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Q.141
配信日:2000年12月25日
間近に迫った2001年ですが、日本経済が復活を遂げるためには何が必要なのでし
ょうか? 逆に、日本経済がさらに失速する場合、その要因として考えられることも
合わせてお聞かせ下さい。
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寄稿家:
小林慶一郎
の回答
独立行政法人 経済産業研究所研究員
20世紀最後のクリスマス前にとうとう日本の株価も日経平均が1万3千円台を割
り込みそうな状況になってしまいました。2001年にかけて、おそらくPKO的な
ものも含めて、多種多様な株価対策、経済政策が提案され、政策論議が活発になって
くると思われます。
こうした中で、重要なことは、「政策の順番を間違えないこと」と「政策選択にあ
たっての価値観は何か」ということだろうと思います。
<政策の順番>
まず、これからどういう政策が「どういう順番」で選択されるのか、という点が第
一の重要なポイントになるのだろうと思います。90年代の反省の第一は、90年代
前半に、財政政策(と金融緩和)によって経済をなまじ下支えしてしまったために、
「このまま何とかなるのじゃないか」という変な安心感が日本経済に蔓延し、その結
果、95年ごろに必要な外科手術(住専処理と不良債権処理)をやろうとしても、政
治的な反発にあって、十分にできなかったことでしょう。
つまり、外科手術の準備ができないままで麻酔をかけると、気分が良くなって、い
つまで経っても手術に着手できなくなるという教訓だろうと思います。もし、先に住
専処理や不良債権処理をやって、その後に財政政策で景気下支えをすれば、日本経済
は難無くソフト・ランディングできていたのではないでしょうか。
この教訓を生かすとすれば、今回、また危機的状況が発生しても、株価下落による
損失処理や不良債権処理を迅速に強力に進める政策とセットでなければ、株価対策な
どの麻酔剤を使うべきではないといえるのではないでしょうか。日本の経済政策論議
は、「転換国債(国が銀行の保有する持ち合い株を買い取って、代わりに株式転換権
付きの国債を銀行に交付する構想)は是か非か」とか「調整インフレは是か非か」と
いう具合に、全体のコンテクストから個別の政策を切り離して、その是非を議論する
ことに熱中してしまう傾向がありますが、「PKOや調整インフレだけやっていれば
なんとかなるのではないか」というようなパッチワーク的な思考を棄てて、個々の政
策に経済システムがどう反応するのか、をダイナミックに考えて全体的コンテクスト
で議論をする必要があるのではないでしょうか。
一方、不良債権処理や構造改革「だけ」を進めるべき、という議論もやや乱暴過ぎ
るのであり、重要なことは、不良債権処理と景気下支え(株価対策など)の両者を適
切な規模と「正しい順番」で行う、ということだと思われます。
<デット・ディスオーガニゼーション:不良債権処理を巡る合成の誤謬>
バブル崩壊後、日本経済が低迷した原因はなんだったのでしょうか。ケインズは
「人々が貯蓄を増やそうとして消費を節約し、その結果、ものが売れなくなって収入
が減り、逆に貯蓄が減ってしまう」という不況のメカニズムを「合成の誤謬」と呼び
ましたが、1990年代以降の日本では、不良債権処理を巡る合成の誤謬が起きてい
たのではないでしょうか。不良債権処理が先送りされた結果、企業間・銀行間に疑心
暗鬼が発生し、経済取引の信頼性が腐食し、供給連鎖のネットワークが劣化する
「デット・ディスオーガニゼーション(債務問題による経済組織破壊)」によって日
本経済の低迷がもたらされたというのが私の仮説です。
つまり、「問題を先送りして、しばらく耐え忍べば、そのうち景気が良くなって不
良債権問題そのものが雲散霧消するだろう」と考えて、政府も銀行・企業も不良債権
処理を先送りしましたが、その先送り自体が、景気の停滞を長引かせる原因となり、
結果的に処理目標も達成できず、新たな不良債権を発生させている、という「不良債
権処理を巡る合成の誤謬」が起きているのではないでしょうか。
「景気が良くなるまで不良債権処理を先送りして持ちこたえれば何とかなる」とい
う考え方は、現在も根強く生き残っています。例えばある金融アナリストによると、
大手銀行各行が金融庁に提出している経営健全化計画は、景気の改善を見込んだ他力
本願の部分が8割であり、自発的なリストラによる業績改善はわずか2割と見込まれ
ているのです。
<これからの経済政策に必要な「倫理的基盤」>
たしかに「不良債権処理の先送りが経済停滞をもたらす」という考え方は(多くの
人の実感に合うとはいっても)学問的に確立された理論ではありません。したがって、
「景気回復は不良債権処理の進捗と無関係に決まる」という従来の仮説を受け入れる
とすれば(実際、90年代初めに多くの政策担当者、銀行・企業経営者がそう考えた
訳ですが)、「景気が回復するまで、不良債権処理を先送りする」という戦略は効率
性の面からは「合理的」だったと言えます。
しかし、この「合理的」な戦略はいうまでもなく「実質的な商法違反」を国を挙げ
て行う、という経済の基本ルールをないがしろにする大々的なルール違反の上に成り
立っています。つまり、「先送り政策」は、「(金融機関等はその貸出金について、)
取立不能のおそれあるときは(取立不能の)見込額を控除することを要す」という商
法285条ノ4第2項の規定に実質的に違反し、取立不能の債権をあたかも
スケジュールどおり返済可能な債権と見なす粉飾会計を行うことと同義であるからで
す。
この問題は、90年代の経済運営の中で、長い間、「些末なこと」、「やむをえな
いこと」として扱われてきましたが、日本社会のありようを考える上で極めて重要な
問題ではないかと思っています。
90年代を通じて、経済政策の現場には、(先送りによって誰も傷つかずにすむな
ら)「多少のルール違反をやってもいいのではないか」という空気が蔓延していまし
た。これは子供が(誰にも迷惑をかけず、自分もハッピーなら)「覚醒剤をやっても
いいではないか」とか「援助交際してもいいではないか」と言うのと同根のサイコロ
ジーであったと思います。
残念ながら、日本の経済政策には「(不良債権を迅速に処理すべしという)ルール
を守るとみんなが苦しむのに、なぜルール違反をしてはいけないのか」という問を反
駁できるだけの価値観、または倫理的基盤が存在していませんでした。そして現在も
状況はあまり変わっていません。そのことが、不良債権処理や構造改革を強力に進め
るリーダーシップが発揮できない原因であると思われます。
2001年以降の日本経済は、「経済取引の基本ルールをきちんと守る/守らせる」
という当たり前の状況が回復できれば、不良債権処理が迅速に進み、前向きな構造変
革が実現すると思われます。その過程で、金融機関の破綻に伴う公的資金の投入や、
企業倒産の増加、失業率の上昇などの大きな「痛み」は発生するでしょうが、結果的
に、不良債権の放置による経済の荒廃も解消され、力強い経済成長が回復すると思わ
れます。また、そうした外科手術が実施されてはじめて、株価対策や景気下支え対策
という「麻酔剤」を打つ意味が出てくるのではないでしょうか。
しかし、この当たり前の状況を回復するのに必要な「倫理的基盤」は、政策当局を
含めて日本社会の中にいまだ存在していない、というのが現在の状況ではないでしょ
うか。
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