【医療界に衝撃を与えた舛添人事】
6月26日、舛添要一厚労大臣は閣議後記者会見で、厚労省幹部人事についての骨格方針を発表しました。事務次官と社会保険庁長官の2人が退任するほか、医系技官の指定ポストだった医政局長に事務官である阿曽沼慎司・社会・援護局長を起用し、医政局長であった外口崇氏は保健局長に横滑りしました。
今回の人事の特徴は、厚労省内の文官、医官という縦割りに楔を打ち込んだことです。その目的を、舛添氏は以下のように語っています。
「従来、事務系と医系の局長ポストは固定されていて、“聖域”になっていた。これを厚生労働省始まって以来、初めてぶち破る。大臣就任以来、2年間、この聖域があることで苦労してきた。国民の代表である大臣が役人をコントロールし、適材適所で人を配置することが必要。これにより、さらに厚労省改革を進めたい」
また、ロハスメディカル(
http://lohasmedical.jp/news/2009/06/26131442.php )は、今回の人事の背景を以下のように記しています。
「舛添大臣に近い筋によれば、決断したのは昨晩。内閣改造や自民党役員人事が行われるとの観測が強まり、舛添氏自身にもポスト変更の可能性があることから、人事に着手しておく必要を感じたという。省内にも全省庁の局長人事を司る人事検討会議にも諮ることなく、今朝、電撃的に麻生総理と河村官房長官の了解を得て発表した。今後、他の局長や課長クラスの人事にも着手する。」
【メディアは如何に報道したか】
この人事は、舛添氏の業績として高く評価されるもので、全てのマスメディアが何らかの形で報道しました。
ところが、何れの報道も、その背景や意義については十分に解説していません。その理由ついて、記者クラブの構造的問題なのか、あるいはマスメディアの視点にそぐわなかったのかはわかりませんが、表面的な情報だけしか提示されない国民は不幸です。
ちなみに、業界メディアでも、この人事を深く掘り下げたのは、6/27現在、ロハスメディカルとソネット・エムスリー(会員専用)だけです。業界紙の多くも、この人事については解説していません。業界紙特有の事情で、何かに気兼ねしているのでしょうか?
ソネット・エムスリー 「聖域なき厚労省幹部人事」、舛添大臣が構想明かす
http://mrkun.m3.com/mrq/rating/kamim/200906280936486337/submit.htm?mrId=ADM0000000&rating=5&points=5&msgId=200906281903122632ロハスメディカル 医政局長に事務官 舛添厚労相が発表
http://lohasmedical.jp/news/2009/06/26131442.php同 「補助金で病院支配する医系技官を引き剥がした」−厚労人事、省内の声
http://lohasmedical.jp/news/2009/06/26175512.php【医系技官改革は医療改革の第一歩】
厚労大臣就任以降、舛添氏は、医系技官改革を重要なテーマと考え、記者会見で繰り返し発言しています。例えば、2008年6月には記者会見にて「医系技官に臨床研修を」と提言しています。私の知る限り、こんなことを言った厚労大臣は舛添氏だけです。
また、大臣就任当初より、厚労官僚の人事の硬直化を問題視し、昨年夏の幹部人事では医政局長に現役病院長を登用しようとしたと言われています。この時は、諸般の事情で実現しませんでしたが、医系技官幹部には激震が走りました。こんな「無謀な」ことを本気で考える大臣も、これまでいませんでした。
昨年の舛添人事は、結局、日の目を見なかったのですが、何故、今年は上手くいったでしょうか? それは、この1年間に医系技官が国民の信頼を失ったこと(昨年の段階で「医系技官」なんて単語を知っていた国民はどれだけいたでしょうか)、舛添氏の人気が高いこと、さらに大臣就任後二回目の幹部人事であったことが挙げられます。
