エジプトにおける反政府運動がはじまって二週間あまりが経ちました。
デモンストレーションはカイロやアレキサンドリアなどの大都市から、あっというまにはじまり、そしてあれよあれよとみるあいだに、とてつもない規模の蜂起行動になってしまった。チュニジアの反政府運動がベン・アリ大統領の追放を成し遂げて「ジャスミン革命」と呼ばれたと思ったら、おなじような市民・国民運動がエジプトに飛び火したということであります。エジプトも、チュニジアと同様に薪はからからに乾いておりましたから、マッチ一本擦れば火の手が回るのは早かったというわけですね。
デモがひろがると知り、ムバラク政府は統制を始める。インターネットを切り、メディアを統制し、鉄道を止め、銀行を閉め、外出は制限された。コミュニケーションを切断してデモを孤立させていこうという「反政府運動対応マニュアル」通りの市民統制であります。
カイロなどでのデモや集会は、はじめは静かに(あるメディアによると、ピクニック気分でのどかに)行われていたが、突然ムバラク支持派が広場に登場して、デモの現場は双方の暴動の場と化した。フランス革命直後の「ジャコバン党」の巻き返しさながら、双方ともおなじエジプト国旗をかざしながら暴力を振るいあった。
混乱は激しくクレッシェンドしていき、先週の半ばに最高潮に達してカイロの街中は荒れ狂っていたが、モスリムの祝日である金曜日にはすこし落ち着いて(ひとびとは広場で整然とお祈りをしていた)、いまでは銀行は開き、鉄道も運行をはじめて、国民は、すこしだけではあるが、ふつうの生活に戻ったようであります。一日中エジプトを放送していた世界のニュースも、今日などはオーストラリアのサイクロン、アメリカの寒波、ラグビーの「6ネーション大会」、アメリカの「スーパーボウル」などを報道しております。
デモの初期、政権側はメディアやひとびとの自由を制限したが、市民の蜂起はまったく違うコミュニケーションの媒体によってひろがったらしい。メディアやインターネットの統制をくぐり抜け、ツイターとかフェイスブックという新しいメディア(ま、使っているひとには新しくも何ともないのだろうけど)が情報伝達とアジテーションの媒体となったというのであります。
たとえば、あるプロヴァイダーは電話回線を解放して、その番号に電話をかけてメッセージを残すと、プロヴァイダーがそれをツイターに載せてくれるというサービスをやっていた。おおくのひとがこのサービスによって「カイロに集まろう」「アレキサンドリアで集会があるよ」という情報を手に入れたというのであります。ある男性は、「ジャスミン革命」に加わった(見知らぬ)チュニジアの女性と交信し、がんばりなさいと激励され、ありがとう、絶対にくじけないと返事をしたと言っていた。
また、外国に住むエジプト人がBBCとかCNNとかを見てなにが起きているかを本国へ知らせる。そういう手順でエジプト国民は地方からもカイロやアレキサンドリアやルクサーやスエズに集まってきたのだということです。すなわちきわめて自然発火的な抗議運動だというわけであります。
だが、自然発生的であるがために、この抗議デモには扇動者(というと穏やかではないか)らしい扇動者がいない。反政府団体の名が散見されるが、彼らがリードをとってはじまったわけではないということも今回のデモの特徴でもあるようです。ひとびとは「ハメルーンの笛吹き」に踊らされたのではなく、もっぱら即物的な要求(「いい生活がしたい」「子供たちにいい未来を残したい」「怖がらずに暮らしたい」)を掲げてデモをはじめ、反政府団体はその動きに便乗したというのが本当のところらしい。国民がいい生活をできるようになるためにはムバラク氏ではダメだ、即時退陣してほしい、そういう国民がこぞって都市のデモに出てきたというのであります。
であるから、党派色とか宗教色は蜂起の動機になっていない。モスリムもクリスチャンもその分派も一緒くたになってカイロの広場に集まったのであります。デモには総計数百万人が参加したというが(正確な数字はわかりません。全人口は8千万あまり)、「反ムバラク」という共通項だけをもった数百万の意見が集まったのでありました。
デモが始まってすぐのころ、オバマ大統領とクリントン国務長官がムバラク政府にむかい、市民への暴力を戒める声明をだした。アシュトンEU外相も(こちらは小声で)国民に手出しをするのはいけないと言った。オバマ氏は「暴力は国民を納得させはしない」と電話でムバラク氏を説得したと話しておりましたが、残念なことに、こういう欧米の政府高官の紋切り型の発言は、ツイター・フェイスブック世代(すなわち今回のデモの主役たち)には、白々しく聞こえたのではないか。
欧米は、民主主義の波及、人権の擁護、暴力の否定など、きれいごとを言いながらも、中東地域やアフリカ大陸の独裁国家と独裁者たちをたっぷり利用してきた経歴がある。たとえば、グアンタナモに収容されていたテロ容疑者たちは、アメリカから中東へ連れてこられて、いくつかの国で拷問をうけていた。アメリカは国内ではすることのできない残虐な拷問を、それらを得意とするアラブ諸国へ外注していて、その受注先がエジプトのような国だったことはよく知られていることであります。
