのですが、ヨーロッパではイギリス、スペイン、イタリア、ドイツなどが継続的にシリーズを展開している中で、デンマーク、ノルウェー、スウェーデンなど北欧諸国では最近は放映していない模様です。デンマークの場合、シャワーシーンなどだけを集めた「Pik Brother」というワイセツものがネットで出回った事が著作権問題になり、より大きな話題にはなったようですが、その後は類似番組はあるものの、見ていても面白くないという意見も多いようで続いていません。フィンランドは2005年から始まったばかりなので、続くのかどうか、というところでしょうか。アジアではタイとフィリピンで行われており、類似番組があるのもインドネシアと韓国だけです。
日本ではこの手の番組はプライバシーの観点から難しいのかな、と私が言うと、夫は「日本人はtoo politeだから、やってもおもしろくないんじゃないの」という見解がすぐに返ってきました。確かに、もし他人と共同生活をしなければならない環境になった場合、日本人はお互いに気を使うという国民性があるように思いますし、カメラが常に見ているとなると、カメラを意識した好意的な言動をとるかもしれません。そう言う意味では、本音を出しにくい民族性のある国ではおもしろくない番組なのかもしれません。
日本人の謙虚さや丁寧な態度、というのは今でも世界中で褒めたたえられるところだと思います。それが日本の事細かな報道によって、犯罪が増加している国という印象に繋がるとすれば、それは現実に反しますしとても哀しい事です。
テレビや新聞による報道が果たす役割も大きいと思いますが、日本の報道を見ていると、知る事で事件を防ぐ事ができるというより、そこからより多くの安易な犯罪や事件が生まれているようにさえ見えてしまいます。日本にいると、全て知る事が当たり前で、他で詳細が報じられれば、もっともっと詳細を知りたくなる視聴者が増え、そうした詳細がなければ物足りなく感じてしまうのかもしれませんが、問題提起できる事と報道の目的があいまいになってきているようにも思えます。人々の知りたいという欲求を満たし、隠さないという事は大切なことなのかもしれませんが、悲惨な事件が増えて来たように思える要因として、メディアが与えてきた影響は大きいと思います。
殺人事件は毎日起こってるよ、なんて印象を持ってしまう事に、大人も子どもも疑問を持つ社会になって欲しいと心から願います。
ところで、ムハンマドの風刺画を描いたイラストレータたちは未だに地下生活を強いられているようです。描いた内容に対する是非はもちろんありますが、この人たちもある意味でメディアの犠牲者と言えると思います。日本のメディアだけに疑問を感じている訳ではありませんが、報道の自由や表現の自由に伴う責任、ということになるのでしょうか。
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