「『新型インフルエンザ対策』が爆発的流行を引き起こす」
夏休みが終わった。
厚労省は夏休みが終わる一週間ほど前に再び改正省令を出し、「新型インフルエンザ」の感染症法に基づく医師の届け出を不要とした。
これでようやく「新型インフルエンザ」はわれわれ現場の臨床医にとって「いつものインフルエンザ」になった。正直そう思いたかったが、夏休みを終え、むしろ現場の状況はますます深刻になってきているということを、先日痛感させられる事態に遭遇してしまった。そして、このような現状では「新型インフルエンザ」のいっそうの感染拡大は、もはや避けられないと考え、今回緊急記事として現場の実情を報告させていただくことにした。
夏休みも明けて2〜3日経ったある日、いつもの診療所に行くと、そこは真冬のピーク時とはいかないまでも、いつものこのシーズンとは明らかに違う混雑となっていた。特に午前中は、1時間あたり約40人の受診者がおり、その約半数は「カゼ症状」や「発熱」といった「急性の患者さん」であった。もちろんいわゆる「インフルエンザ様症状」を呈する患者さんも若干名おられ、1時間に1〜2人ペースで「A型陽性」患者さんが発生したのであるが、これはこの診療所の真冬の状況からすれば、まだほんの少数であり、これら「急性の患者さん」のほとんどは、むしろ軽微なカゼ症状での受診者であった。小児など、もともとコンビニ受診をする患者さんは多いのだが、あまりに例年の雰囲気と違うため、「37度の発熱のみ」で小学生を連れてきたある母親に、今回の受診理由を問うてみた。すると、まさに耳を疑う意外な教育現場の現状を知ることになったのである。
「毎朝登校前に検温をして、体温が37度以上なら学校を休んですぐ病院に行き、新型インフルエンザでないことを確認してもらってから登校するように」
その子の通う小学校では、このように指導されているのだという。また昼過ぎにやって来た、いかにも元気そうな別の中学生は、「授業中咳をしていたら、保健室に行くようにいわれてしまい、そこで検温をしたところ37度と出たのですぐ早退させられ、その足でここに来ました。でも1時間以上も待って疲れちゃいましたよ」と当の本人も、なぜ元気なのにここにいるのか腑に落ちない様子であった。
そのほか、授業中の急な発熱の小中学生や、仕事中の咳を指摘されてあわてて退社してきた一流企業のサラリーマンなど、受診者の多くは典型的なインフルエンザ様症状を呈していないか、もしくは症状発現ごく早期の状態であった。
そこで、近隣3市の教育委員会に問い合わせをしてみた。教育現場にこのような対応を指示しているのは、国なのか自治体なのか保健所なのか? 聞くと、そんな通達など一切していないと、どの教育委員会も口を揃えた。毎朝の検温の実施は指導しているが、体温の数値で強制受診させることなど、一切していないとのことだった。おそらく教育現場の末端で、自主的に行われている対策でしょう、との見解であった。このような教育現場での「新型インフルエンザ対策」を妥当と判断する人はいったいどのくらいいるのであろうか?
厚労省は、各医療機関に「新型インフルエンザ対策」として引き続き院内感染の防止に努めるように、との通達を出している。医師会も待合室を分離したり、発熱者の受診時間を別枠に設けたりなど、時間的空間的隔離をなるべく行うように、各医療機関に呼びかけている。しかし、ほとんど発熱者が来院しないような診療科ならまだしも、小児科や内科などを標榜している多くの診療所では、今後本格的なシーズンが到来すれば外来患者さんの半数以上の主訴は「発熱」や「カゼ症状」になるであろう。
空間的隔離として、これらの多数の人たちを別室に隔離することは物理的に不可能であるし、待合室でのついたて(仕切り)や全員のマスク着用などは、少し考えれば院内感染予防策というより気休めに近いものであることがわかるであろう。また、診察時間が来るまで自宅待機させ、携帯メールで呼び出すなどというシステムを導入している施設もあるかと思うが、すべての患者さんが扱えるシステムとはとても言えない。
時間的隔離として「発熱外来時間枠」を設けたとしても、来院する発熱者がすべてインフルエンザ感染者であるわけがないし、そもそも患者さんは素人である。インフルエンザの症状とはまったく異なるのに「発熱外来時間枠」に来院したり、逆に典型的なインフルエンザ症状であるのに、無予告で「時間枠外」に来院することも十分あり得ることだ。さらに発症前の潜伏期の患者さんなども考慮すると、同一診療所内で「感染者」と「非感染者」を事前に分別して、100%接触させないなど、どう考えても不可能なのである。
これは、空港検疫が無益であったこととよく似ている。機内でも空港でも待合室でも、空中を漂うウイルスやそれを何食わぬ顔で保持している人たちをそれらと一切無関係な人から確実に隔離することなど不可能なのである。
つまり一般的な医療機関の待合室での院内感染を防ぐことは、不可能と考えるべきである。
しかし、現場の医師でこのようなことを言う人はあまりいない。「新型」を報告した、神戸の先生が、その後とんでもない風評被害を受けられたという事実にもあるように、世間は「院内感染」という言葉にかなり神経質になっている。「新型インフルエンザの院内感染」となれば、なおさらだ。下手をすると新聞や週刊誌に自分の診療所名が載ってしまうかもしれない。「うちの待合室にはインフルエンザの患者さんがたくさんいるので、危険です」と言う医師などいるはずがない。何も対策を講じないというのは論外、実際無理と思っていても、精一杯院内感染防止策を講じているという態度を示しておかねばならないと考えている医師がほとんどであろう。しかし一方で、「院内感染」は100%防止できないということを、患者さんに十分示すということも医師の責任として行わなければならないと、私は考えている。