そして欧州諸国も、容疑者を乗せた軍用機が中東へ向かうことを知りつつ、燃料補給に立ち寄ることを認めていたのであります。こういう欧米の偽善は、ツイター・フェイスブック世代ならばだれでも知っているのであります。
国連の事務総長も「武力行使は容認することは出来ない」とおっしゃり、「(エジプトは)なぜここに至るまで市民の声を聞くことができなかったのか」と怒っておられたが、これなんぞはオバマ氏以上に白々しく聞こえますね。ムバラク氏の圧政はいまはじめて聞く話だみたいなおっしゃり方だが、ムバラク氏が在任していた過去30年、あの地域でなにがおきているかをだれよりもよく知っていたのは国際連合であり、それに頬カムリをしてきたのも国連人権委員会であるからであります。
エジプトは長いあいだ国内の人権が問題とされ続けてきた国であります。ですが、国連という組織は、国家のフォーラムであるという構造的な欠点(!)がある。国家とここでいうのは、すなわち政権を担う与党グループとその政策の実施機関である官僚機構(外務省をふくむ)のことで、国際機関というフォーラムにおいて国民は彼らに代表されているのであります。周知のごとく、アラブ地域には独裁的な国家が多く、人権委員会に集まる政府代表にとってエジプトの人権問題は「明日は我が身」である。したがって、多くの場合、問題そのものが表舞台に出されることがなく、もみ消されてしまうのであります。人権センター(人権委員会の事務局)は非公開の通報手続き制度をつくりあげ、その中で話しあうレポートを提出しましたが、なにかが動いたということはあまりありませんでした、と30年来この組織に働いていた友人が言っていた。
こんどもそうだったが、現事務総長はなにかことが起きるたびにunacceptableという言葉を使って「こんなことは容認出来ない」とおっしゃる。定番になっているフレーズであります。今回も暴力の介入をわたしは許すことは出来ないとおっしゃったが、ではこれまで実際に容認されないような暴力が起きたとき、なにかされてきたかというと、なにかされたことはあまりないのであります。『ヒューマンライツウォッチ』や『ニューヨークタイムス』に、「あなたは中国政府に招待されたおり、なぜノーベル賞の受賞者・劉暁波(リウ・シアオ・ポー)氏の釈放を要求されなかったのですか」と質問され、「議題になかったから」と答えておられたことは記憶に新しい(いうまでもなくわたくしは個人攻撃をしているのではありません。能力の限界ということもあろうが、この組織への信用・信頼 credibility と存在理由 raison d'etre が、事務総長の真実味のない薄っぺらな言葉によって失われていくのは不幸だとおもうのです)。
フィンランドのストウブ外務大臣がBBCに、「あなたたちは人権弾圧を続けるような政権と取引を続けてきて恥ずかしくないのですか」と聞かれていたが、問われた外相はため息をつき、「もちろん恥ずかしいです。でもね、国際関係というのは、文字通り国同士の関係なのです。どんな独裁政権でも政府は政府なのです。彼らと交渉をしなければなにもできないのです」と答えていた。国際機関は、相手がどんなに腐敗した国家であっても、そこの役人たちと仕事をしなければならない。それはある種の偽善であるが、そうしなければ仕事にならないのであります。むかしはその偽善に気づくひとは多くなかったが、インターネット時代になると腐敗との協力が軋んだ音をたてているのを隠蔽するのは難しくなってきた。どこかで選挙がおこなわれるたびに選挙管理を手伝う国際機関の不手際が取りざたされるのはそのためでもあります。そのことを認めただけでもストウブ外相の方がよほど正直だ、とわたくしは思った。
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すこしコーフンしてしまいましたな。頭を冷やしてエジプトに戻りましょう。
さて、エジプトの現代史は、ほかの中東諸国史とともに、激動の歴史であります。16世紀にオスマントルコに征服され、第一次世界大戦勃発によってイギリスの保護領になる。1922年に立憲君主国として独立するが、英国の傀儡であったファルーク王はクーデターで追放される。エジプトは共和制にかわり、1956年にガマール・ナセル氏が大統領に選ばれる。ナセルはスエズ運河など欧米の支配がおよんでいたものをすべて国有化し、エジプトはナセル氏によって帝国主義の楔(くさび)から完全に解放されたのであります。ナセル氏は国民的英雄だっただけでなく、東西陣営に属さない「非同盟諸国」というグループの要(かなめ)になり、新興諸国のリーダーとも目された。