おそらく、この中で、もっとも効いたのは最後、つまり舛添大臣の在任期間が長かったことではないでしょうか。舛添氏は、安倍、福田、麻生政権の三代に渡り、厚労大臣を続けました。このため、二回目の官僚人事を行うことになり、今回は、昨年度の失敗を糧に、妥当な着地点を目指しました。医政局長に文官を登用することで、医系技官の聖域を破壊したのですが、新しく医系技官にあてがったのは、厚労省の中核である保険局長のポジションです(厚労省の文官キャリアの中核は保険局と年金局です)。これなら、官僚や族議員の抵抗を回避できると判断したのでしょう。これは、まさに経験のなせる業です。このように考えれば、内閣が短命であることは、大臣の手足を縛り、官僚の権限を強めていると言うことが出来そうです。
【医系技官の頂点に君臨する医政局長】
なぜ、医政局長人事が厚労省改革の中核なのでしょうか? それは、医政局長のポジションが絶大な権力を伴うからです。
医政局長は二つの顔を持ちます。一つは、文字通り、厚労省の一部局である医政局の長です。医政局の守備範囲は幅広く、救急医療や産科医療の問題をはじめとする医療提供体制から、医療計画、医療安全までを含みます。また、医師、歯科医師、看護師などの各種免許の付与・取消、臨床研修などの制度設計、行政処分なども担います。
一方、医政局長は慣習として、医系技官の最高責任者と考えられ、その人事を一手に担ってきました。いわば、医系技官ムラのドンです。医系技官とは医師免許を有するキャリア官僚で、霞ヶ関に250人も存在する一大勢力です。医系技官は、医政局長と健康局長という二つの局長ポジションをもち、医療は専門性が高いという理由から、長年にわたり、医療行政を独占してきました。今回の人事まで、文官や薬系技官などが両局長に就任することはありませんでした。
また、医政局、健康局以外にも中医協の事務局を務める保健局医療課長や、医学部、看護学部、薬学部教育を主管する文科省医学教育課長など、他省や他局の重要なポジションも医系技官が占めています。このようなポジションを通じて、医系技官は医療を支配してきました。詳細についてご興味がおありの方は、雑誌『選択』の4月号に詳しい論文が掲載されており、一読をお奨めいたします。
余談ですが、過去に二回文官キャリアの最高ポジションである事務次官と、医系技官の最高ポジションである医系技官をバーター取引することが議論されたと言われています。その何れもが、医系技官幹部の反対で頓挫したようです。このような取引をすると、医系局長が医師でなくても出来ることが明らかになってしまうと心配したのでしょうか。その詳細な理由はわかりませんが、このエピソードは、医系技官の価値観を考える上で示唆に富みます。
【舛添大臣 vs. 医系技官】
舛添氏が厚労大臣を務めた2年間は、医系技官との戦いに終始したと言っても過言ではありません。舛添氏は、ご存じのように政治学者出身の参議院議員です。政治学のプロであり、卓越した見識を有します。ところが、厚労大臣になるまでの行政経験は皆無です。通常、このような人物が大臣に就任すれば、官僚のサポートが不可欠です。その結果、多くの大臣は官僚の操り人形になりがちです。一方、舛添氏のように改革を進めようとすれば、どうしても官僚と軋轢が生じます。
特筆すべきは、医学部定員問題における舛添氏と医系技官の対立です。今や、医師不足は国民の共通認識です。ところが、2007年まで医系技官は「医師は不足しておらず、偏在が問題である」という医師偏在説を主張してきました。そして、多くの学者たちが、医系技官の主張を支持しました。
舛添氏は、厚労大臣就任後、医師不足問題に精力的に取り組みました。具体的には、2008年7月に「安心と希望の医療確保ビジョン 具体化に関する検討会」という私的諮問会議を立ち上げ、この会議で医師不足問題の議論を始めました。この委員の大半は舛添氏が自ら任命したため(通常は、担当部局の推薦を承認するだけです)、医系技官としがらみがない人(要は御用学者でない人)が選ばれました。このため、この会議では、医系技官の政策を180度方向転換した「医学部定員50%増」を打ち出すことが出来ました。
既得権をもつ抵抗勢力に対し、自ら任命した有識者をメディアの前で議論させるスタイルは、小泉総理の経済財政諮問会議などの手法と全く同じです。リーダーのカリスマ性、自ら委員を任命できるだけの人脈など、責任者の資質に多くを依存する方法です。