一方、世間もこのような現場の状況を十分に知っておかなければならない。インフルエンザに感染するには、感染者との接触が必要だ。逆に感染したくなければ(インフルエンザに罹るのが心配であれば)できるだけ感染者のいるところには近づかないことが重要だ。これは敢えて言うまでもなく当たり前のことだ。しかし、このような当たり前のことが、「新型インフルエンザ対策」が各所で過剰に行われるにつれ、世間ではわからなくなってきているようなのだ。
テレビCMで「カゼには早めの〜〜」などと宣伝するためか、早めに薬を飲めばカゼが早く治ると考える人がものすごく多い。また、医療機関にかかれば診察付きで薬も処方され、負担も3割だから、市販薬を購入するより、かえって安くて安心という考えから、「カゼをひいたかな」と思ったら、まずすぐ医療機関にかかると決めている人も多い。そして今は「新型インフルエンザ騒動」の真っ最中だ。インフルエンザ感染の有無も医療機関ですぐチェックできるとあらば、これらの患者さんの受診動機はさらに増えることとなる。さらに、学校、職場では、「新型インフルエンザ対策」の名の下に、早めに感染者を把握しようと、少しでも異変のある人を徹底的にピックアップし早期の医療機関受診を促している。
しかし、このような「新型インフルエンザ対策」をすればするほど、電車の中や、コンサート会場以上にインフルエンザ感染者が多く集っている場所──つまり診療所の待合室に多くの「非感染者」が誘導されていく事態となる。インフルエンザ感染が一番心配なはずなのに、一番危険な場所にマスク一枚で乗り込むことの恐ろしさを、もはや気付かなくなっている人があまりにも多すぎる。
9月1日付けで文部科学大臣より、子供たち、保護者、学校関係者に宛てて、メッセージが発信された。それには、「せきや熱(ねつ)が出(で)るなど、かぜやインフルエンザにかかったかなと思(おも)ったら、すぐにお医者(いしゃ)さんに行(い)ってください」とある。
一見もっともなメッセージだが、このような安易な医療機関の受診勧奨は、「カゼ」の子供たちにインフルエンザ感染の機会を増やすだけだ。「すぐに」医療機関に行っても、検査キットも無尽蔵にあるわけではない。1〜2時間ほど、本物のインフルエンザ患者さんの隣で待たされた挙げ句に、「症状がもう少し典型的になってから検査しましょうね」と何もされずに帰されることも十分あり得ることだ。そんなお子さんが、4〜5日後にインフルエンザ様症状で来院したなら、それは明らかに診療所から持ち帰ったウイルスだと言えるだろう。
「新型インフルエンザ対策」として今も多くのメディアが「手洗い、うがい、咳エチケット、そして『おかしいな』と思ったらすぐ受診」と喧伝しているが、インフルエンザ感染拡大の防止策は、「『おかしいな』と思ったらまず自宅安静」、そして不要不急の安易な受診をしないということに尽きる。そして受診をする際には、各人が本当に「今」受診しなければならないかを、一旦冷静に、あわてずゆっくり考えることが必要だ。
先日、本格的なシーズンを迎えるにあたり、よく雑誌に載っている性格判断に用いられるような「インフルエンザ簡易診断フローチャート」を作り、事前にできるだけ多くの患者さんに配布することにした。典型的なインフルエンザ症状をわかってもらうとともに、どのような症状でどのようなタイミングで受診するのがよいかをわかりやすく案内したものである。そして、定期的通院が必要な患者さん用の時間枠をある程度設定し、その時間帯は、インフルエンザ様症状の来院者に少しご遠慮いただくなどのアナウンスを始めている。そして、そのパンフレットには、このような対策をとっても、院内でのインフルエンザ感染を100%防止できない旨を明示している。
今回、「新型インフルエンザ対策」が過剰に講じられることによって、かえって不要な感染者を増加させてしまうという危機的状況を実感した。5月から、この「新型インフルエンザ」がスティグマとして継続的に全国民に浸透してきたことにより、個人の事情や企業、教育現場の諸事情をも巻き込み、あらゆる思惑や行動が複雑に入り乱れることになってしまった。「新型インフルエンザ」が心配で過剰検査を希望する人がいる一方で、「新型インフルエンザ」とわかると仕事に影響するため検査を拒否する人さえ出てきている。
今行われている対策が、「インフルエンザ対策」でなく「新型インフルエンザ対策」であるがゆえに感染爆発を引き起こしつつあるというこの皮肉に、多くの人が一刻も早く気づく必要がある。このままいくと未曾有の流行になってしまうかもしれない。
もしそうなってしまったら、それは「新型インフルエンザ」の「感染力」によるものではなく「新型インフルエンザ対策」という「人災」によるものだ。
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木村 知(きむらとも)
有限会社T&Jメディカル・ソリューションズ代表取締役。AFP(日本FP協会認定)、医学博士。1968年カナダ国オタワ生まれ。大学病院で一般消化器外科医として診療しつつクリニカルパスなど医療現場でのクオリティマネージメントにつき研究中、2004年大学側の意向を受け退職。以後、「総合臨床医」として「年中無休クリニック」を中心に地域医療に携わるかたわら、看護師向け書籍の監修など執筆活動を行う。AFP認定者として医療現場でのミクロな視点から医療経済についても研究中。著書に『医者とラーメン屋─「本当に満足できる病院」の新常識』(文芸社)。
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