村上龍、金融経済の専門家に聞く
JMMでは村上龍から投げかけられる質問に金融経済のスペシャリスト達が回答をし、
メールマガジンとして配信中です。

※当ホームページでは、毎週火曜日にバックナンバーを追加掲載しています。
村上龍からの質問
Q.235
配信日:2001年11月12日
ちょっと古いのですが、財務省発表の2001年度上半期の貿易黒字が前年比で約4
3%減だというニュースがありました。2001年度上半期の通関統計によると貿易
黒字は3兆3047億円で、前年比43.1%減、 また、対米黒字は前年比6.5%
減の3兆5034億円だったそうです。
高度成長時代に育ったわたしは、貿易黒字こそが日本の成長を支えるのだと教え込ま
れてきたところがあるので、40%超のマイナスというニュースを聞くと、思わず「だ
いじょうぶなのだろうか」と思ってしまいます。GDPに占める割合はさほどではな
いわけですが、心配する必要はないのでしょうか?
寄稿家: 北野 一 の回答
JPモルガン証券日本株ストラテジスト
村上編集長は1952年生まれですから、「貿易黒字こそが日本の成長を支えるのだ」
と教え込まれた編集長の10代は、ちょうど1960年代ということになりますね。
この1960年代の実質GDP成長率の平均値は10.5%でした。確かに、村上編
集長は「高度成長期に育った」ことになります。ただ、この高度成長を貿易黒字が支
えたかというと、必ずしもそうではありません。 この10.5%成長に対する需要項
目毎の寄与度をみると、民間消費が6.0%、住宅投資が0.9%、設備投資が1.9%、
公的固定資本形成が1.0%、そして純輸出が−0.2%となります。高度成長をもた
らしたのは、基本的に消費などの内需であり、貿易はむしろ成長の足を引っ張ってい
たことになります。

では、なぜ、「貿易黒字こそは…」という記憶が村上編集長の頭に残っていたので
しょうか。それは、特に60年代前半の日本にあっては、「国際収支の天井」という
言葉に象徴されるように、貿易赤字が経済成長の制約要因になっていたからだと思わ
れます。

当時の日本は、1ドル=360円の固定相場でした。そして、ドルを基軸とするブレ
トンウッズ体制のもと、基本的にはこの1ドル=360円を維持するような経済運営
を要求されておりました。具体的には、設備投資が急増→景気拡大→貿易収支の悪化
→外貨準備減少→金融引き締め→景気後退ということを繰り返し、360円を守るた
め、言い換えると経常収支の悪化を防ぐために、わざわざ金融引締めを行い、景気を
悪化させていたわけです。まさに「貿易黒字さえあれば、もっと成長できるのに」と
いう状況であったことになります。 その意味では、 ご質問の冒頭の言葉は、「高度
成長時代に育ったわたしは…」よりも、「高度成長&固定相場時代に育ったわたし
は…」の方が、文脈的に正確だったかもしれません。

こうした状況は、1968年頃から解消されていきます。この頃の日本には、成長率
が高いにも拘わらず貿易黒字が定着するという、いわば「構造的黒字」と呼ばれる現
象が認められるようになりました。その理由をひとつあげると、日本の輸出競争力が
ついてきたことから、1ドル=360円というのが日本の実力に比して割安な為替
レートになっていたということになるでしょう。その結果、1971年にはドルの切
り下げ(円の切り上げ)が行われ、1973年には変動相場制に移行することになっ
たのです。この辺のところは後述する中国の人民元を考える上で参考になると思いま
す。

さて、その前にひとつ考えておきたいことは、「40%超のマイナスというニュース」
についてです。そもそも貿易収支のようにプラスにもマイナスにもなる統計において、
前年比という尺度で考えることはあまり意味がないと思います。簡単な例をあげてみ
ましょう。ある年の貿易黒字が5億ドルで、それが翌年に−100億ドルになったと
します。105億ドル貿易収支は悪化したことになりますが、前年比は−2100%
です。一方、ある年に黒字が100億ドルで、翌年に−100億ドルになったとする
と、貿易収支の悪化幅は200億ドルなのに、前年比は−200%です。因みに、村
上編集長は、40%のマイナスに驚いておられますが、高度成長期の60年代には、
数字の組み合わせ次第で貿易収支が前年比300%や500%減少することはざらに
ありました。

こうした貿易収支の増減を議論するなら、むしろ常に正の値をとる輸出と輸入の伸び
を個別に見た方が良いでしょう。私は、価格の影響を除いた輸出数量指数と輸入数量
指数の伸び率をよく使います。その輸出数量指数ですが、2001年9月分は前年比
13.8%減と、少なくとも過去20年間では最大の落ち込みを見せております。
心配するなら、むしろこの数字を心配するべきでしょう。ただ、これも良く考えると、
ITバブルの時に輸出が伸び過ぎた反動といえるところがあり、日本の構造問題を反
映しているのかといえば、必ずしもそうではないと思います。因みに、足元では同時
に日本の景気の悪化を反映し輸入も大幅に減少しておりますから、「輸出数量−輸入
数量」は、むしろ改善傾向にあります。

また、貿易収支そのものも、上期の前年比こそ43%減少かもしれませんが、季節調
整済みの月次の数字を見ていくと、この5月に2844億円で底を打ったあと、貿易
黒字はむしろ増加傾向にあります。では、なぜ、このタイミングで貿易黒字が増えて
くるのか?ドル円相場と貿易収支の推移には1年のラグがありますが、ちょうどドル
円相場の前年比が1年前からプラス(ドル高円安)になってきたことの影響が貿易収
支にも表われてきたものと思います。その意味で、私は貿易黒字が今後更に減少して
いくとは考えておりません。

最後に中国のことにふれておきたいと思います。2001年第1四半期の中国の輸出
は744億ドルと前年比43.9%増加しております。世界経済がかくも低迷してい
るなかにあってのこの伸び率は驚異的な数字といえるでしょう。日本の経済関係者は
この中国の脅威の前に意気消沈といった感じです。ただ、ここで二つのことを申し上
げたいのですが、まずは中国の地域別貿易収支です。

2000年の中国の貿易黒字は510億ドル、この内対米貿易黒字は437億ドル、
対日貿易黒字は40億ドルです。中国脅威論が喧しい今日この頃ですが、それなら米
国の方が、はるかに脅威を受けているということになるでしょう。もう一つの点は人
民元の価値についてです。先程、1968年頃から日本では「構造的黒字」が定着し
た。固定相場であった1ドル=360円が、日本にとって割安な為替レートになった
からだと申し上げました。今の中国は、世界経済が低迷するなか、ひとり8%近い成
長を続け、さらに貿易黒字まで計上しております。まさに「構造的黒字」になってい
るわけで、人民元の切り上げは不可避の状況でしょう。人民元の切り上げでどの程度
競争力の修正が行われるのか不透明なところはありますが、中国一人勝ち的な状況は
少なくとも為替の面から是正される方向に動くものと思われます。

以上、「心配する必要はないでしょうか?」というご質問に対しては、1)今は固定
相場の時代ではない、2)日本の貿易黒字は循環的に増加の方向にある、3)人民元
の切り上げは不可避であろう、ということで私はそれほど心配しておりません。

村上龍RYU'S CUBAN NIGHT