ナセル大統領は1970年に急死し、彼の死によってナセル氏の下で25年待たされたアンワル・サダト氏が大統領を継ぐのですが、サダト氏は1981年に暗殺される。憲法の規定によって(こちらも10年待たされた)副大統領のムバラク氏が大統領に昇格したのであります。
ナセル大統領が具現したエジプトは「民主国家」ではなく、エジプト人のプライドが高揚する「民族主義国家」であった。そしてサダト氏と彼に続いたムバラク氏は、そのナセルの流した毒に対する解毒剤だった、とリチャード・ニクソンは言っております(リチャード・ニクソン:『指導者とは』徳岡孝夫・訳)。
1970年にナセルが死んだとき、葬儀には500万人もの国民が参列したとニクソンは書いています。ナセルの情熱的な毒を消し、イスラエルとの共存を選んで親米路線に舵を切ったサダト氏は、そのために殺された。サダト氏の葬儀のときにはナセルのときのような国民感情の爆発はなかった、だがそれは当然だった。ナセルの死にエジプトが号泣したのは、彼がエジプトの威信の象徴だったからで、ナセルが国民に与えたのは歴史の激動であり、誇りの噴出であり、長い国家の歴史に一度現れるかどうかという爆発だったのだ、とニクソンは結んでおります(500万人というのは今回のデモに匹敵する人数ですな。偶然はなにかを暗示しているのだろうか……)。
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さて、週末にはムバラク氏の退陣がきまり、秋の選挙に向けて準備がすすむことになった。
それまで、そしてそれ以降、政治の空白はだれが埋めることになるのだろう。すでに複数の名前が指導者候補として浮上しております。彼らについてわたくしはほとんど知らないが、ひとりだけ、モハメッド・エルバラダイ氏には興味を覚えます。彼は、「アメリカは、エジプトだけでなく全アラブ地域を反イスラムの地域にしようと的外れな政策を推し続け、エジプトを狂信的な国家にしたてあげてきた」と言っていた。「だが……」と彼は続ける。「ムバラク氏のあと、公平で公正な選挙がおこなわれるならば、エジプトには穏健な政権がたち、エジプトは穏健な国家になるだろう」と言っていた。エジプトが普通の国エジプトに戻るというのであります。
モハメッド・エルバラダイ氏は、ウイーンにある国際原子力機関 International Atomic Energy Agency(IAEA) の事務局長を12年つとめ、行政官、外交官、国際政治家として国際社会に知られている。だが、エルバラダイ氏はエジプト国内にどれほどの基盤があるのだろう。知名度はどれくらいなのだろう(知名度とここでいうのは芸能人のように人気があるということではありません。どれほど信頼されているのだろうということであります。いま、彼のそれは未知数ではないか)。
だが、もし(もし、です)エルバラダイ政権ができるとすれば、外交は大きく変わるでしょうね。エルバラダイ氏はIAEA在任中にイスラエルの核不拡散条約への加盟をしつこいくらいに交渉したひとだし、またエジプトの化学兵器禁止条約加盟もあり得る話となってくる。エジプトは現在、化学兵器禁止機関に入っておりません。アラブ諸国はイスラエルが加盟していないからと加盟をせず、イスラエルはアラブ諸国が加盟していないから入らないのだと、お互いに「囚人のゲーム」をプレイしているのですが、エルバラダイ外交によってこの鎖が切れるかもしれません。
ということは、中東の政治地形がおおきく変わるということではないか。ビル・クリントン氏もトニー・ブレア氏も国連事務総長も成しえないでいる中東の安定が、ひょっとすると……(もっとも、そういう変化は欧米の望むところではないかもしれませんけど……)。
カイロの混乱はまだしばらく続きそうです。アメリカは「ムバラク氏が残って新生エジプトへの転換を指導していくのがいちばんだ」と言って、反対派・抗議派を激怒させております。冷泉さんは先日、『エジプト情勢に揺れるアメリカはどこへ向かうのか』を論じておられたが(JMM621Sa)、アメリカはどこへも向かわなくていいではないか。「カイザルのものはカイザルへ」という箴言がありますが、エジプトはエジプト人の国なのであります。アメリカもよけいな手出しをせず、エジプトのことはまずエジプト国民が決めるよう、遠くから見ていればいいのであります。かつて、ウッドロー・ウイルソンが提唱した「民族自決」、すなわち「国の運命はじぶんたちで決める」という原理はいまでも有効なのではないか。
おおきく舵を切ってあたらしい国づくりをはじめることは、率直に言えば、「失敗した国家」の国家建設とおなじであります。そしてそれは外国が口を出すよりも、まずいっとうさきにエジプト国民自身ががんばらねばならないことなのであります。国連事務総長は、「頼まれたら、エジプトの改革を支援する用意がありますか」と聞かれ、「もちろんです。わたしのところにはエキスパートがたくさんいるのです」と答えておられた。心強いことであります。
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