実は、医師増員へ政策転換をはかる際に、医系技官は一貫して反対したことが知られています。おそらく、財源確保の責任が自らに降りかかると考えたのでしょう。文科省医学教育課長に出向中の医系技官は、各大学に電話し、「医学部定員の増加には対応できない」と文科省に「自主的に」報告するように指示しました。こんな無茶苦茶な話はありません。しかしながら、医学部長の多くは、舛添大臣の提言を無視して、この技官の指示に従いました。大学が、いかに霞ヶ関に支配されているかを物語っています。
この件は、後日、日経新聞一面でも報道され、医系技官の面従腹背ぶりが世間に示されました。更に、舞台裏の駆け引きについては、医療業界紙CBニュースの熊田梨恵記者が詳細に報告し、ウィキペディアでも経過がまとめられています。一連の報道により、医系技官は多くの医療者、国民の顰蹙を買いました。また、この技官は「格下の課長」へ降格されています。
医系技官の抵抗は、医師不足問題に留まりません。詳細は省きますが、新型インフルエンザ対策、産科救急問題、医療事故調問題など多岐にわたります。医系技官の抵抗に対して、舛添大臣が、どのように考えているか、興味深い発言があります。昨年2月に大臣就任から半年を経過して、職員の訓辞の中で述べたことです。
「審議会についても、自分の役所に好意的な委員を中心に集めることがあってはならず(中略)。審議会委員の人選を抜本的に見直し、新しい血を入れつつあります。 (中略)大臣の目指す方向と背反する政策を進めんがために、たとえば族議員に働きかけをし、その圧力でもって大臣に政策変更を迫るなどは、断じて許されないことです。」
舛添大臣が、族議員として誰をイメージしていたかは、皆さんも容易に想像がつくでしょう。
【医療行政を担うのは誰か】
では、そもそも医療行政は誰が担うべきでしょうか? それは、医療行政に精通した人であって、卒業した学部や入省時の職種だけで、選別すべきでないことは明らかです。
実は、技官問題というのは、世界各国が悩んでいる問題です。専門知識が必要な分野では技官が必要だが、長い間、行政にいると専門知識が不足するというジレンマを抱えています。例えば、医系技官の多くは、大学卒業後に数年間の臨床研修を行い、厚労省に入省します。その後は、厚労省内の様々な分野や文科省・環境省などなどの他省庁をローテーションするため、専門知識や実務経験を積むことが出来ません。これは、新型インフルエンザで有名になったWHOのケイジ・フクダ氏とは対照的です。彼は米国における「医系技官」に相当しますが、大学卒業後は病院を皮切りに、研究室、CDC、WHOなどなどをローテーションし、一貫して感染症に従事しています。新型インフルエンザ騒動で、医系技官たちがWHOから十分な情報がとれなかったことも、このようなバックグラウンドの差を考えればやむを得ない部分があります。
公務員制度と専門性については、藤田由紀子氏の『公務員制度と専門性―技術系行政官の日英比較―』(専修大学出版局)が秀逸です。ご一読をお奨めします。この中でも議論されていますが、技官を終身雇用として、他分野をローテーションさせる仕組みでは、専門分化が進んだ現在の科学には対応できなくなっています。他の先進国では、行政組織に属する専門家は程度の差こそあれ、政治任用色を深めています。テーマ毎、あるいは政権毎に専門家を任用し、最終的な責任は政権が負うというスタンスです。このような事情を勘案すれば、医系技官問題は、霞ヶ関改革の一翼を担う技官改革の先鞭と見なすのが妥当かも知れません。
【舛添人事の限界】
では、今回の舛添人事の限界はどこにあるのでしょうか。それは、人事が省内に留まったことです。他省庁の官僚や、大学・医療現場・シンクタンクのスタッフには及んでいません。
舛添氏は、自らが立ち上げた「厚労省改革室」には他省庁のスタッフを大量に登用していますし、安心と希望の医療確保ビジョン会議では、大学教授、および専門病院の院長たちが大活躍しました。舛添氏としては、厚労省の縦割りの解消のためには、このようなメンバーの登用が必要と考えているのは間違いがありません。しかしながら、現在の政治状況で、このカードは切りませんでした。
来るべき総選挙で、自民、民主の何れが勝利するかは全く分かりません。何れが勝利しても、厚労省改革の要は人事であり、政治任用が議論されるでしょう。このように、今回の総選挙は、我が国の医療のあり方に大きな影響を与えることは間違いなさそうです。また、経過をレポートさせていただきたいと考えています。